2020年7月31日金曜日

200731  寄稿「私の背骨」下村和義氏


私の背骨  (寄稿) 
 下村和義さん(ノースウエスタン大学博士)


 私は幼少期、テレビとはほぼ無縁の生活をしていた。それはテレビが嫌いだったからではなく、両親が意図的にテレビが映らないように操作していたからだ。テレビアンテナのワイヤーを意図的に切っていたのだ。だから、見られるチャンネル数は非常に限られていた。NHKとローカル局のみ。「うちは山の中だからテレビが映らない」と両親は私と兄を約20年近く騙し続けた。まったく疑いを持たなかった。騙す方も騙す方だが騙される方も騙される方だ。

 そういうわけで、幼少時代の私は外で遊ぶ時間が大変多かった。山の中を一人で歩き回ったり川に魚を捕まえに行ったりして、1日の大半を外で過ごしていた。だから、虫に刺されたり、転んで膝を擦りむいたりなどの怪我は日常茶飯事。そんな時、祖母は私が虫に刺されると鉢植えのアロエを持ってきて、その汁を傷口に塗ってくれた。転んで血が出ると、田んぼの畦道からヨモギを持ってきて、それをすりつぶして塗ってくれた。当時の私は「そんなもんで治るわけない!そんなもんで治るのならツバでも治る!!」なんてひどい言葉を祖母に浴びせていた。しかし、内心密かに自然って不思議だな、昔の人の知恵はすごいな、などと思っていた。今になって思えば、そういった環境が今の私の背骨となっており、自然に対する探究心は子供時代の体験を通して少しずつ育まれていったのだと思う。

 私の生まれ育った町は静かな山間部の農村地帯だ。そこには幼少時代、私が町を出た時とずっと変わらない田園風景が今もなお変わらずにある。季節の変化がない常夏の国ならまだしも、劇的な四季の変化が存在しているのに何も変わらない。そこには微生物も植物も動物もいて、常に世代交代が繰り返されているのにだ。そのような変化の中で、彼らの力関係は見事に平衡状態を保っている。私はこれをとても不思議で神秘的だと思う。まさに、鴨長明の方丈記の冒頭文「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の世界。
この話を私の幼馴染にしたところ、「ただの田んぼと山だ」と大笑いされたが。おそらく私がそんな風に感じるのは、大学時代を人工的に作られた権化のような町、東京で過ごしたからだろう。ずっと田舎に住んでいて、他の場所と比較することがなかったら、きっと気づかなかったはずだ。この両極端の環境を行き来することで、自分の生まれた環境が私にとって不思議の宝庫であることに徐々に気づいていったのだ。

 さて、アロエやヨモギのように植物から作られた薬というのは数多くある。中でも有名なのがアスピリンだ。代表的なものにバファリンがあり、これは解熱剤、頭痛薬として世界に広く普及している。この物質はヤナギの葉に由来する。ヤナギの鎮痛作用は紀元前のギリシャ時代から知られていた。原因となる物質が分離されたのは19世紀、それが改良され副作用がない形になったのが1897年だ。しかし、その詳しい作用機序(どうして効果があるか)がわかったのは、なんとそれから70年以上経ってからである。

 「薬」という字には草冠がついている。昔から人間は植物に薬効成分があることに気づいていた。おそらく誰もが原因物質を見つけたいと思っていただろう。ただ、「自然界ではどうなっているのか」が常に科学に対する考え方のベースになっている私は、少し違った観点でそこに美を感じ、その魅力に引き込まれる。そもそもなぜヤナギはアスピリンを作っているのか。きっと作るということはヤナギ自身がアスピリンを利用しているにちがいない。それではいったいどう利用しているのか。私の探究心はどんどんかき立てられ、その不思議を解明せずにはいられなくなる。もはやこれは職業病だ。

 現在、私たちも植物由来の治療薬の開発に取り組んでいる。昔は詳しい作用機序がわからなくても、効能と安全性がわかれば薬になっていたが、今は作用機序の解明が必要不可欠だ。作用機序が実証されれば、新たな扉を開くことができる。しかし、私の真の興味はそこだけにとどまらない。アスピリンのように、植物は人間にとっての薬効成分を体内で合成しているのは間違いない。そして、その物質はその植物にとっても何か意味があるのかもしれない。そこが解明されることで私が描いていた「自然界ではどうなっているのか」というストーリーが一つ完結するのだと思う。

 ただ、気をつけないといけないと思うこともある。私は美味しい料理に出会っても、中に何が入っているか、どのように調理されているのかと想像して、しばしば箸が止まってしまうことがある。すると、そこに居合わせた娘たちは顔を見合わせ、決まって「また始まった」と言わんばかりの顔をする。「美味しいんだからそれでいいじゃない。まずいのなら文句を言ってもいいけど。」困ったものだ。この思考回路、変えるのは非常に難しい。しかし、娘たちの言い分ももっともだ。自分の考えていることを伝える時は場の空気を読む必要がある。それは時に自分の頭の中だけに留めておかないといけない。そんなことを娘たちは暗に私に教えてくれているのだろう。
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 私は幼少期、テレビとはほぼ無縁の生活をしていた。それはテレビが嫌いだったからではなく、両親が意図的にテレビが映らないように操作していたからだ。テレビアンテナのワイヤーを意図的に切っていたのだ。だから、見られるチャンネル数は非常に限られていた。NHKとローカル局のみ。「うちは山の中だからテレビが映らない」と両親は私と兄を約20年近く騙し続けた。まったく疑いを持たなかった。騙す方も騙す方だが騙される方も騙される方だ。

 そういうわけで、幼少時代の私は外で遊ぶ時間が大変多かった。山の中を一人で歩き回ったり川に魚を捕まえに行ったりして、1日の大半を外で過ごしていた。だから、虫に刺されたり、転んで膝を擦りむいたりなどの怪我は日常茶飯事。そんな時、祖母は私が虫に刺されると鉢植えのアロエを持ってきて、その汁を傷口に塗ってくれた。転んで血が出ると、田んぼの畦道からヨモギを持ってきて、それをすりつぶして塗ってくれた。当時の私は「そんなもんで治るわけない!そんなもんで治るのならツバでも治る!!」なんてひどい言葉を祖母に浴びせていた。しかし、内心密かに自然って不思議だな、昔の人の知恵はすごいな、などと思っていた。今になって思えば、そういった環境が今の私の背骨となっており、自然に対する探究心は子供時代の体験を通して少しずつ育まれていったのだと思う。

 私の生まれ育った町は静かな山間部の農村地帯だ。そこには幼少時代、私が町を出た時とずっと変わらない田園風景が今もなお変わらずにある。季節の変化がない常夏の国ならまだしも、劇的な四季の変化が存在しているのに何も変わらない。そこには微生物も植物も動物もいて、常に世代交代が繰り返されているのにだ。そのような変化の中で、彼らの力関係は見事に平衡状態を保っている。私はこれをとても不思議で神秘的だと思う。まさに、鴨長明の方丈記の冒頭文「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の世界。この話を私の幼馴染にしたところ、「ただの田んぼと山だ」と大笑いされたが。おそらく私がそんな風に感じるのは、大学時代を人工的に作られた権化のような町、東京で過ごしたからだろう。ずっと田舎に住んでいて、他の場所と比較することがなかったら、きっと気づかなかったはずだ。この両極端の環境を行き来することで、自分の生まれた環境が私にとって不思議の宝庫であることに徐々に気づいていったのだ。

 さて、アロエやヨモギのように植物から作られた薬というのは数多くある。中でも有名なのがアスピリンだ。代表的なものにバファリンがあり、これは解熱剤、頭痛薬として世界に広く普及している。この物質はヤナギの葉に由来する。ヤナギの鎮痛作用は紀元前のギリシャ時代から知られていた。原因となる物質が分離されたのは19世紀、それが改良され副作用がない形になったのが1897年だ。しかし、その詳しい作用機序(どうして効果があるか)がわかったのは、なんとそれから70年以上経ってからである。

 「薬」という字には草冠がついている。昔から人間は植物に薬効成分があることに気づいていた。おそらく誰もが原因物質を見つけたいと思っていただろう。ただ、「自然界ではどうなっているのか」が常に科学に対する考え方のベースになっている私は、少し違った観点でそこに美を感じ、その魅力に引き込まれる。そもそもなぜヤナギはアスピリンを作っているのか。きっと作るということはヤナギ自身がアスピリンを利用しているにちがいない。それではいったいどう利用しているのか。私の探究心はどんどんかき立てられ、その不思議を解明せずにはいられなくなる。もはやこれは職業病だ。

 現在、私たちも植物由来の治療薬の開発に取り組んでいる。昔は詳しい作用機序がわからなくても、効能と安全性がわかれば薬になっていたが、今は作用機序の解明が必要不可欠だ。作用機序が実証されれば、新たな扉を開くことができる。しかし、私の真の興味はそこだけにとどまらない。アスピリンのように、植物は人間にとっての薬効成分を体内で合成しているのは間違いない。そして、その物質はその植物にとっても何か意味があるのかもしれない。そこが解明されることで私が描いていた「自然界ではどうなっているのか」というストーリーが一つ完結するのだと思う。

 ただ、気をつけないといけないと思うこともある。私は美味しい料理に出会っても、中に何が入っているか、どのように調理されているのかと想像して、しばしば箸が止まってしまうことがある。すると、そこに居合わせた娘たちは顔を見合わせ、決まって「また始まった」と言わんばかりの顔をする。「美味しいんだからそれでいいじゃない。まずいのなら文句を言ってもいいけど。」困ったものだ。この思考回路、変えるのは非常に難しい。しかし、娘たちの言い分ももっともだ。自分の考えていることを伝える時は場の空気を読む必要がある。それは時に自分の頭の中だけに留めておかないといけない。そんなことを娘たちは暗に私に教えてくれているのだろう。
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私の背骨

2020年7月15日水曜日

200715 -3 「般若心経」東洋思想、ディジタルと人生の選択肢

200715ー3(200604続き)

「般若心経」東洋思想、ディジタルと人生の選択肢 
 
 (「14109 議論の正当化は理論の世界だけでない」ご参照)  
 

色と空の意味は何かー(色即是空)
東欧人の移住者か最近のコロナウイルスでの神頼みか、仏教の教えに参加するアジア人や米人が米国にも増えています。元は口伝だった教えが紀元を前後する頃から、サンスクリットで書かれた大乗経典が紀元200~800年の長期に編纂された。
それはチベットや中央アジアから中国にわたる前のものといわれます。仏教の関係書はアセアン(東南アジア)の上座部仏教僧の略本なども2,3冊読んでみたが、信徒への心がけや出家の条件があったり、実践もきびしく難しいと感じます。
紀元後に観音菩薩という概念も加わり、また大乗という流れは「大般若波羅密多経」として600巻に纏められ、鳩摩羅什(クマラジュウ、現在のウイグル地方;4~5世紀)と玄奘(ゲンジョウ三蔵法師;6~7世紀)の漢訳された(中国語に翻訳)モノがあります。

さらに多くの研究者の解説によると、仏道という決まった道があり、標識を見て歩けば実践だというほどシンプルではない。仏陀も長い旅をされ、地方色のゆたかなインド内の各国をあるき、その土地の文化に合った布教をされ、様々な経典に残された考えます。
現在の日本に伝わる様々な宗派ではないかと考えることにしました(むろん日本でも各地の生活文化や相性で経典が選ばれたかもしれません)。
鈴木大拙館の写真その過程を省略しようと大乗の側の俗人への教えの流派の更にまとめたものが「仏説魔訶般若波羅蜜多心経」であるとたどり着きます。
それが「般若心経」と略称され、「布施」「自戒」「忍辱」「精進」「禅定」「知恵」の六波羅蜜という実践の中核で「般若経典」の262文字に込められたという。「無」「不」「空」の実践があると言われる。分かりやすいスタートである。道理を悟り、覚悟ができればよいと。(写真;金沢市内;鈴木大拙館)

求道者は落胆せず、恐れず、失望せず、驚愕せず、知恵の完成を目指せばよい。 
何かを獲りに行くのではなく、心は得るものではない。心は心ではないとは、モノの有無をいうのではなく、決められた規則やルールの従うのでもない。
大乗という乗り物は渡し船のようなもので、人が渡れたら、持って歩く必要はない。

仏道(仏の道)という山に登る決まった道はない
50年前ですが縁あり立川のある宗派の創始者に、米国に発つ前にご挨拶できました。「経典を勉強するのも良いが、まず実践ですよ。」とご指導をうけた。
筆者はルーテル教会に通い、禅寺に預けられた体験はあるものの、米国では求道者になる意識もない商社の派遣社員であったに過ぎない。70年代のシカゴ間は直行便もなく距離も遠く、あるメーカの代表は、九州から親の遺灰をもって海を渡った人もいた頃です。

マーケティングを独学し、戦略の上で米国内の競争相手の考えやバックを知ろうと、在米中に歴史本でクリスチャンの活動をよむと、16世紀に日本や中南米にも宣教師を派遣し凄いと知りました。宗教を守護神にした貿易戦士ともいえるものだ。それに比べると、仏教は甲冑に身を固めているというのでもない。
他方で仏教は穏やかな生き方を説く。仏教という名の山に向かい歩いてゆけば、登れるほど簡単ではないようです。それは、モノの有無をいうのではなく、決められた規則やルールに従うのでもない。
求道者は落胆せず、恐れず、失望せず、驚愕せず、知恵の完成を目指せばよい。
何かを獲りに行くのではなく、心は得るものではなく、心は心でないという。
徳を持っているのかもしれないが、量ることは出来ない。
大乗という乗り物は渡し船のようなもので、渡れたら、持って歩く必要はないという。

空(クウ)とは何か
 仏教はまずはパーリ語、サンスクリット語、チベット語、中国(南部)語、日本語、それぞれ間に4~5言語の翻訳者が入って日本に渡った。事例で説かれた数千巻の中枢を純化された「般若心経ハンニャシンギョウ」に目標を絞ります。
 色即是空という経文を1例にとれば、ルーパ・Rūpa;(注)色即是空を”色”と訳され「シキすなわち空である」としても、シキが物質、素材だと分かっても、”色”という漢文字が使われた日本文にあると、意味がちがうため混乱し誤解すると感じる。
(注;In Buddhism and Hinduism, rūpa (Sanskrit; Pāli; Devanagari: रूप; Thai: รูป) means 'form'. While it may be used to express matter or material phenomenaespecially that linked to the power of vision in samkhya,) 

座禅やヨーガも世界にひろがりポピュラーです。鈴木大拙師は100年余まえにシカゴ市に18971908年に滞在され、後に禅を世界に広めた由。
(ご縁もあり忘れず触れたいと思ってきました。70~80年代はシカゴのインテリに「お前はダイセツを知っているか?」と聞かれ、知らずあたふたした覚えがあるからです。)
大拙氏は座禅の心理学的効用をたずねる米人レポーターには、荘子の言葉を引用したとある。(金沢の鈴木大拙館に陳列されている直筆のメモのコピーを頂いた引用だが);

    (荘子)無用、無形、無為、無有、無名、無窮、無極、無事、
    無意、無私、無道、無思、無生、無相、無心、無述
大拙師は仏教の中での心・精神の動きに注目し、そこから心と体を開放するためには「無」の境地を考えておられたのではないかと感じた。私は無は分らず「空」の方に注目しました。(本ブログ15197番外;「金沢で考えた日本の将来」を参照ください)

般若心経の解釈としてか定かでないが、Mガブリエルの実存主義では「心・精神の範囲にバーチュアルな映像、仮想コインなども含める」のも矛盾しないように思えます。   空の境地はモノに喩えると山だといいます;
山を登り、ようやく山頂に届くと、そこに山はなく、広々とした空間だけである。遠くから見れば山があるが、その頂上には何もなく、足元には土がある。空ともいえる。世の中で計れるモノは形を変える。願うモノは、かなえば消える。不足が起きれば生じる。
蒸気も冷えれば水となり、さらには氷となる。気体・液体‣個体の3相です。
漢字で訳された部分を示すと下記である;(舎利子とはリーダ弟子の1人)。
 https://www.e-sogi.com/guide/14635/(フォント・着色;編者)
「新実存主義」マルクス・ガブリエル/廣瀬覚訳、丸山俊一+NHK「欲望の民主主義」制作班

『仏説魔訶般若浪羅観密多心経(全体では262文字ですが半分に省略)
自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄(舎利子)
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是 (舎利子)
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故、
空中無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、()
故、菩提薩埵、依、般若波羅蜜多、                          故、心無圭礙(けいげ)、無圭礙、故、無有恐怖、遠離一切顛倒、    
無想究尭、涅槃三世諸仏、依、般若波羅密多、() 
故説、般若波羅蜜多、呪即説呪曰、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、
菩提薩婆柯、般若心経』。

2千年前の経典時代の人の知覚分析は、現代の中枢神経の分類とほぼ同レベル
 仏教の教祖おシャカ様は、人の脳や中枢神経のはたらきを知っておられたと感じます。「般若心経」の心・(知覚)・知識は「色・声・香‣味・触・法」に纏められている。 体の感覚の中枢神経(後述)の働きと、現代ドイツの哲学者Mガブリエルのいう『「心」や「意識」は、「思考」「認識」「意志」「感情」「情動」「自意識」「気づき」』とによって、ほぼ重複し網羅されている。
「中枢神経系について; 現代の医学でも視覚(映像)素材あるいはモノと訳した方が分かりやすい。体の熱さ・冷たさ・痛い等を、体で感じ、目や耳を使い物を見たり、音を聴きます。感覚とは外からの刺激を体の特定の器官が感じとり(感覚受容器)、認識する。
感覚は大きく分類すると下記のように分類されます。 中枢神経は(1)体性感覚:(2)内蔵感覚: 臓器感覚(吐き気など)、内臓痛が含まれ (3)特殊感覚: 視覚(目で見る)、聴覚(耳で聞く)、味覚、嗅覚、前庭感覚(平衡感覚)が含まれ(略)大脳皮質は表層から数えてIからVIの6層からなっています。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9E%
A2%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B3%BB
 
(一休み;100年前と似て、このカオスと混乱の世の中について俗人‣私見を述べます。
 西欧社会に入ったら、礼儀作法が大切です。しかし、自分の意見は、臆することなくいうこと。周囲の人たちがそこを塞いでしまわぬように、自分のモノだとするには、自己主張の声を上げねばなりません。
 中国やインド、米国でも、感じるのは、大国というのは人口が多く、自己主張をしないおとなしい人は忘れられてしまう。ですから皆が話をし始めると、もたもたしているとパスされてしまう。
先進国では何人か以上の人が集まると、司会役が指名され、適度に全員が意見を言うような配慮がある。国連という先の戦争の勝利国が創った組織があり、各セクションの議長は中クラスの国の中で、まあ我慢できる公平感がある人が選ばれることになっていた。
ここに中国が入ってきたら、まるで我欲の塊りの醜悪な機関になっている。 中国人は自分が表に出なくても、自分の利益を配慮する人間を蔭で(経済補助や金を貸し、蔭で雇い、有利な方向に議論がゆくような影響を与えると言われる)。法治国家でないから、法の解釈もやりたい放題です。
米国も中国に期待して支援したが、裏切られ、現在は民主的とは言いにくいので「自国ファースト」などと言い始めたが、これは反動と思います。米国中西部でも理系の大学で教授職のインド人も多く、世界で一番途切れなく話す人たちと思います。日本人はどこで会話を中断し、考えを伝えるべく割り込むかがチャレンジです。)
 
空(くう)とは自分のための体験の世界・人生;禅寺に泊まって修行するとよい
余り神経質な方でなければ、小学生でも5、6年なら1人で禅寺に預けられても1週間余なら、また質素な生活の体験を得たいと考える方には有意義でしょう。毎日1人というのは孤独感だけはつらいが、コロナウイルス後の皆さんには、厳しい扱いを受けたとは感じないでしょう。むしろ現代のスマホとテレビなど雑音の無い中で、何が起きているかを探して見つける。
そのなかで考えることは自分、家族、仕事という生活の意味の方が大きいでしょう。非3蜜な1日がいかに長いか、「仏教徒とは何か」について、後に興味を持つことになったと思います。米国での長い生活でも、たまに考えた「般若心経」は、ポジティブに受け止めてきました。色即是空、空即是色の”空”が、ある時、無(ム)でなく、空いている時間=何もない大空=ソラという捉え方をしたとき、急に肩が楽になると感じました
空には過去はなく、自分の残された時間や空間と私は受け止めました。この空間は、貴方が決めて、そこが一生の活動の場にできると言えるのです。翻訳される前の”色”(モノRupa)はブツ・素材というインドの意味・仕分けというが、その方が”色”より自然に感じることができます。
 これのような考えが般若心経の解釈として、またMガブリエルの実存主義に含めようとしているバーチュアルな映像、仮想コインなどとも矛盾しない東西の架け橋のように思えます。(他国の過去の時間や歴史をしらべて、慰安婦を捏造するような生き方は異常で、惨めで悲しい考え方だと確信できるのです。)

自分に与えられた空間を力一杯に体験し生きる
空を虚しいと感じるか、広い空のように感じるか、景色の一部とかんじるか、自分自身のために両親が開けてくれた空間と感じるか。翻訳語の文字の似た音か、意訳かによるが、誤解を生み理解を妨げているとも言えましょう。

色即是空と技術革新の接点色と空の意味は何かー(色即是空)
座禅では; 鈴木大拙師は「空とはシェーニヤターで、いわば全世界を包み、同時にそれはまた、世界に存在する一つ一つの事物の中にある。(略)「シェーニヤターは体験すべきものであって、観念化すべきものではない」と言って居られ、無の境地もさることながら、空についても考えておられた。(注;「禅」鈴木大拙、工藤澄子訳p169))
周囲の人たち、とりわけ発言の多いインド・中国人がそこを塞いでしまわぬように、自分のやるべきモノだとするには、自己主張の声を上げねばなりません。「僕が、私がやります。やらせて下さい」とそうした混沌の中で、自分はどう行動で賢く成長させるかです
➀ 自分は何をするために生まれたか、
② 何をしたいか。
③ それを見つけるには、何があるかを学び、観察し、選択して、
④ そこに精神をこめて集中する。
⑤ そこに頑張って空の中にそれを描き力一杯生きることだと言えます。
個々に努力をして、失敗しても構わない大きなことができなくても失望する必要はない。生きるものはいずれ死ぬ。だが将来への夢を持ち、子や孫、次世代に期待することは大きくできる。親はそういう空間を子孫に残し、生きる勇気を与えてゆくしかできない。
そのモノには、残念ながらディジタル化された国民のID、カード情報、顔写真なども含まれ、国際的なハッカー攻撃や、囲い込みの奪い合いのデータ価値も含まれてしまい、創始者の仏陀も驚くようなディジタル化のすすむ現実があります。それでも仏教の教えはそういうモノと私は、今のところ、信じております。

2020年6月20日土曜日

200626-追 何をすべきか日本の挑戦 ➀ インドから買い、その額だけ輸出する戦略

200626-追加

何をすべきか、コロナウイルス後の日本の挑戦

➀ インドから買いその額を上限に、様々な物品を輸出する戦略
日本のインフラの更新のため、中長期の購入予算を定期交渉で決めればよい。
昔やっていた外貨割り当てに近いが、不足する人材余裕を持つ友好国に求め、その額に相当する相手が希望する物品を輸出できればリスクフリーに近い貿易の拡大が可能になる。つまり、相手国が計画経済でゆくという場合は、予算をきめてその中で経済の成長にあわせて、購入品と価格や数量をきめるのだ。そのプロセスはある額の範囲で競争にするかしないか、メンテサービスなども含むなら、中規模企業の方が柔軟にできるとか、自由度を業種に合わせて交渉する方が良いかも知れない。
インドでは国境紛争があるためか、中国のティック・トックほかアプリ59種の使用禁止の政策でセキュリティー防衛にも役立てるという。英米他も追随するから日本もそうなりそうだ。https://www.youtube.com/watch?v=glpGPogI2TI)使われているソフトからの個人・秘密情報をつかい様々な情報が抜き取られ、また技術情報を盗られる防止のためらしい。
日本はインド式でつきあえば、中韓とも楽に仕事ができるのではないか国内の事業者も合意する方法で、中長期の輸出入の大枠をきめ、日米はインドと組んで発展しよう。中国が各国でやってきた方式;自由貿易とからめた政治的おしつけ、バナナ、日本への野菜への放射能汚染などの「いいがかり」、毒入り餃子、メラミン入り粉ミルク、他をリストし、アセアン諸国とも共有し、集団で交渉を始めることはNATO、日米同盟の強化にも繋がるだろう。

「大手の日本メーカの世界での売り上げの過半は中国で上げるまで頑張ってもらう」という戦略的パートナにといわれる。喜んで頑張る日本企業はアップルと同じ運命になる可能性があり、日本には戻れない可能性がある。大きくなっても本国送金はできず、中国で稼いだ金は中国に再投資を強要される」と米国の税務所が非難していると言われる。

日本のインフラ製品はインドから求めよう
「尖閣諸島は中国領で、日本は島嶼の命名権は無い」と、北京の報道官が発表するのを聞いた。泥棒が居直って日本の所有権の土地の主張にチャレンジしてきたのだ。これこそ彼らが否定する国際法の出番であろう。
尖閣諸島の周辺に中国船が入り込み、日本の漁船を追い出し強奪を始めたという。放置すれば沖縄列島は次つぎに、周辺からもぎ取られて行く可能性がある。
日本は現在最大の輸出相手となったからと、領土と交換に貿易を拡大せず、直ちに取引を削り、インドから重要な製品は輸入すべきだ。 
 日本人が気づかず、あるいは報道がされないため、中国との取引を続ければ、中国の違法な慣習に汚染された民間人が増え、石油ルートも物流も10年以内に南沙の7軍島の一部に組み込まれ、日韓のインド・中東のオイルラインと共に、中国の支配下に置かれるのを許すことになる。
朝鮮半島にも多くの中立的あるいは親日的な人たちもいる。(李英薫氏「反日種族主義」編者)。だが韓国の政府の政策が、過去の捏造された歴史に基づき日本を非難し、経済的な利得(揺すりタカリといえる)を目的とみえる下等な立場を改善するまでは、相手にせぬ方針に変えるべきである。現在の内政の問題をすり替え、注意点をはずしゴマ化す手先が、韓国の軍艦島騒ぎなのだ。彼らの過去は彼らしか変え得えないからです。

ただし、日本のかかわりにふれたら、圧倒的な史実で叩くこれを「両国の友好」などのいい加減な言葉で操作させないことです。中国からの共同研究の呼びかけに飛びつく研究者から、日本の最先端を知ることで、それを米国で学ぶか同国の社員が獲って来る。

週末に日本からの半導体の設計や加工の技師が渡航し、いかに貴重な技術が買収されきたか。日本企業の財産を押さえたら、即座に日本の研究所、子会社のコンピュータを抑えるとよいと漏れ聞いた。野党の助けか知らないが、政治が勇気を持たず産業スパイを抑え、禁ずる法律を作る勇気を持てなかったが、これも表に出るだろうと言われる。
また、テスラ社とパナソニック社の合弁のバッテリーも韓国のLG化学で生産するという。
これで次世代の電気自動車の主要部が日米から中韓に、とんだコロナウイルスである。

② 技術系人材が豊富なインド
1千数百社が進出し活躍している国に、今更というだろうが、インドは貿易赤字国で成長の上限がドルでの借り入れ限度であるようだ。インドは友好的な国民と温和な生活スタイルで、C国人のようにとれるものは獲るという強奪はしない国と歴史が示している。インド経済は日本に似て石油が採掘できず、エネルギーを輸入に頼る国でもあるが、日本と違い13億の人口を抱え、英語を話すばかりか、技術系とくに情報産業に不可欠な人口を抱えている技術者輸出国である。

老朽化インフラの更新のプロジェクトを立ち上げ、インドを第2製造基地に
輸出するインフラ系の製品は少なくても、日本語を学んでもらおう。日本には70万を超える橋梁の取り換え需要があるから、鉄鋼材料の橋梁他のインフラ鉄筋構築物の溶接迄なら、日本が優れた指導者を送り込めば、海洋船舶迄を数年内に輸出できるようになるはずだ。他にも湾岸や大河の上下輸送用のバージを創り、道路が完成する前に国内輸送の代替ルートが確立できる。日本の造船所が空いていれば、造船も行えるし、インド・豪州・英国と協力し造船所を作り、インド・アフリカ路にも輸送船を供給できる。
買える製品ができれば同額の、日本品を売り込む1種のバータ取引をすれば、弱いインドルピーも強くなるはずである
米国やインドと手を握り、日米の老朽化し始めた橋梁の取り換え工事を分担させるだけで、向こう50年分くらいのインドと北の溶接加工の仕事量を計画し、日本語の初歩も教え、溶接工を育成すれば、国内の圧倒的にたりない人材ふそくを補い、需要を創出できる。何しろ日本だけで70万の橋梁があり、その7~8割でも十分だ。それ位のファイナンスは日米だけでやれる筈だし、中国にはドル不足で無理だろう。

日本の国会と行政府のブレーンは、シェルターのある周辺都市域へ分散
緊張感を持つべきブレーンは、ミサイル攻撃に耐えるよう、2,3か所にあるトンネルや山腹の中に連絡室や石切り場の跡地空洞などにも、リモートオフィスで働けるようにしてはどうか。3蜜を考えれば洪水リスクにも耐える海抜をもち、関東の電源マップの外から引いた方が良いかも知れない。イージスアショアが変更になる真空は、仮想敵からみればチャンスであるから、小型原発の予算を設け、先行するカナダ等とも共同で開発してはと思う。国のデータで複製にできるものは、分社化しやはり分散すべきである。

通信の機器他での相互依存
隣国には日本が技術も投資も行ったサムスン電子があるが、相互の歴史上の理由か文化的な大国の圧力か知らぬが、過去20~30年間は捏造歴史の影響もあり、友好的という関係にない。半島が現状を変えないなら、北に対しては多少の支援はしても、深入りするよりは、インドやアセアンとの関係を深める方が、日本人としてはハッピーな関係ができるだろう。インドやインドネシア、マレーシアなどはイスラム人口も多く、それなりの男性の頑張りも敏捷さも感じられるからだ。
通信機器では例えばスマホなどはガラケーなどでは、インドにてスマホもガラケーでも、インドやアフリカでは使えるだろうし、基地局もJVでやれると思う。
上級需要には米国品がある。基地局も日本のNEDOのモノもあるが、あくまで現地人の意見を重視し協力すればよいと思う。

国内で「表現の自由」だけは許せない;共産党中国は自由市場では許されるべきでない
「勝手なことは言わせません。従来のような表現の自由は香港の市民にはなく、中国の1部として許しません。」(移動の自由、自由貿易はある程度許しますが。)
これだけで1年以上の抗議デモが続いていた香港も、いよいよ併合されるか。あるいは日本も1部の希望者や技能者を受け容れるのか。97年から50年は従来通りの条約を英中は調印したはずだ。(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hongkong/97/q_a2.html

「コロナウイルスの感染と戦うために、密接な会合、閉ざされた空間、2メートル以内の会話、三蜜として自粛願います」という日本政府が自粛を要求してきた条件によるストレス疲れと、香港市民の疲れとの違いは、「表現の自由」だけでなく生存本能を感じるのだ。
日本のケースは違反の罰則も明確な法律ともしていない。(この曖昧さと、無言の周囲からの圧力を期待する行政の間接コントロール)
違いは香港は市民の自立の維持のためであり、日本は自立も国防もあいまいで、取り敢えず感染の拡大防止のためだけである。香港市民の目標は明確、しかもあと27年で合意により併合される。共産中国が日本の尖閣諸島の実効支配に近い状態にあり、島を管轄する石垣島が名称変更した事に対し『報道官は尖閣は中国の領土であり、勝手な国内干渉だ』と非難をし始めている。沖縄では中国と韓国の選挙中のメディア工作も激しく、同様に北海道の土地をかなりの広さで買い占めていると言われる。だが日本と内戦に至るまでの紛争にはなっていない。外国人の日本の土地の売買に相互主義により、土地を購入するにあたり日本人を代理人として購入するのを禁じていないからだという意見もある。

共有する民主主義、価値観の共有、人権、法治主義は無かったのか
与党はビジネスができれば政治的には中立だという親中派と、表現の自由などを始めとする基本的人権、民主主義、法治主義などを共有するもの親米派にわかれている。    国防上の安保条約を結ぶ日米、間接的に米韓条約などにより米国とのインド太平洋のエネルギーラインまでを共同防衛するものと信じてきた。これに対し、中国がチャレンジするかのような、ベトナム漁船の捕獲物を中国船が強奪するという海賊事件が6月14日(日)勃発したという。日本の領土とする尖閣諸島の領海から、日本漁船を追い出す行為が先週行われたと聞いたが、これに反撃がなく、安心して活動範囲を広げたとも言われる。
https://www.youtube.com/watch?v=PnGatI8wLbI
南沙諸島の人工島を中国が一方的に自国領海と宣言したが、国際司法裁判で訴えられ敗訴しているにも拘らず『判決はゴミだ』と無視した。都合よくか、米国の現大統領の国内での黒人の反政府抗議活動などの隙をつき、コロナ騒ぎをチャンスとする、中国のやり口に貿易ルートを南シナ海に活用する各国、日・(韓?)、ベトナム、フィリピン、インドネシア他アセアン諸国やインドまでが、連携して、抗議と共同防衛のネットワーク活動を行うべきと思う。それでも民主党の米国よりは、何かをしようとするトランプさんの方が、仕事はやりやすいだろうし。

本日の日本国内での外国人不法滞在で国外退去処分者で出国を拒否するものにたいし、罰則を科す「強制退去違反罪」を新設する検討に入ったという報道があったが、大学に留学する外国人学生ほか、国際紛争の準備のため、必要な法的準備をどんどん進めるべきであろう。

「表現の自由」はあるというが、中・韓が日本のメディアの放送内容を支配している?
国の報道に外国人が侵入し、ニュース他で中国の違法な事件の報道が無い。上述した尖閣侵入も、北海道での土地の買い占め、香港の民政への変化や台湾、殆どが欧米のニュース頼りになっている。オーストラリアの反中の動きも無いに等しい。
朝日新聞が”中国にネガティブなことを書かない”条件付きで中国に支店進出して以来、未だに中国の不利な事実は書かない日本のメディアの義理がたさも、バランスの取れた情報に欠け困りものです。50年代米国が反米を抑えたのも事実ですが。
(本郷美則氏;時事評論家、元朝日新聞;https://www.youtube.com/watch?v=XS8pBLslRIw
人間としての人との友好関係がコロナウイルスを遮断するために、密接な会合が通常のビジネスほかでの交流では自然な商業行為であるがそれを否定されたら大変なストレスが生じます。(覚悟のうえで続ける店は、昔の吉原のような出島の上に移すか、免疫客のみ許す通行証を設けては?)
同じくで、コロナウイルスの絶滅は無理で存続と共存が規定された現在、これからの生活はどう位置付けるのか、早急なプランと議論を始めて欲しい。

明白なことは空港で人もコロナも検査をして、保菌者を洗い出し洗浄し、隔離すること。世界一の清潔度を持ち、5Sの製造技術でも優れて合理的な生き方のできる日本人は、その知見を他のアジアの国々にも(善用の条件付きで)共有して生きる事ができましょう。
中韓人をウイルスと混同する気は無いが、チベット人(帰化人)やウイグルの人々の声が聞こえます。
国外での反人道的行為は放置し続けるか
「最近40万人ものウイグルの若い娘さんたちが、みな移動させられて、約5倍の中国人の兵隊の駐屯地域に移された」由。日本にも相当な数の避難民かが増え、これをウイグル人の母たちは心配しているのだと。
韓国は中国の真似をして、自国のことは棚に上げ、慰安婦が虚偽の作り話だとバレてしまったら、また徴用工で一稼ぎをしようとする。(日本も韓国企業の日本法人差し押さえ)自分たちが約束した輸出先の用途の報告書も出さず、こちらのホワイト国の格から外したことに絡み、こちらのルールで縛ろうとする点は、そっくりさんだと見受けられる。それを亦、一々聞かされて、うんざりさせられるのは、与党の断固拒絶する勇気のなさ。

国防でいえば、敵が来るまで武器を持つな、敵が撃つまでこちらから撃つなというような、自衛軍が何も自分で守れないようなルールを作ってきた日本の在りようだ。この腑抜けたような社会を、コロナで閉じ込められた自宅で感じながら過ごした国民がいる。
それもこれもG7を始めとする、資本主義と民主主義の競争で、国境を越えたグローバリズムの強欲に付き合った結果なのだ。アブのようにうるさい隣半島南は、西の宗主国様のごきげん伺いで、冊封のような三蜜な関係をどうぞと言えたら、さぞかし気持ち良いだろう。単純なやり方は、すべて日本国内での訴訟にすることでしっぺ返しをすることだ。ついでに、ミャンマーの山岳民に日本語を教えて、国防軍に参加してもらう。インド人でも良いだろう。

2020年6月17日水曜日

200618  日本のコロナウイルス後の世界への道

200619


日本のコロナウイルス後の世界への道
東洋思想とディジタル技術+実存主義)

(仏教は心) ウイルスに生きる場所を取れぬよう、負けずに生きよう
業種歴が同じかたは少ないでしょうが、製紙・印刷は商社マン時代に関わり、そこから30前に米国で建設機械、自動車産業へと2回の大きな変化を経験しました。
原料から製品のモノ=インクから光へ、光から文字・映像へ、文字からデータや情報へ、情報調査、建機、自動車製造メンテ、産業界はコアの部分が技術革新で変化してきました。


ここ20年は米中ではモノとお金のやり取りで、この貿易赤字を先のばしが進んだ結果が、3対2の輸出入の差が生じ、米中の衝突が起こっている。
これも対中赤字が年間40兆円とか巨額になると、ただ先延ばしや誤魔化しでは解決はしない。変化を造っているのは、人間だと気付かせてくれたのが武漢発の新ウイルスで、大きな変化が起きている。
 サーズと武漢では素人には同じに見えるが。
(出所;NIID;上・サーズ・広東省2002~3年、NIID/NHK;下・新コロナウイルス・湖北省2020年)

コロナウイルスと中国の問題
「追いつき、追い越せ」、「もはや戦後ではない」、「東京を買うお金でアメリカが買える」、「ディジタル時代」、「少子高齢化」、「グローバル時代」色々な言葉をメディアが作ります。大きな変化を知るためには、それほどの知恵は要りません。
戦後の子供時代に小鳥や魚を捕まえたり、禅寺の座禅での経験から、「動くものを見つけるには自分が止まれ。止まっているものは色々な角度から見よ」くらいは分ります
 
今回のコロナウイルスで日本人が1億人余が、戦争時や、その後に似た体験をしたのです。
ここで高齢者は日本人は我に返って、自分の道を見いだしてくれるよう願をかけました
グローバリズムと言われ、すべてをディジタル化の波に乗せようと、2周遅れぐらいで息を切らせてモガイテいるとき、新コロナウイルスが”3蜜”でマッタをかけてくれました。

最悪を想定し身を守る対策を考えるなら、これからは中韓の人を用心し、入国者の携帯にQRか追跡許可を入れ、コロナウイルス並みに用心ぶかく監視し、扱うべきでしょう。
行政や専門家の皆さんに教えて頂いたように、三蜜の環境にならぬように用心し、定期検査をし、データ・グラフを続ければ、異変が見つけやすくなります。;彼らは上海空港で、04年すでに旅客の体温検査をしていたのですから、何の遠慮もせずやればよいのです。(サーズの事後という事でしょうが。)
来訪外国人のデータを 外国客に三蜜を要求できずとも自粛の推奨はできます。日本では下記がベストな新生活ですと、示すのです。希望者には簡単なアンケートに、どこからおいでの地方人か、日本のどの訪問地か、役立つ情報でしょうし、防犯や防疫にも重要です。緊急イーメールも。
➀ 蜜接2メートル以内、② 蜜室空間、③ 蜜集場所、は緩和しても、手洗い、うがいは役立つでしょう

中国は警察監視国 ウイルス発症の地の中国では、周辺国の人々の善意の価値観を自国内では禁じ、信じることをせず、またできない。中国人が互いに信じていない。中国中に全員の行動を監視するカメラが見張り、建物や施設には出入りした人の記録が残され、個人番号ですべてが出てくると言います。どこに行って、何を食べているか、およそ誰とあっているかを監視され、表現の自由もなく、党の都合の悪いことは公表されず削除される。
だが自由圏にくれば、「自分たちを同じ条件で扱え、自由を許せ」と主張する。    

従来、外交では相互主義という原則がありますが、これを無視です。南シナ海の公海に人工軍島を造り、国際法廷で敗訴で否定されたら「判決はゴミだ」と言う無法国です。
すでに英国からは、仏国の技術で武漢に疾病研究所ができたあと、この厄介なウイルスの保管や拡散問題をおこすという警告が出ていたのです。
今回その悪夢が実際におき、その責任から逃げるに必死な隣国人は、よくよく観察し警戒すべきリスクが大きく残されていると、世界に気づかせてしまったのです。

アセアン自衛圏と共同オイルルートを守るグループを造ろう
世界でも最大の人口国を築いた過去も持ちながら、国内で内紛に絶えず外国からの侵略もあった国。最近のたった数年間に、永世指導者の地位に就いた指導者が、世界の人々が創った国際司法制度による判定を「ゴミ」と呼ばわりする国が海一つ隔てて存在する
その世界から、(我が国にも与野党の中にビジネスになれば良いと、そちらにとナビク人も数多く)彼らに欠ける心、仏陀の教えをまとめた国の教えに目を転じてみます。

アセアンの諸国は信教を持たぬグループに圧力を加えられている。そのグループは情報を共有し、インド、ベトナム、フィリピン、(マレーシア、インドネシア、)+オーストラリア、USAなど支援してくれる国々を協賛メンバーとした共同防衛隊を造っては如何か。無論日本が呼びかけるインド、ベトナム、フィリピンで始めたらよい。選挙のある国だ。(韓国が入れろと言ったら追加でいれるか。中々癖のある国なので、他の協力国と図り、きちんと条件をつけて加盟を許すかは、委員会に諮るべきでしょう。)
この項は追記する予定です。

「般若心経・ハンニャシンギョウ; Prajna Paramitaの世界は
200707をご覧ください




2020年6月10日水曜日

200604 東洋思想とディジタル技術+新実存主義の接近(2)

200604


東洋思想とディジタル技術+新実存主義が接近 (2)
100年ぶりにコロナウイルスという細菌のような存在で、世界中がこの半年の災厄を被り多数の死者も出ました。関東圏だけでなく国全体の社会の経済活動を人的に部分停止し、学校の児童教育まで停止し、ようやく首都も抜け出る兆しを得ました。
これで「やれやれ、全力で復旧の努力をしましょう」と台風のあとを元に戻すだけのようでは、何のための大災厄か。それで終わらせるわけには行かない。
40年代の戦争中で「空襲警報発令」で家の隣に父の指導で造られたシェルターに家族もご近所もみんなが隠れ、空襲をやり過ごした。終戦あとコッペパン+粉ミルクの学校給食を食べたことを思い出した。人生の終わりに自宅での蟄居・座敷牢扱いのような生活だ。自分たちの選んだ政府に要請され、同じく復旧をしましょうと素直に同意できないのです。
何が欠けていたかを考え、まず頭に浮かぶのは、自分たちでの信じるものを持たねばならないという事です。ガブリエルが言うように「人間と動物の違いは人は心・精神がある。」(私見を加えれば犬猫でないなら、3、4世代が健全な生活と安定をえる価値観と思想を持ちたい。)

最近欧州の哲学が東洋に近づいてきた
米国で40年以上も、欧米人とビジネス競争してこれたのは、小学生の時期にルーテル教会での日曜学校での聖書や讃美歌を習うなど、話題にできる程度の禅寺での早朝の座禅が役立ったと思います。ユダヤ人や欧州の文化が、東に近づいて来ている感がします。
だがG7の中で、基本的人権としての表現と信教の自由で、誰もが守られる点で、日米欧は中国とは全く違う筈です。それを嘘、だまし、捏造、賄賂、我欲と、物理的な脅しなどで操られるのは、非常に残念なことと苦痛を感じます。この辺の東洋の弱点を補強せねば、将来が安泰とはいえません。
東南アジアの上座仏教国でも、僧職の修業をしていない世俗人間が頑張り、地獄に落ちない道を拓いてくれた仏教を、守るべきだと思うからです。日本はそれに加え、武士道などを共有・訓練し説明できれば、これからの青年も胸をはって生きて行ける筈と思います。

仏教は優しく変化に柔軟な宗教
仏教はBC500年ころ釈迦が移動しながら各地で体験を交えた悟りを説かれ、インドの公用語の1つサンスクリット語で弟子たちによって経典になり、生涯に説いた日常語のパーリ語もくわえ数千の経典に残されたといわれます(注)。
(注;キリスト教の聖書も多数の指導者の話の寄せ集めた伝承です。)
粋は中村元先生「般若経典」が有名ですが、サンスクリット語の原文は日本だけで、チベットや中国には無いと読みました。中国は共産党の支配下では(1党の指揮下の国情)、宗教は許されないのです。
インドでは元のバラモンからヒンドウと仏教が分かれ、ヒンドウが7割、のちにイスラム教も加わり、それぞれの王朝が栄え衰弱した歴史があります。余り知られませんが、最近は日本から仏教布教所が欧米やインドにも出ております。将来の大国に伸びるとき、さらに日本人のインド文化貢献に役立ってほしいと思います。
日本でもアジアの哲学・思想として学ぶ人も多く、最近は多数の入門書も出ております。敗戦後のビジネスマンとしては、非常に頼もしく嬉しいことす。

これから1千年、2千年もたてば、同じ日本人でも食事、文化、交雑(混血)などで生活は変わり、人も言葉も変わります。米国では子育てのためにチャーチに通う移民家族もメキシカン始め多く存在しております。自分が信ずることがあり、それを述べることは信頼につながります。仏教やキリスト教を実践されると良いと思います。
最近の日本では、自由が強くそれに伴う責任感が弱すぎです。子供を産みっぱなしや、過保護、過剰しつけする親もおり、我欲の制御ができていないようです。 
米国では黒人の人種差別こそあれ、一寸極論を申せば虐待や貧困の子供をたらい回しにするNPOや、コロナ検査での行政の差別もミドルクラスでは余り聞きません。
私見を述べれば、仏教は優しすぎるので、神道・武士道・座禅も半年か1年くらい心身鍛錬に使うと良いかも知れません。
「般若心経とは」
仏教全体での早わかりとして、外国にでて競争しながらも融和を願う日本人として、精神・心の在りようと行動をどう保つか。インドから中国語に翻訳したのは、インド人混血の鳩摩羅什(くまらじゅう)と玄奘三蔵ではすこし違うと云われます。
仏陀が大衆語のパーリー語で説かれた内容は、現在も使われるサンスクリット語で何千という経典に残された。その粋をAC200年ころか短くまとめたのが「般若心経」といわれます。仏壇やお寺の法事のさい、参座者で早口で読経(どっきょう)されるものです。
「般若心経」の色・声・香‣味・触・法の最後の法は意(識)を表しますが、インド流の習慣で前の5語のまとめだと教わりました。(私見では法は中枢神経系と思います。)
このまとめを除く5語の機能は、動物も部分的にせよ人より優れた識別でき、犬の嗅覚、線虫などは尿でガン患者が分かるといわれます。
そのまえに時の流れで表現が変わってくる例を、いま新実存主義(Neo-Existentialism)でポピュラーなM.ガブリエル(以下Mガ氏)の主張の一部を使ってみます。スペースが許せば、折に触れ考えをまとめた拙著「日本をマネジメントする」にも触れてみたいと思います。

新実在主義での精神はドイツ般若心経になるか
上述の実存主義、ことにすぐれた説明力を感じるマルクス・ガブリエル(以下Mガ氏)「新実存主義(Realism;略式名)」廣瀬寛訳をとりあげ、欧州の考えかたをしらべました。
Mガ氏はドイツ人(A.ケルンによればカント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェの流れをふむ)のようですが、「人間は他の動物たちとの違いは心を持つからだ」といいます。人間の範囲を、精一杯に広げるのはよいが、”心”を持つから人間だと定義できるか。うるさく言えば、心を持つ動物はいないか、人間でも心のない「人でなし」はいるはずだ。犬や猫など、ペットを大切にする人の多いのを見ると、ペットに”心”が無いと否定するのは無理を感じます。

Mガ氏は触れませんが、エチオピアの未開の地には、電気も文字も学校もない部落があると聞く。そういう”人”はどちらが適当か、言葉か心かで苦悩した結果かも知れない。 
(そのエチオピアには、ビル・ゲーツ系基金「世界の子供にパソコンを」(OLPC)からのパソコン数百台の寄付を受け、学校のない地区で英語も何も知らず教えられず、小さなソーラーパネルとパソコンを、5日で使い始めた話は教育界でよく知られています。)(参照;本ブログ13903「教育は教えすぎ」『その結果、子供たちはすぐに箱を開いていじり始め、5日後には1人平均で毎日47のアプリを使い、英語のABCの歌を唄い、2週目にはゲームで遊び始めた』と記録があるこの話で、NY州の貧困地域の「小学校5,6年生でまともに文字もかけない生徒がいる」と教育委員会はパニックになったそうです。ブログ番号年月を表示
人は神によって創られたというキリスト教徒は、人と動物の距離が近い(輪廻転生)アジア人に危険を感じるのか、人と動物のあいだに明確な区分壁を設けたい印象を受けます。
   
戦後に流行したサルトルなどの狭い定義でなく、心の有無を、ヒトと動物を区別する広義なモノにすると、反って新実存主義は漠とした曖昧なものになり、心脳関係などが掴めないと苦しいと心配です。これは次に述べる仏教の色即是空の“色”の領域とも似てきます。

自分の主張テリトリーを仲間に決めさせる位置づけ(カッコ内は編者)
(Mガ氏は優れた共著者の使い方だが、自分の営業テリトリーを人に決めさせ、評価をたのむ形はユニークである。機器販売の営業マンでテリトリー競争をされた人には興味深い方法に見えるが、民間ではやや談合にも似て、会社間の合意は難しいかと感じる。)
独語のGeistガイスト(精神)のほうが、英語のMindマインド(心)よりは自然や文化の浸透の度あいを上手くとらえているという。2言語の範囲の比較は、EUの中では珍しくないのだろうが、英語だけで精一杯のアジア人には難しい。半世紀まえの教養課程での英語教授の「エスプリ(仏)、ガイスト(独)、スピリッツ(英)の比較」授業を思い出す。

最初の分類;心の存在とディジタル技術
「➀ 全ての考えるものは存在する、② 私は今考えている、③ ゆえに私は存在する」という三段論法と言われたデカルトからの進化といえるか。Mガ氏は思いっきり欲張りな人のようで、「心のある・なしを動物と人間との仕切り」に使えるから、それが自分のテリトリーと言いたいようだ。(オヤ、文字を持つか否かではないのか。)
心の概念が意識の概念とどう違うか、いずれも、「心」や「意識」は、「思考」「認識」「意志」「感情」「情動」「自意識」「気づき」といった心を表す1群のはたらきの関連語とともに、大きな文脈・分類で導入される。(7種類も持ち出して、インドの意識・「」は遠慮したのか。)
技術のドイツ系の得意な分野だが、よく考えると、これは言葉による定義の中での技術ではないか。日本人は金型加工、絞り込み、中ぐりなど、加工技術・工具がとくいだが、モノである。例外としては、からくり人形などもあるが、産業にまでは至らなかった。

ディジタルは文字数とデータ入力のスピードが左右する
プログラミングは言葉では、プログラマーの多い英語になったが、72年創業のドイツのシステムソフトSAP社(米国ではIBM、マイクロソフト、アップルほか)があり現在も有力だ。日本もパソコンの製造はかなり進んだが、ソフト・アプリでだいぶ遅れたのは英語のハンディだと思う。
今回のコロナウイルスでの医療データや、統計に基づく検査サービスでも同じだ。それは、官民ともにディジタル化の遅れである。今までは母国語の大切さとか、モノづくりの重要性とか、立ち遅れた理由を正当化してきた。だが、医療における遅れは、国民の命をあやめるとわかった。不況の回復の補助金の配布遅れは、ただ金を送るだけでも、決定の遅れと、経済の回復を遅らせるとハッキリ見えたのだ。
そして情報の報道、通信にも不可欠と気づき、本気に取り組む必要性が認識された日本は、これから急速に動くと期待したい。
日本語は外国人にもやさしい言葉だときくから、当用漢字を500~700くらいに絞れたら、記憶から思考へ、英語での定義ずけ、工程(アルゴリズム)、数学でスピードアップは加速するだろう。ブロックチェーン以外に独創が欲しい。

生きるという事は脳をつかうこと
要するにMガ氏の言いたいことは、心とは上記したほど広い意味の脳の活動に伴うものだから、それを行えれば人も存在することを実証できると言いたいのだ。
心は自然に生まれてきたら備わっているものではないということになる。
上述のように、文字も持たぬず、電気も学校もないエチオピアの寒村の子供が、初心者用にしても多国語のアプリを聞き、学んでしまえるのは、やはり人間の種族の1員に参加して生きる活動してこそ育つもの。それは意識しながら行動するものといえないかだ。
コロナウイルスでの自粛からの開放で、子供が一番喜ぶのは「友達と遊ぶこと」。
(そこには言葉が不可欠だ)と観察されている。(待てよ、SNSで存在する現在の人口マップも、人の偏在や存在を意味する)
精神とは人間的なものと、そうでないものとを区別する能力であるという。      生活、出産、就労、苦悩、健康、幸福、死などの実存的経験が材料となる。
美学、宗教、化学、哲学などの心には様々な精神の表出がある。仏教を説いた釈迦は、貧しかった2千5百~2千年まえ発達した頃の仏教では「生、老、病、死」と苦しみを表現しているが。

人間の条件の3要素を含む多数の心的要素
新実存主義は非物質的なものを認めない唯物論を否定する存在と位置付ける。だがそれは単に人間的なものとして選んだ”精神”をどう含めた世界なのだろうか。
(精神が存在しないとする唯物論者や共産主義者は、人でなしとでも言いたいのだろう。色々とこれから先への思考、想像がかき立てられると感じさせる本だと思う。)

心・精神が存在し、しかも自然種ではない(だから自分が存在する)といえるのは、専門用語と動名詞てきな言葉の優れた説明で、自転車とサイクリングの違いと同類だ。
サイクリングは自転車というモノを表すだけではなく、自転車はそれを動かしサイクリングする人のためにある道具だと(p96~100)。これは優れた説明だ。
単なる名詞でモノの名が言えるだけでは、心があるというには不十分である。その機能がありそれを表す動名詞まであれば満足な差別化だと。でも「自己欺瞞」がドイツ観念論の支流の「自己意識」の哲学だとするのは短絡で、考え方を認めても、存在論と新実在論の違いは、前者は考え違いを許さないというのだが。

人間は自らを決定する動物である事から逃れられない
精神とする理由は「知性」「悟性」「理性」をふくむからだという(p111)。
それは自己決定、自由の刑に処せられるというサルトルの支流にあることを認め、それでいながら自己による人間否定は、そういう人がいたとしても、それは誤解に基づいているにすぎないと言う。(動物的に自己定義したり、近代生活を否定する自殺も否定する。)
Gガ氏は、人は自由で移動も自由、政治形態の選択も自由、民主主義は悪を認識して正す手続きだとナチスを許したのを見ての唯一の選択肢だという。未だにナチスの出現をゆるした責任を感じて、考え続けているドイツ人がいる。(「欲望の民主主義」
日本人はモノを決められず、様子見や後出しジャンケンばかりしていると、政治家は勤まっても、”人間失格”と永遠の競争相手のドイツ人に言われるかもしれない。 個体としての身体は動物の一種と認めるが、人の理性的な生と自然主義が認める動物的な生とは対立する立場である(敗戦の重荷と責任感はドイツの方が強かったのか。)
 (筆者注;ここでGガ氏のいう心とは、後天的に脳で学べるが、その道具としては言葉と文字により表現できる特性がある。すなわち言葉と文字というツールにより、身体の一部である脳のみならず、体の外部にツールとしてあるコンピュータに、記憶させSNSなどで、アルゴリズムやソフトウエアで思考させる事により分身的働きも可能となる。
「あとがきに代えて」で、2016年のオックスフォード辞書が年を象徴する言葉として、「ポスト真実」をえらんだと述べ、言葉が現実と違う世界を作れると加えている最近は事実や実存ばかりか、ヴァーチュアル・仮想・虚構の世界も生まれ、AI=人工知能が、現実とは異なる世界をつくろうとしていると終えている
これを仏教の粋を集めたという、「涅槃心経」の比較して考えてみたい。
(続く) 




2020年5月31日日曜日

<寄稿>下村和氏 NW大 『恐怖心への処方箋』


<寄稿>下村和氏  NW大   

 『恐怖心への処方箋』
                                                                                              令和2年5月15日

 「失敗したらどうしよう」、「自分の選んだ道は間違っていたのではないか」。新しいことに挑戦すると、 必ずそこに不安や恐怖がつきまとう。一旦そう考え始めてしまうと、どんどん泥沼にはまっていく。結果が出てくれば、自ずとこの不安や恐怖は無くなっていくことはわかっているのだが、それまでの過程でうまくコントロールしないと完全に飲み込まれてしまう。私も日々、不安と恐怖と格闘している。「ネガティブなことは考えずに成功した時のことのみを考えて進みなさい」と人は言うが、言うは易く行うは難し。その方法を教えてくれる人は誰もいない。

 私の専門分野の一つは体内時計と睡眠である。人間の体に内在する体内時計は、 自然界で起こる24時間周期の自然現象への適応を可能にしている。当然不安を強く感じる時間帯もあれば、大丈夫だと思える時間帯もある。私にとって最悪の時間帯は深夜1−3時の間である。草木も眠る丑三つ時だ。この時間帯に目が覚めると寝付けないことが多い。悲観的な思考回路になり、不安や恐怖に苛まれることも少なくない。

 そこで、「恐怖心を克服するには、とりあえず丑三つ時に目が覚めないようにすればいいのではないか」と考えた。自分を観察してみてまず気がついたことは、夜中に目が覚めてなかなか寝付けない時はたいてい空腹であるということだ。ここで「深夜に目が覚めるのはお腹が空いているから」という仮説を立ててみた。さらに、夕食に何を食べたかもキーになるのではないかと思った。ちなみに、私の場合は夕食にパスタ、パン、ピザ、お好み焼き、うどんといった小麦由来の炭水化物を食べると、高い確率で深夜に目が覚める。もしかすると、米を食べていないことが問題ではないかと考え、「うどんと米」、「お好み焼きと米」といった食事を試してみた。すると、丑三つ時に目が覚めることはなくなっていった。自分の夕食には米が欠かせないことを確信した。外で酒を飲むと、ほろ酔い加減でうちに帰り、米を食べずにすぐに寝てしまうが、こういうときは必ず丑三つ時に目が覚める。これも帰宅後ご飯を食べるようにしたことにより改善された。

 しかし、なぜ私の体は米でなければ機能しないのだろう。以前、イタリア出張で全く米がない生活を1週間送ったことがあった。まずは英語が話せなくなり、次に英語が聞き取れなくなる。そして考えること自体が面倒臭くなり、ついに人間として機能しなくなった。米や小麦に含まれるでんぷんは人間にとって重要な栄養素だ。でんぷんは葉緑体を持つ植物が太陽のエネルギー、水、二酸化炭素から作り出す炭水化物だ。しかし、人間を含めた動物は自分ででんぷんを作れないので、植物が作ったでんぷんを食べる。でんぷんはグルコースが約200個程度繋がった高分子である。人の体はこれを分解してエネルギー源となるグルコースを得ている。しかし、同じでんぷんなのに私の体は小麦では機能しない。なぜか。米でんぷんと小麦でんぷんは人間が消化できる部分には大した違いがないが、「できない部分」に大きな違いがあるからだ。

 近年、この「できない部分」を消化しながら生きている生物の存在がクローズアップされている。それは人間の腸内に生息する約10兆個の細菌だ。この腸内細菌、どうやら米対応型と小麦対応型とがあるようだ。私の実家は米農家だ。子供の頃から米中心の食生活をしてきた。おそらく私の腸内に生息する細菌は米食対応なのだろう。胎児は母親のお腹にいる間は完全無菌状態で過ごすが、 産道を通るときに母親の腸内細菌をもらう。私の母親はもちろんバリバリの米食人間。彼女の腸内細菌もバリバリの米仕様だったに違いない。だから、米食以外のものを食べると私のお腹の細菌たちは困惑する。米対応の腸内細菌では小麦を処理しきれないのだ。あの出張以来、私は出張の際には必ずおにぎりを数個持参する。出張先でも日本食レストランに行くと、おにぎりを作ってもらって持ち帰るようにしている。

 さて、この夕食に欠かさず米を食べる食生活、私に予期せぬ副作用をももたらしてくれた。私は一日の中で最も調子のいい時間帯をゴールデンタイムと呼んでいる。私の場合、それは早朝に訪れる。ゴールデンタイムは仕事の能率が上がるだけでなく、不安や恐怖を感じることも最も少ない時間帯でもある。私の起床時間は5−6時の間。目覚めにスターバックスのフレンチローストを飲むと、頭にスイッチが入る。ゴールデンタイムのスタートである。しかしこのゴールデンタイム、朝食をとるとスッと消えてしまう。もし7時にお腹が空いて朝食をとると、貴重なゴールデンタイムがたった2時間で終わってしまう。常々私はこのゴールデンタイムを引き延ばせないか画策していた。丑三つ時に目が覚めない食事はまさにその答えだった。早朝の空腹感がなくなり、その結果、ゴールデンタイムが6時間(1日の1/4)も持続するようになった。

 しかし、いくら質の高いゴールデンタイムを確保するためといっても、デスクワーク中心の仕事の中で、夕食に米をたっぷり食べる生活をしていたら当然太る。この食習慣は昨今世間でもてはやされている低炭水化物ダイエットの真逆をいっている。そこで、この食生活を続けていく上で絶対に欠かせないのが運動だ。運動することによってエネルギーを消費しなければこの食習慣は成立しないし、健康な体を保つこともできない。運動をすれば当然、筋力もつき怪我を防げる。運動をして汗をかくと恐怖心が薄らぎ、いいアイディアが湧いてくることもある。一石二鳥、いや三鳥である。私はここでも思わぬ副作用を得た。

 何をするにも体が資本だ。健康でなければ仕事はうまくいかない。仕事がうまくいかないと不安や恐怖に苛まれる。「体にいい食事」という言葉をよく耳にするが、それは、たいていの場合「太らない食事」と捉えられることが多い。しかし、自分の能力を最大限発揮できない食事は決して体にいいとは言えないのではないか。私の場合、恐怖をコントロールすることから始まった「自分研究」は自身のデータを解析することからはじまり、体内時計の重要性、睡眠の重要性、食事の重要性に気づき、最終的に「米」にたどり着いた。自分に根付いている腸内細菌は、もともと稲作が生活の主体であった我々日本人の歴史であった。そして、自分の体を知るということは、日本人が莫大な年月をかけ編み出した壮大な食事の歴史を知ることでもあった。

 「そんなにお米が必要なら、どうして日本に帰らないの」 妻は米を美味しそうに食べる私を見ながらよくつぶやく。「ここは米国だから」 私はいつもそう答える。米がないと生きていけない日本人がよくもまあ30年もアメリカで過ごしてきたものだ。よく考えると大変滑稽な話である。

2020年5月21日木曜日

200526-(1) サバイブしたら 1流をめざそう、日本

200526-(1)

コロナウイルスにサバイブして、変身し、
1流をめざそう日本!

先ずは、恐怖に負けない個人の心意気を信じ、1流をめざそう
日赤の動画が素晴らしい気づきと力を与えてくれます。
https://www.youtube.com/watch?v=rbNuikVDrN4
コロナウイルスと戦う医療従事者は、家庭に戻ると『菌を持ち込むな』
など子供や家族まで差別され、切れずに堪えている。
英国では3月末から毎週木曜夜8時、家の外にでて、感謝を表すべく
拍手を送り続け、仲間意識も高めあっている。

それは根拠のないことを信じず、新しい生活に立ち向かう心意気です。
小さい会社でも負けないで、1流を目指せます。
それは医者や看護婦も同じでしょう。詳しい人が近くにいる
と安心しましょう。
生活ができることを喜び、心から応援すべきでしょう。

どんな問題が起きていたのに気づかなかったか
朝の出勤1~2時間前に、顔を洗い食事を食べながら、ケーブル・TVで投資や海外ニュースを観つつ着替え。今日の予定を聞きながら、出勤のバスや車で駅で電車に飛び乗り1時間で就労のはじまり。これが、今までの大事だった生活でした。
これが無くなる。あるいは15分で着いてしまう。
リズムが狂い、心がササクレ、家族にあたり、夜中に不安になる。よく考えれば自分の時間が増えたのは良いことだ。大都会から、田舎との中途の中堅都市に分散し、その町に家族がふえれば、介護の人口も増え、託児所やデイケア、病院なども分散される。

政府の行政も教育もディジタル化を急ぎ、民は1流をめざそう

中国のコロナウイルス様のお陰で、変化を求められ不要不急は控えようと要請された。
次に週末も3蜜という要請になり、時差出勤・テレワークが要求される。
ここで会社の大小は違っても6,7割のテレワークとなった。この2か月で、各社が通勤時間のムダに気づき、感染率をさげる努力がなされ、相撲・野球県大会はウイルス感染の選抜試合に侵略され、世界中でコロナ対抗に試行錯誤された。

民営事業がみなこれだけ犠牲を払って、座敷牢に近い苦痛を味わったので、せめて行政もすべてディジタル化して、1か月は1週間にスピードを上げて欲しい。ファックス・コピーは減らし、国会も半分以上はテレワークでいい。議員も地元からやってもらう。
民間は国際競争力は、国民の生命・医療・国防ほか特定分野をすべて国産化して、ジェネリック薬やサプリはインド製にする。そう出来れば、領海や領土紛争国は準敵国。   自国内で表現の自由のない国は自由のない国だからそういう国は我々の自由貿易の仲間には入れない。取引で贈収賄も政治献金も禁じ許さないし、通貨も渡さない。我々が決める数量と価格で、許す分だけ輸出を認め、同額を輸入してもらう。余分に儲けさせるとその金が攻撃的に使われるからだ。恩とか感謝とかのない世界の人々に忖度は要らぬのだ。

検査を続け外国からの出入者は追跡可能にする
特別に緊急宣言のあった都道府県は定期的に同数の検原・PCR検査を続けてその結果を発表し続ける必要がある。ウイルスがこの秋に戻ってきたら、該当する県では、どの産業かが特定できるよう、感染者の活動範囲をデータ蓄積する。
いつでも働きを止めて、出張も止め、不要不急の訪問も止まり、配達と宅配以外はなくなる。売り上げゼロ化の航空会社、夜のエンタメはクラスター・居酒屋やレストランも止まり、デパートも、食品はスーパー・コンビニから持ち帰りや配達。こう民が覚悟をきめれば、怖いものなしだ。国賓などはよほど友好な領土紛争もない国とのお付き合いでのこと、無理な忖度などいらない。
賄賂で汚染された国だから、国内をどう予防するか、コロナ扱いし、すべてを後回しで良い。必要なら管理貿易のココム時代に戻り、80年ころの製造業に戻るナンバーワンのサイズは目指さないでも、各人が1流だけを目指せばよい
外国人ことに新ウイルスの発生国からの旅行者は制限し、外国人データをスマホや特別カードの常時保持を義務付け、ビルなどの3蜜地域や施設の入出は記録追跡が望ましい。中国ではすべてがカメラで撮られているから、カードとスマホを提示させ、記録しよう。
それも嫌だというなら、JRノスイカ式に、出入り口でのゲートでの番号と出入りだけ一定期間記録するのもありうるだろう。

何が変わるか?
➀ 忘れた礼を取り戻す; 今までの会社第一、次が子供の通園・通学、個人の炊事・洗濯、お年寄りのデイケア、介護センター、冠婚葬祭、この順番をどうするかで、犬や猫の国になり、人は礼を失う。ペットに反対ではないが、ウイルス菌で葬儀をしなくなれば、人としての心を失ったと看做され、M.ガブリエルに動物の類に入れられる。
② 災害時・非常時の協力; 
国内では各家族の生活の変化で、ご近所を大事にする必要ができます。町や村の自治体の活動に参加しよう。町村の皆さんとのお付き合いで不審者がへる。うまくコミュニケーションができなくなる。平時は何でもないことが、この2年間の豪雨は洪水を、地震は土砂崩れやちぐはぐを起こし、緊急避難ができなくなる。
不慣れな部分が見える化し、豪雨・洪水で電柱1本で、バスも電車もうごかない。脆(もろ)さも分かってました。そし新コロナウイルスで、3蜜、1.8メートル離れよ、大声の会話、飲み会はやめよと、都会生活は否定されたのです。少し慣れたら、ご近所と挨拶し、散歩し、町内会で何かお手伝いすると、仕事いがいの新しい経験ができます。
③ 子供の通園・通学に送り迎え;
公園で遊ばせるきちんとした場所が必要で、隣の町村との相談で、共同の公園や図書館を造ったり、安全のために警備員が必要になる。学校での給食の重要さに気づかねば、子供がいるパートのお母さんのレジが減る。
③ 高校生は受講学科は一律でなくなる;
出入りの式典はなくなるかもしれぬが、学期で外国との半年のずれがある国がほとんどで、留学生の送り出し、受け入れの調整の時間はそれぞれに。就業も何も揃って就業は地方公務員だけか。

台湾やインドとの貿易を増やそう
すでに既述したが、大国で日本と戦をしていない国はインドである。少し遠くて、予防注射も欠かせないが、大都市を回る分には、十分近代化してきた。貿易を黒字化するお手伝いとして、彼らの英語力でコールセンタの英語と簡単な日本語を受け持ってもらう。
米国の大きなホテルチェーンの予約や道路案内、苦情受付などは多少トレーニングされたのだろうが、十分役立つ。もう1つは、彼らの数学的づ脳を活用することだ。設計や保守でも役立って働いてくれる。
1番必要になるのは、日本にインフラ、橋梁の取り換えである。
此方が輸入した額だけ、向こうも買ってくれというなら、お互いに為替レートを変えずにやれる。米中関係もそうすればよいのだ。同額というのなら中国に騙されないで済む。

発見や気づきも大きかった
米国では20年前から日用品や雑貨が中国品になり、世界1のウオルマートが敵視され攻撃された。今回気づけば日本まで中国品があふれ、米国と同じ状態になっていた。医療用品のマスク、医師用製品、生活品や健康サプリまでコピー品にあふれていたのだ。
もうMADE IN CHINAを隠さない。日本品は駆逐された筈と。相手は任意で止められ、ゴミ入り、虫入りの粗悪品に置き換えられる。
この20年、米日韓が中国にドルを注入し成長させていたのだ。観光大国で京都の名所はピンクの着物で埋めつくされ、大挙して買った土産品で日本のスーパーは埋めつくされ、雑貨コピーのための来日だったのかもしれない。

 尖閣諸島は5月下旬から領海に日本漁船が入ると追い出される状態が最近からか始まっていたと、ユーチューブ座談会で警告が語られていた。米国の空母1隻もウイルス感染が侵入、ベトナムで仕入れた冷凍チキンだと米国で聞いた。東京にも中国人が何十万人も様々な姿で棲みついている。法制度で相互主義(中国では党いがい土地を買えない)を取らず北海道も土地は買われ、火事で燃えた首里城の沖縄も危惧される状態だとユーチューブで聞いた。
中国のウイルスのお陰で、ウイルス感染地域と中国人分散マップが重なって見え始めた。WHOがエチオピア人により指導され、これから明らかになると思うが、中国の疾病毒物研究所がからみ、ウイルスの発表を1.5~2か月遅らせ、世界に感染を拡大させる補助をした点から、中国からの感染は意図が疑われても仕方がない状況となった。
一気に一帯一路は縮小を始める兆候が欧米では聞こえ始めた。政府のマスクは6月9日ついに届いた。腹立たしいのは東京郊外40分千葉県のドラグストアで、5月下旬にマスクが入荷し7種も棚にあふれ、すべて中国製だった。意地でも買うわけにはいかぬと感じた。 コロナ汚染されていないとはいえぬ、2次再発は送る側の意のままと感じたのだ。抜き取りチェックくらいすべき国だ。毒入り餃子、メラミン入り粉ミルク、汚染マスク、書き出せばキリがない。

働き方の変化;
5月21日の朝日TVで『19年8月のマイクロソフト社の実験;週休3日(金曜有給)の結果労働生産性+39.9%上がり、92.1%が高い評価とあった。東芝(7.6万人)とトヨタが週休3日、10時間/1日制を採用した』。
100%テレワークの例として、エネチェンジ社(坂口洋平社長;32歳)によると、平均の都内通勤だと2時間の通勤がなくなり家族との時間が増えた。事務所の家賃が半分になり5千万円の節約となったという。「業績も今のところアップです」という。判子をなくし、ズーム付きで、テレカンファレンスできる』。運動不足になる他マイナスはあるだろうが、仕事では集中力が高まる
ビフォアコロナとアフタコロナでどこが変わったかというと、各人が個人で働きその合算が会社で、それ以前は、自分は全体の1部になるため会社という場所に行っていた。むろん不慣れで、会議や上司との責任分担など、磨き上げてゆく部分はあります。
これは通勤時間が片道15分余の米国郊外の生活に近い。まるで予知したような対応を取った会社が良い先例をしめしてくれています。実はこのブログを立ち上げた2013年5月に、ご挨拶に次ぎ2番目で取り上げたのが、起業は自分の時間をもつという題で13052番に記述してあります。たまたまですが、会社だけが社会であっては、生活の場がないから自立も独立もできないことを気づくのが遅れるのだと。

経済発展はウイルス犠牲と人命保護のバランスで
会社の仕事は自分の生活の1部だと気づかされて、本当に自立するには、生活の場をまず持つようになるということです。上記の続きで、「国際社会の理屈や契約・論理による建前が、社会人としての自分の生活のすべてに侵入してしまうと、個人の価値観も育たず、健全な社会参加もできない」のです。グローバリズムに懸念するのはこの点です。
私事ながら、父の就職した時代(1930年~40年代)、ドイツ人(M航空機会社)と同居していていたが、5時PMを過ぎたらきちんと仕事を止めるのに驚いたと聞いた。
『戦時中ではないか』という父に、その友人は『この戦争はヒットラーの戦争で、自分には関係ない』と答えたといい、私は今もそれを忘れない。
漸く日本人は80年前のドイツ人や、30年前に『自分は自宅に住み会社で働くが、日本人は会社に住み自宅には覗きに戻る』と言った米人オリックスのロバートソン氏の生活観に近づけたのだ。新コロナウイルスの最大の貢献は、日本人全員にこのことを気づかせてくれたのです。未だ気づいていない人も、自立して本気で考えたら気づくでしょう。

今、政府にいる与党人も野党の社会主義派も、憲法を守るという言います。
9条2項を死守とかいいます。しかし、領海を侵犯されても、自衛はしないため排除せよと言わない。ちょうど都合よく日本版FBIの上級管理職のかけマージャンの話題で騒ぐ。 与野党議員も、憲法の「国民の生命、財産、幸福の追求」を守るとは明言しなくなった。コロナから国民の命と経済を守るなら、本気で罰則つきルールで縛ってでも、短期に解除しようとルールを守らせるでしょう。ベンチャー起業家よ、「走れ、メロス!」
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