2018年5月31日木曜日

180601ー追筆 勇気をもって民主と法治の国に戻ろう





180601ー追加・加筆

勇気をもって民主と法治の国に戻ろう
アメフト事件の功罪

刑法第204条「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」
これがさっさと執行されていれば、日大のアメフト事件はとっくにかたずいていた?
前科を記録するかどうかは、判例としては残しても、未成年や就職に差し支える大学生までは、司法関係者には透けて見えても、民間企業人には個人情報は記録など残す必要もないと私は感じている。

なぜならスポーツは青年の成長の過程で、選択科目としてでも身体と精神を鍛える通過すべきで、仲間を通じて常識をえるプロセスでも有用だからである。過ってのケガなどで加害してもオープンにそれを認め、謝罪する行為、それに伴う勇気も培うべき重要な人間の価値だと思う。 この加害に意図があり結果となった青年が示してくれたのは、非を認めて謝り出直すということ。この勇気さえあれば、非をみとめず逃げ回るより、はるかに多くの人の役に立てる職場もあり、将来が開けると私は信じます。(http://www.nicovideo.jp/watch/sm33248126)

なぜあれほどの大騒ぎをせねばならぬのだろうか?
5月6日のプレーでの監督とコーチの傷害罪の教唆(命令に近い指導)がその前にあり、それが週刊誌や民放で報じられた。監督やコーチなどの、周囲の様子を窺がいながら、少しずつつじつま合わせの言い訳をしてゆく周囲の大人の損得ずくな態度。これはスポーツの世界で生きるフェアプレーのルールでもなんでもない。
乱暴なショーマンシップにあふれた米国に長く住み、帰国し半年で日本人に戻る一種の精神リハビリ過程での、モリカケの騒ぎに強い違和感を感じる中、米人ならどうしたかと考えていた。

産業化したスポーツの業界に生き残りたいプレーヤーとその業界の卒業生やらが、プレーの動画を見せられて、これは「まずいでしょう」という反省もあり、30年前の同大のラグビー元選手の友人からの謝罪のメールも届いた。しかし何より本人のこのまま「放っておけない」という態度、被害者の親族やアメフト人の怒り。本人の謝罪発表がきっかけとなり、その勇気と態度が拡大しジャーナリストの中での、一石の波紋の広がりは嬉しく感じる現象であった。これが子供のしつけや学校でのいじめ防止や犯罪予防に役立てばと思う。
 http://www.mag2.com/p/news/357489/
   中学校側が「いじめではない」とシラを切り続けたLINE画像 
 http://www.mag2.com/p/news/359128               
 日大悪質タックル問題は、スポーツにかこつけた「傷害事件」だ

だが実際に加害行為を行った青年が、弁護人の同席があったにせよ、日本プレスクラブで自分の意見を単独でメディアへの、率直に意見と謝罪を(顔を見せて)のべ質疑に答えたこと。どうしてあのようなプーレの一環とも思えない唐突な、しかも後ろからのタックルという行為にでたかを知った。そこに「和をもって」の握り潰しを跳ね返す自立を感じ、感動的な勇気ある行為であった。さらに親と一緒に、被害者側の関西学院大学のアメフトチームを訪れ、また被害者にも謝罪し、救われた思いがしたのだ。そこから先は、被害者の親や周囲から、しかも若い方から順番に覚醒し、何があるべき姿かに「世間」が目をさましていったように感じた。

学生スポーツマンは勇気をもって発言し前に進もう
監督とコーチが除名されたのは5月も終わるころである。ここまでくれば大学の使命に問題があり、大きすぎて学長のガバナンスの効かないサイズは、分割すべきかという議論もありうるこれらの引き金は、加害者の謝罪の行動と被害者のコーチ・監督の「暴力行為という傷害」の指摘と、「相手の出方を見て刑事告発を」という発言にあったと感じ、法とルールの認識で優れた指導陣と感じた。
また最初から明らかな傷害の加害行為が行われたという指摘と、警察が直ちに動いていればこれほどの騒ぎも不快な思いもしないで済んだかも知れない。不正直でなければ生きてゆけないなら、違法行為を拒否すべきで、そんな部活動はやるに価しないのだ。

これは国会での大阪の1つのごみの埋め立て地の騒ぎとも非常によく似た騒ぎである。立法府内での執行部(内閣)の詐欺罪か、贈賄罪に該当するかなどの、違法性の有無を議論し判断するのであれば、立法府の国会中継というテレビショウでなく、司法の判断であるべきだとなる筈だ。お互いに気を使いすぎて勇気を失い、忖度に走る欠点は、受け身で時間が掛かりすぎることにある。それに日本国民全体が気づかせてもらったありがたい事例になったと感じた

野党の先生方にも3千ページはガバナンスには必要ない資料でしょう
立法府のしごとは学者以外だれも読まない、読めないほどの膨大な資料や記録を作り残す作業ではない。該当者が違法行為にたいし各人が自分の非を認める勇気を持ち、過ちはさっさと認め片付け、前を向いて歩こうという社会になる。責任をのがれるための、多くの作業や無駄な苦しみをしないですむ明るい社会になるのではないかと思った。アメリカが明るいのはこうした人々があふれて居るからだと。
記録は全くいらないとは言わぬ。しかし常識で考えても3千ページとかいうのは、業務日誌や個人メモの寄せ集めとしても、それを金額や重要度に応じて適切な判断資料にまとめる。民間の大手企業なら数ページに要旨をまとめて、部長クラスには2ページくらいの纏めで妥当であろう。詐欺事件の可能性でも、それ詐欺額以上の人件費をつかえない上限をつけてはと思う。3千ページの製作費は外注仕事としてもである。

アメフトの傷害プレーで、それを教唆したとみえた監督とコーチが居たため、大学そのものがガバナンスを誤解している首脳陣が多いことが判明したといえば、言い過ぎかもしれない。   そのわけは民間企業でいえば、株主利益のために会社が創られ理事=取締役が決まり、理事会が実行部の社長いか執行部の人事や優先事項をきめる。これが逆だと誤解している人が多いのが日本のメディア人や一般社員であう。つまり取締役会の会長が、組織の始まりでトップにあり、その下に社長など執行部があると判っただけでも、ケガの功名と言えるのではないか。
更に飛躍したことを言えばだが、仮にアメフトで試合に出してもらえぬ選手が100名もいたら、さっさと何でもよいから働いて結婚し子供を作ってくれたら、少子化に歯止めがかかるかもしれない。その過程でバイトを通じて自分の適性にあう職場を見つけられたら、世間で困り果てている人手不足の解消が若干でも進むかもしれない。


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