2022年12月30日金曜日

221230 アメリカに大きな穴(失敗ではありません)を開けていた最初の10年

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 アメリカに失敗でなく大穴を開けていた初期の10

対日輸入から始まった米国での商社マン体験

 入社し数年はプラントと呼ばれた大型機械装置を販売しており、たしかに十億円単位で大きいが、年に1,2基しか売れずプラントだけでは忙しくない。そこで空き時間に「製紙会社が買うものは製紙機械だ」と主張し、「動くものは機械」ですと「ダボハゼ」の悪名で、外国製もかまわず輸入許可をとり、売りました。そのころ米国で始まっていたリース(延払金融の一種)で、意識せずに機能の細分化の先端ではなく(営業と資金運用の中間で)幹の方向へと逆走しました。そして数年でシカゴを希望し派遣されました。

 在米40年を超え永く米国で働いていたので、数枚の写真と「短い説明では分からん」と「クラス会」友人への、「ドルを稼がねば日本は沈む」と教えてくれ3,40年遅れの回答です。商社本来の輸出入の方は、引き継いだ人たちが立派に稼いでくれて良かったのです。

 確かに日本での商社の機械販売とは違う新規事業を開拓してきて、それを数枚の写真では背景が分らない。試行錯誤があり、オイルショック(73年)2次ショック(79年起業)や、辞めて起業しても、プラザ合意(85年)リーマンショック(08年)もあり、360円から308円、250円、125円と切り上がってきましたが、頑張れば頑張るほど輸入税に代わり上げられ、メーカにも商社にも苦労の歴史です。                         に米国では数年~10年に一度の住宅ブームのインフレは、住宅の値上げは消費者にはチャンスでした。米銀行の友人は数年から10年に1度のインフレは不動産の値上がりで、月々のローン金利が経費で落とせる分、米国ではローン残高が減る効果がある。インフレで売れた差額は、より高い家を買う頭金がふえて、返済が楽になる。             インフレは借金の徳政令だとわかり、投資を呼び込む政策だと感心した。日銀に無理なデフレにさせずとも、金利が消費者にも働いてくれている。法人向けの金利は経費で差し引きできるが、不動産に消費税もあげるのでは消費者向けではない政策だろうと感じる。                         の私見;統一教会なども、根幹は隣国詐欺師のデザインの問題に見えます。)                                              産業界では生産能力は業界の合意という自主規制

 米国なら規定の無いことは原則自由の筈ですが、役員以下は各部署に従うのが当然のピラミッド制で、事業部の隙間を探す人は希でした。課の上の部、部の上の本部で担当役員がやれてない空間、財務と営業の中間は空(くう)という考えです。上下感はない方なので、平らなピザ、その端をかじるか、真ん中かです。                              前後しますが、69年に着いて間もないコロンブス祭日に、「日本の円がドイツに次いで切り上げになる筈」と小文を提出し、「日本向けの輸入を増やす提案」をし、「やって見よ」と担当指名を受けました。(自分は為替エキスパートでもなく、任せたのはお灸の代わりか。)今見ると偶然かフィリップス曲線に見える。(失業率・インフレ率に使われるのと関係ない筈だが) グラフはドル円71~16年;45年間      

 商社に入った目的は上に述べたとおり、「ドルを稼げ」という友人たちの声を参考にしただけで、米国にと、3年すぎて手をあげました。69年夏に米国の機械産業の中心シカゴに赴任。眺めた日本は、殆どの産業は20年間の戦争で欧米に遅れ、販売地域はライセスで制限ありでした。    明治維新まえ各藩は通貨を外国代表と金銀のレート違いで不利益を被ったと聞いていました。19712015円ドル推移グラフ)    

為替の競争から抜け出るには、サービス業が適すると感じていて、ずっとついて回りました。 

当時も今も規則が多く、上空はがら空きかも

日米通商協定、生産量規制、輸入品ドル割当制度、色々ありましたが、上を見れば青空までガラ空きでした。今の日本もその意味でガラ空きという部分がある。         自国にないものは、何が無いか分わからず、相手国にある筈と探す人は少ないのです。  担当が具体的にやれると実証し、時代が変わったので起業化も、社内の承認が得やすい時代と感じます。70年代は隣の鉄鋼よりパイナップル缶の販売方法に興味を持ちました。またシカゴ大、イリノイ工科大などに来米で訪ねる顧客のアテンドで接点もできました。                 大学の助教授や研究室をコンサルに、米国企業にも出資して貰い、人材を顧問でパート派遣して貰えば現地育ちのネットが使えます。日本人で独占しない事で根付く事できる。

   当初のよていの輸出でドルを稼ぐオンリ―から、間もなく円高になるなら、日本向け輸入を増やしてバランスをしようと変わりました。これは少々前後しますが、順をおい述べますが、サービス業の一部に参入まで前進しました。                        工事向けにレンタルで掘削システムを供給するビジネスこれが正に穴掘りでありました。日本でも20年遅れかのインフラの立て直しや、新興国での開発投資で、多少ともお役に立てばと考えました。 米国は調べると、非常にフェアな法律があり、大企業のサイズにものを言わせた横暴さを如何に中小メーカとバランスさせるかで、2、3点ありました。        

1)独占禁止法;石油系が巨大になりすぎて、抑えようと始めたようですが、市場のシェアが高い会社が、競争上の独占を抑え優位さを持たせない。                     2)価格差別禁止法;差別をさせない。価格差は数量割引以上の合理的な差を付けさせない、大手がアンフェアに安値で勝たせない。でした。                                      (私見;社会主義国や共産主義国は、中露北などに見るとおり党独裁であり上層部はよいが国民には生活レベルの向上だけとみえる。自国内に上記の米国的ルールを持ちえない)。

 ローン返済金は90%までの払いは借入金利で残りが不動産分の逆三角だが、個人ローンでも法人向けと同様確定申告で経費で落とせる利点も注目できます。サラリーマンでも、収入の20~25%が所得税としても、ほぼ金利分を所得から引けば、所得税率・額が下がる。そこでインフレが4~5%なら不動産も値上げするから、5年も後に売っても2割は儲かるというのが米人の考えだ。同様の制度があれば、日本に留学後に就労する場合も貯金が出来て帰国できるから、頭金だけの現金をもってくるのを、ブローカーがとり上げなければ本人は喜んで来日するだろう。本国の賃金で安く働かせようという経営でなければだが。それには、本人に、生産効率をあげて、5年間で1人分の生産コストをさげる工夫を求めたらよい。                

 米国の方式は、少なくとも、海外から来ている派遣社員、就労者か優秀な学生には、母国よりは米国の方が「正義が勝つ(弱者救済)」制度があると感じるだろう。それには不動産ローンを持つ時に、インフレは味方になるからだが。                 

 先進国は1桁多い給与を払っていたが、                       余談ですが為替に注目したのは日米の給与差です。シカゴ郊外に住み、月収は手取りが1千ドル近く、円にすると35万円/月に対し、東京では残業こみで丁度1桁少ないのです。               「何故だ!」と、調べたらシカゴ市・郊外の家賃が200ドル(東京郊外の立川で3~4千円=$95)、車通勤でパーキング代も食費も高い。「なんだ、物価が2倍か」でした。                          

ならば、なぜ50年後、「世界3位のGDP国になりながら、成長を犠牲にして円安デフレでいるのだろう」という疑問がわきます。円安になり過ぎれば、給与が安くなり、進興国の派遣社員の10倍どころか2,3割高の給与なようで、人材サービス業者に獲られる料金が高く、新興国の一般労働者でも安すぎて送金もできないありさまだと。                                       金利を上げないための政策としたら、1千兆円を超える民間貯金のあるのに、輸入エネがあがるのに市民の為の政策ではないのでは」という海外の不信もありうるでしょう。というより、G7に(当時G5?)に加盟しながら協調性にかけ、「仲間と言えるか」と孤立しかねないのではないか。      

 信頼がないと人は動かない               (こちらも動かないと、動いてくれない)          最初はへたな英語で信頼性がなく、扱うモノは部品が多い。苦し紛れに(69年アポロ11号が月面着地した)NASAに宇宙船の部品発注をと当たってみました。         フュエルセル(燃料蓄電池)関連メーカ2万社、顔を洗い出直せと感じた時期尚早でした。(1970年代の日本で、当時はグーグルに示すような図は無く、理解を超えていました。         私事ながら父は物理学者で、論文を書き、データで実証し、更に拡大セオリーにする;「何だ、科学の実験か」という手法。会社でも使えるとやって来たのです。(上手く行くとは限らないが、利点は上司にノーと否定されにくいこと。)          

70年初に米国に輸出できる機器はないかと調査し、ディーゼル杭打機(原理が大砲と同じとか)と、いま流行りの電気式フォ―クリフトくらいでした。               

その前に塞がる大きなハドル

もっと大きな問題は、当時はどこの大手企業も同じだったと思いますが、ピラミッドの 「上位者が広い地域を統括する」という社内の慣習が立ちふさがります。ならば小さい会社を造らせて任せればよいのですが、それでも年功と離して会社を任せる訳に行かなかった。  30代前半の若いのに任せられん」70年代の北米会議に呼出され「ケシカラン」、ならば「そちらでロス周辺はお願いできますか」(流通ルートの上流・下流で、社内の序列でなく)「米国で責任を持った仕事をさせるには、日本の徒弟制度ではやれません」と本社なら常務クラスに反論するのは、勇気のいることでした。                  「同一商品、同一プライス」ですから、中間に入るにも支店にマージンを払えない。   

地域に部品を置くのを反対されるから、機能障害で走ると同じ。             「ではそちらでやって頂けますか」(狭い地域で部品のビジネスはペイしないのは常識)  「売れる前に購入するなど、売れ残るリスクをどうする気か。」在庫金利も数%で高く、責められる時代。「相手が先に撃ってきて攻撃されたら反撃しろ」というのに等しい。    まるで今の野党の議論とそっくりのリスクヘッジ議論でした。政治に先立つ事40年前にメーカ・商社も経験していた議論と思います。中小企業はこの辺が創業者なら速かった。最近の日本は40年前の当時に戻ったのか、経済のサイクルなのかは分かりませんが。

採算を軌道に乗せるまで、食いつなぐ苦労を背負い込んだようなものでしたが、重要度から辞める訳に行かない。ですがどこに売ろうと、自分の親類が増えるくらいの覚悟で、人も育て生涯の仲間として生活をシェアできる。お客もメーカも満足なはずなのです。

『商社はシカゴから全米に販売サービス網を造らねば売れない』               そう聞かされたのは、メーカや商社の指導層からではありません。当時は部品の販売は金額が極少なく、製造メーカも上層部の人は注目もしておらず、重要性を指摘したのは土木現場サービス課の主任やユーザーです。販路は修理サービス網作りだといわれても、マニュアルや部品在庫網も要る。「当たりまえで、自分らの仕事は一番重要だと言っているだけよ」で「用途による」です。産業機械類で工場で使うか、一戸建ての家か、集合住宅か、あるいは、専用の大型機かで違うのです。それぞれの故障や修理でも変わる。         弾薬なしで戦い商品販売とサービス網をつくり採算に乗せるまで食つなぐため、2つの職場をもち苦労を背負い込んだようなものでした。「株式を持たせては、許可しない」という時代ですから、今なら誰も受けないような話で苦労したのです。

大事なことは絶対確認で、一流は手抜きしない国 

当時からディーラの大手はVP辺りが自家用機でこちらの在庫の有無をチェックに来る国。機械が壊れて部品がないとか、あやふやなことを言えば、「ライフルを持って、空港に迎えにいくからな。」彼らは時間一杯に全力で生きていると感じました。               

(今はGo To Travelに変わり、平和な日本人は土地に棲みつき、歩く範囲で同じことを続けたがる。今や長生きし過ぎて、子供の数が足りないと騒ぐ。米人なら「人が足りなければ、外国から来たい人を呼んで来こい」で、「市で週2NPOが会話教室は無料で」となる。) 余談ですが、いま関東では群馬がこの辺でリードしているようです。

外国人を入れて、仕事が回るようにすれば、発展につながる

「何も、無から有をつくる手品のようなことを考えず、客が買いたいというモノを売ったら」などと、1周遅れのランナーのような話しをなさる。               「お言葉ですが、味方ですか?」「マア、まあ」。                                 「新しい事をチャレンジするのが生きる事だ」と自らに言い聞かせてきました。     12月の高校生の全国駅伝で3区に外国人が入り優勝したチームは                 「OO国OO君が留学生できて鍛錬し大会新記録が出せた」くらいを言って喜ばせることが出来るように成れば、フェアな国だと高校のスポーツも世界レベルになれるだろうと感じます。なぜ留学生は受け入れ、競技参加を許しながら、国際競技の選手名を伏せるのか。                             

 少子化を嘆いても始まらないが、窓を開けば発展の余地がある

  • 高校の駅伝やスポーツに限らず、半導体の設計のコンテストでも、ロボット大会でも限らないことですが、それを判断できる審査員も国際的にすれば、優れた人間が集まる国にするつもりなら、その位の度量が要るのだろうと思います。
  • 販売網つくりの試行錯誤も始め、後継者に渡し、地下連続壁の技術を導入する事になる。米国が遅れている分野があった。ビルの地下仮設壁を現場でつくり本壁に使える高い精度の設計・製作の教科書を利根ボーリング・三菱(MIC)で創る事になりました。      
  • 「何も、無から有をつくる手品のようなことを考えず、客が買いたいというモノを売ったら」などと、1周遅れのランナーのコーチのような話しをなさる。1流を目指せば「新しいチャレンジするのが生きる使命」の外人さんが要るでしょう。司馬遼太郎の小説を読んで、頑張るほかないと考える人が少なくなかったのです。

自動車部品はこの道のベテランにお任せ、販売網つくりの試行錯誤も始め、マテハン機械(フォークリフト)は後継者に渡し、地下連続壁の技術を導入する事になる。米国が遅れている分野があった、仮設壁を本壁に使える高い精度の設計・製作の教科書を創る事になります。

先進国は1桁多い給与を払っていた?

余談ですが着いてすぐ為替に注目したのは日米の給与差です。シカゴ郊外に住み、手取りが1千ドル近く、70年頃のドル円では35万円/月に対し、東京では丁度1桁少ないのです。               「何故だ!」と、調べたら家賃が200ドル(東京郊外3~4千円)、車通勤で個人負担、(日本は交通費は支給)、食費も高い。「なんだ、物価が高いのか」です。                          ならば、なぜ50年後、「世界3位のGDP3位になりながら、成長を犠牲にして円安デフレでいるのだろう」という疑問がわきます。円安になり過ぎれば、給与が安くなり、進興国の派遣社員の10倍どころか2,3割高の給与で、新興国の一般労働者でも安すぎて送金もできない。金利を上げないための政策としても、1千兆円を超える民間貯金のある市民の為の政策ではないのでは」という声が海外で起こり始めても可笑しくない。というより、G7に(当時G5)に加盟しながら協調性にかけ、「仲間と言えるか」と孤立しかねない。               

1年近くかけ300頁教科書が完成

IITイリノイ工科大でセミナーを開き、シカゴの有名な同大学の土木工学の世界的な教授(ラルフ・ペック)も講演、ナッシュ博士(英国)、鹿島建設さん、利根ボーリングさん、セミナーに講師参加され使ってもらえました。(写真セミナー会議;筆者左3人目、5人目;ギリシャ人設計技師P.サンタコス氏)マニュアル・教科書の重要性は掘削機メーカの植田役員4人目;元満州鉄道の課長)で、異国で満州人社員を指導した経験からか、その意味が良くお分かりで著書もあった。全米から500人余りの土木技師が参加してくれました。

この後、順序は前後しますが、シカゴ市内の観光名所に隣接するミシガン通りのワンブロックを占めるウォータ・タワービル(地下壁4階)の本壁にも採用され、また衛生局の地下トンネル用立て坑、NYCのジャマイカ駅の地下壁などの工事と拡大してゆきました。    (写真;LI Railジャマイカ駅部工事)通勤電車にスレスレでの工事は、地震国日本では許可が難しいと思います。  これらの工事には日本からは有名なSグループから出向者に加藤氏(現在ロスのデベロッパーCEO)優れた1級建築士やその後輩が監督してくれ、通勤電車をとめずに工事が出来たと喜ばれた。         通勤電車にスレスレでの工事は地震国日本では許可が難しいと思います。

工事の監督をしながら入札、工事積算まで教えを受け、どんな業種でも役立つものでした。 残念なのは、通勤電車を停めなない工事期間の経済効果の1割とかを、電鉄会社から受け取るべきでした(浮いた時間中に地下鉄駅ができジャマイカ・レキシントンの地下鉄会社は立て坑ができれば絶対儲かる筈ですから。)                      上記シカゴのオヘア空港郊外まで地下に大きなトンネルが多数あり、郊外のシカゴ川近くには多角形の円筒形の立て坑が何本もあります。ビーム(梁)なしでトンネル掘削機を下ろせる立て坑も、同工法が採用されました。洪水を落とす目的と云われましたが、他目的もOK。    

軍関連で苦労した変わった例; 工事現場に入る人間は、ワシントンDCの日本大使館付きミリタリーアタッシェに連絡を取り、米軍の北米核関連機構から派遣指導者のセキュリティーをクリアすること。(カメラは禁止で写真は、施主がリリースする)。           工事はホワイト・サンズ基地(NM)。サンディア研究所が所轄で、「テスト掘りをする場所も高度機密だ」。               「車で基地内に入っても45度の曲がり角も、絶対にスピードを下げず表示のとおり走れ」とか、色々な条件付きす。サソリやサイドワインダーという横に走る蛇が出る地域に近く、少々危険な経験でした。 1.5+メートル直径、深度70メートル以上、指示ある場所で垂直の穴を掘る、高い精度が要求される10本余り。運よく総て合格。                           何を回収かはご想像にお任せですが、地下に打ち込まれた物体回収が45年も前にテストが終わっている国と申せます。(写真;近接のホワイト・サンズ砂漠)           「こちらの精度は出ても、そちらはどんな測定器で正しい場所と証明できるか?」と質ねると、「そんな余計な質問をする人間はいなかった」と軍式「黙れ」でした。地層に均一はなく何があるか分らないのものというのが常識です。

海外も「6分の侠気、4分の熱(旧3高寮歌)                           振り返り貿易商社の人間が、目的の販売・サービス網は目標としたから出来て当たり前。   アメリカ中にレンタル機で孔ばかり掘り、輸入品の機器部品、マテハンのフォークリフト、建機の掘削機(油圧シャベル)は優秀な引継ぎする後任が3名できたが、この地下壁ビジネスだけは、希望者は将来にまつことになった。一体何をやって来たのだろう。         

天邪鬼が起業のため辞職を出したら、最後のご奉公。「初めて主流の建機である」油圧シャベル掘削機の販売網がフリーになり、後継者が立派に軌道に乗せてくれました。組織はピラミッドよりフラットに考える人間には、主流より先端の方が面白いと感じます。                                       人生は少々の勇気と、泣いたり笑ったり、苦労はありますが、活き活き生きられます。 (書を読む友で、6分の侠気、4分の熱もあれば、孤独ではなかろう。)   (了)

 続きはー2301で新年に



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