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ローマから日本を考えてみた(1)
昔グループツアーで古代ローマ遺跡を丘の上から見ただけで、実際の地上での距離感がわからずに長いあいだ心残りでもあった。塩野七生『ローマから日本が見える』を片手に、何がみえるのかという興味をもって孫たちについてまわった。
これまでは何度か欧州(といっても英仏独だが)を訪れたが、それは殆どビジネスのため初春や秋が多く、7月下旬の38度の猛暑のなかは初めてである。
どこへ行っても夏休みの旅行者であふれ、できればチケットの行列まちを避けたほうがいい季節だと感じながら、偉大なローマ帝国の遺跡や痕跡をみて古代の行政街を歩いた。
なぜローマは強かったのか
紀元前のイタリーはギリシャの植民都市のある南部と、工芸などの進んだ北部のエトルリア(今のタスカニー地方)などが比較的に大きな国々。
そのすき間で、テレベ川の河口に近い湿地帯を囲む低い7つの丘のある地域を拠点にしたラテン族のあぶれ者たちが建国したのがローマであるという。それが次第に周辺の地域を拡大し併合、建国からゆっくりと拡大してきた歴史をもつ。
そのすき間で、テレベ川の河口に近い湿地帯を囲む低い7つの丘のある地域を拠点にしたラテン族のあぶれ者たちが建国したのがローマであるという。それが次第に周辺の地域を拡大し併合、建国からゆっくりと拡大してきた歴史をもつ。
周辺国との戦いで勝って拡大してゆくのだが、ローマの特色は、敗者でもまったく対等に扱うことで差別をしなかった点にあると塩野さんはいう。
それまでのエジプトやギリシャ文明時代の戦争では、負けた側は奴隷になり売られ労役をさせられ、身分は勝者の市民の下に扱われていたことを考えれば、非常にユニークな賢い政策だったのは間違いない。
その意味では、奴隷になるのが嫌で必死で戦う敵になるより、負けてもひどい扱いを受けないので、負けやすかったのだろう。平和国の現在の日本はそうするべきだなどと考えることもありえないが。
先の大戦では日本軍では指揮官のエリートが後方に居ながら、『捕虜になるのは恥だ』と訓練し、江戸時代の武士なみに平民に自決を迫った点で評判が悪いが、それよりはるかに現実的で賢い戦略を持っていたのではないかと感じられる。
先の大戦では日本軍では指揮官のエリートが後方に居ながら、『捕虜になるのは恥だ』と訓練し、江戸時代の武士なみに平民に自決を迫った点で評判が悪いが、それよりはるかに現実的で賢い戦略を持っていたのではないかと感じられる。
ローマも2度生き残りをかけた時期があった
ローマの建国はBC753といわれるが、それからBC272年に南部のギリシャ植民地を征服してイタリア半島を統一するまでに、481年かかっている。
その間BC390年アルプスをこえて南下してきたゴート族(ケルト)にはほぼ滅亡に近い敗北を経験している。何しろ2つの丘の上にある神殿に立てこもった人たちだけが、かろうじて生き延びたという完敗であった。ゴートは都市的な場所を嫌い、賠償金をせしめるとさっさと退去したという。ローマ人は浴場のタイルのデザインなどからみると魚を好んだようだが、大陸系は肉食だったと考えると、食事の影響もあったに違いない。
その間BC390年アルプスをこえて南下してきたゴート族(ケルト)にはほぼ滅亡に近い敗北を経験している。何しろ2つの丘の上にある神殿に立てこもった人たちだけが、かろうじて生き延びたという完敗であった。ゴートは都市的な場所を嫌い、賠償金をせしめるとさっさと退去したという。ローマ人は浴場のタイルのデザインなどからみると魚を好んだようだが、大陸系は肉食だったと考えると、食事の影響もあったに違いない。
そのあとBC3世紀半ばに地中海を制していたカルタゴと、シシリー島の半分をめぐり100年にわたり3次戦までのポエニ戦争が始まった。この時も敵の名将ハンニバルによりローマ市城壁の中まで追い込まれる時期もありながらあきらめず、スキピオという若いリーダーを得て、ようやく勝った経験をしている。
BC1世紀頃には天才的なジュリアス・シーザー(カエサル)が現れ、軍を拡大しながら、欧州大陸は現在のドイツより西、イギリスまでを制する、法的な統治圏を確立したのだ。
その制度は最初の王政ではなく共和制(専制君主とおなじながら市民の承認を要する)によっていたので、半島内での立法は600名ほどの上院(1種の貴族院、もと地方の国王、大農場主も含まれ、現在のM&A企業の元役員などが参加した形に近かったのではないか)で行われ、2名の執行官と2名の護民官て行政は行われていた。(ローマ帝国地図)
その為、イタリア中部(赤色)には軍隊は入れなかったため、上の写真にある3~400メートルの長さと150メートル幅ほどの地区に立つ立法・行政区で政治や経済が行われていたのであろう。
日本では戦後70年にして集団的自衛の議論が行われているが、自衛のための国防の法制度は完備しているのだろうか。どうも本気で守らないでもよい、それが平和をもたらすという安易な発想にあるようで心配になるが。
日本では戦後70年にして集団的自衛の議論が行われているが、自衛のための国防の法制度は完備しているのだろうか。どうも本気で守らないでもよい、それが平和をもたらすという安易な発想にあるようで心配になるが。
税金は徴兵があるから安くはなかった?
帝国はローマ市民という徴兵義務を負うが財産税ゼロ、売買税1%、その外に住むラテン市民は資産税10%、売買税2%、属州民は資産税10%、売買税1%という2段階。徴兵は税と見られていたようだ。徴兵されて兵役をはたすことで資産税をまぬかれるか、それとも属州民になって資産税などを10%払うか、現在の与野党の議員や戦争反対という左派のみなさんはどちらを選ぶだろうか。
その他に賃借農地は収穫の3分の1、これは小規模な貧農には重かっただろう、自己破産して奴隷になり、身売りして終生住み込み働きになる人もいたようだ。
現代と比べると社会福祉税(年金・健保)はないものの、戦争の頻度が低ければかなりの割安感がある。年金制度はどこの国でも財政赤字の原因になっているが、401Kのような自己積み立て預金となれば、残りは健保が政府のサービスとして残るか。
ローマでも教育は民営であったというから貧富の差は教育面で大きかったといえる。
現在との違いはそれだけではあるまいと考えると、防犯・防災・多くの人権擁護なども
あり、まちがいなく進歩しているのだろう。続きは後ほど、、
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