2015年8月30日日曜日

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ローマから日本が見える?(3)
イタリーでは、やはりジュリアス・シーザーは忘れるわけにはゆかない。これは現代の専守防衛とどう結びつくのであろうか。

話しが前後するが、ジュリアス・シーザー(カエサル)の戦時の総監督としての偉大さは、アレシアの戦いが圧巻で知る人ぞ知る戦である。現代に至るまでに、あらゆる近代兵器を用いた戦争をみても、これだけのことを兵士に実行させる指導力のある人と集団はいないのではないか。 
日本の国防は、この陸軍を主体としたシーザーの戦の逆をやることかもしれない。

大鑑巨砲ではなくミサイル防衛時代の日本の防衛

現代は70年前とはちがい、大鑑巨砲の時代ではないとしても、ミサイルによる戦いになるだろう。それでも、勝つためには相手の攻撃力を破壊でき、相手の戦意を喪失させるだけの備えがいるだろう。またその間には、食料や燃料の備蓄や輸送も必要だし、それをサポートする『日本に勝たせたい』と考えてくれる同盟国(軍)が必要だ。何しろ農業人口が減っているから、外国の輸入品にも依存できる関係がいる。

すでにかなり明確に敵対的な行動をとる国や、それに追随する国も姿を現しつつあるが、そうした国がやる気を失わせるのにはどうするか。
  •  日本国内にトロイの木馬を置かせないこと。
  •  日本からの反撃が、敵に大きな損害をもたらすこと、それを判らせておくこと。
  •  相手の国内が崩壊しかねない可能性がふえること。そうした、抑止体制があって、はじめて専守防衛が可能になるのではあるまいか。
身近な隣国は自身の危険さえ感じなければ、公海に軍港をつくり、やりたい放題を誰もとめるものがない自由があると勘違いしている。
この国の最大の敵は、歴史的にも、このやりたい放題がもたらす腐敗と放漫経営からくる欲の経済と、財政の自己崩壊の繰り返しではないかと感じられる。いま賄賂や横領を防止することに力をいれ、米国でもキツネ狩りが行われていると聞くが、殆どが国内の腐敗の防止策だ。

多かれ少なかれギャップは善用できれば発展だが、悪用すれば恐ろしいことがおこる。
こんな大きな軍事ギャップは平穏なまま長続きしないのではないか。そんな権力をもつ国(人)がそれを悪用しないほど、人間の完成度は高くないとおもわれるからだ。

日本に視点を戻すと、防衛を超える大きな陸軍を持たなければ、相手国を支配することはできない。専守防衛の軍は空・海軍を主体にして、陸軍は本土を守る最低限度に押さえれば、憲法の精神にもあう抑止になるのではなかろうか。
① 日本の天皇制度を2度と軍事に利用しない、
② 軍人は大臣になれない、
という2つの法的歯止めをもてば、各国は安心できるのではないかと思う。この辺りに、日本人の和の英知を発揮できるとみるからだ。

戦場が国外でもローマ国内の決定に影響力を持ちつづけた

多数の戦を指揮しながら、同じ戦略で戦ったことがなかったという点でも非常に想像力のある人であったことは間違いないだろう。(ローマ人の物語)
むろん次から次へと戦争を続けながら、ローマ国内での政治的な地位と影響力を維持し続けたという点でも、他にまさる人的な魅力や政治力があったのだろう。


それは彼の下にいた副官のなかに、土木工事の知識と経験がゆたかな人が居たに違いないと思う。何故かといえば、銃砲のない時代には、騎馬か歩兵しかないから、戦場の地形はつねに違うことを考え、もっとも有利な戦にできた。その面での考えが深く、実行させる多数のリーダーがいたとしか言えないからだ。
つまり、その地の利を1番有利に活かせる発想をもっていた。BC50年前後の話し。

専守防衛を主張する人たちへ

日本から外へ出ずに、守りに徹すると主張する与野党の皆さんで、国土をいかしてどういう防衛体制にしておけば、国民の大半が生き残れるか、生き残ると答えられる人の意見を聞きたいものである。
多分、誰も攻めてはきません』。
『来たら、それは想定外です』
『来るとしたら、誰がいつですか?』
というずれた答えしか出てこなくてよいかである。

アレシアの戦場は8万人の敵兵が立てこもる城壁の外側に、外と内側に2重に柵をめぐらせて、その間に6万人のローマ兵が取り囲んでいた。(側面と平面図ご参照)
なぜ外側にも柵をめぐらせたかと言えば、シーザーはいずれ周辺の部族やく33万人に取り囲まれることを覚悟していたからである。
15週間で15キロくらいの内柵を築き、その後、外側に21キロの外柵を築いたのは、ブルドーザも掘削機もない時代、指導力、スピードと生産性はすごい。(Caesar The Gallic War,
629,630頁)

その柵と堀は尖った杭などをうめたもの3列、その内側に棘(トゲ)のある木を2列(今でいう鉄条網か)。更に2列の15フィート幅x8フィート深さの堀で外堀には水が入っている。最後はところどころに司令塔のある柵、そして騎馬が走れる空間がある内側になっている。(フィートは約30cm)
なんという入念な備えであろう。シーザーはガリア戦記にこうした記録を残しているが、それはローマの予算を握るセネター向けの報告と同時に、部下たちへの指導参考書であったのだろう。

何がいいたいかといえば、日本が内柵の中に立てこもる自衛軍が8万人だとしても、また仮に外柵のそとから33万人の援軍(集団的防衛軍)が駆けつけてくるなら安全かもしれない。
だが、自分が守る気持ちがなければ勝てない。自衛軍の4倍もの連合軍の兵は期待できないのだある。つまりは、せめて自衛の意思と体制は固める必要があるだろうということである。

ローマ帝国のあと群雄割拠になりフランスに継承されたローマの知恵

ローマのあと、西欧はご存知のカロリング王国、フランク王国、ドイツほかに分かれて、何度も戦争があった。その後、共和制をとったフランスに再びナポレオンの王政が復活、民主制は米国に渡る。そのあと何度かの大きな戦争を経て、20世紀にようやく国連ができて今日がある。

少し戻るが、イタリア系軍人貴族のナポレオンの戴冠式の絵がフランスのルーブルに大きく飾られているのは、やはり見ものである。
コルシカ島の軍人貴族がここまで昇進したのは、軍人としての銃砲の時代での指揮能力と運に恵まれたのだろう。
35歳で議会の指名と国民投票で世襲の王になり、自分で冠をかぶり、妻の冠をかぶせるという行動で政教分離を印象づけた

日本で言えば若き日の信長だろうが、鎖国もあり国民投票は270年あとの明治維新までかかった。フランスはルネッサンスでギリシャ・ローマ文化の知恵の継承があったとみえる。

余談だが、ギリシャのヘレニズム文化はもったが、ギリシャでは奴隷の子は奴隷のまま一生を終わる。哲学者アリストテレスは奴隷と家畜の有用性を同列で比べていたという。
ところがローマでは200年まえから『奴隷と自由民の違いは先天的なものでなく、生をうけて後に出会った運命のちがいである』と6代目の王が言ったというから、根本的な違いがあった。つまりローマは多数がやる気をだす考えがあったのだ。カトリックの社会は人口は増えるが、やる気に欠け赤字財政になり勝ちだとみえる。

現在の欧州では第1次、2次の大戦をへて、平和になったかといえば、足元が揺らぎ始めているように見える。国連も戦勝国クラブのような常任理事国が拒否権をもつ。そのため他のメンバーとは比較にならない自由度をもっている。というよりは、決めない自由をもっているため、重要なことは中・ロが反対するので決まらない。 
隣国はただの巨大人口国からGDP2位に育ち、国際ルール無視の武力国家として常任理事国に加わっている。火器禁止国の日本で武器を持つ不法集団と比べれば判りやすいか。

9.11のアルカイダのNY市テロ攻撃に始まったイラク戦争から、米軍の手を引いた空白のイラクや内乱のシリアにIS(イスラム国)を形成した。
それに追われたシリア難民がギリシャやイタリーに流れ着き、結局はEUの負担になる。
ネガティブなイスラム大移動である。イスラム圏からの流入が更なる不安定要因になるとすれば、そして国連が無力だとすれば、欧州にも再度、地中海防衛連合South Med Treaty(SMT?)のような集団的自衛の体制を求められているように見える。これは彼らのアフリカ旧植民地とのつながりを無視できないから厄介だが。



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