[ラビ・バトラの大予言」は社会主義と民主主義のバトル?
インド人の経済学者の意見だが、ちょうど20年前のベストセラーだ。78年の前著「資本主義も共産主義も崩壊する」では笑いものになったが、10年後89年のソ連の崩壊で一躍有名になった人である。それがどの位当たっているのかと読み返してみた。
なぜなら、いま中国の経済はGDPが7%伸びるというが、実際は4~5%ではないかという意見が増えてきて、集計のシステムに虚偽があるとも指摘されており、インドはどうなのかと考えるからでもある。
1.「資本主義も共産主義も崩壊する」という著者は半分当たった
(着色、フォント、カッコ内は編者)
「ラビ・バトラの大予言」が出たのは阪神大震災の年で、記憶しておられる方も多いだろう。
「天災は腐敗した指導層を浮き彫りにする」という書き出しの指摘には、「人の不幸を何をいうか」という抵抗感、拒否反応のほうが強かった。いまだインド人は天災地変を天罰だととらえる思想が米国で活躍する経済学者の中にもあるのは発見である。
いわく、「1995年初頭の日本では、金融システムのなかで大きな不正が行われようとしていました。いうまでもなく、東京協和信用組合、安全信用組合の二つの信組を金融当局が救済しようとしている問題です。」信用組合の幹部が市場金利の2倍の金利を払う約束で大金を集め、彼らの関係する会社に融資され破綻した。それを国税で救済しようとしたのが不正義だという指摘である。(不正義があったという意見には反論もあるだろうが、生きかたの反省というなら判るが、地震を結びつけて考える発想は論理の飛躍である。)
損失の規模が大きすぎると放置できないのは、米国でもその10年後の08年のリーマンショックには国が乗り出さざるを得なかったのだ。
2.資本主義は90年代に崩壊が始まったか
バトラ氏のいう社会は、武力、知識、富の順で所有者がサイクルで支配層となり、政治を動かしてきたという。ローマは武力の時代であり、中世は土地所有による富が、そして16~17世紀は再び武力の時代になったという。
資本主義は1990年に崩壊が始まっており、日本は米国債を買い続けることで、その延命に貢献してきた。94~95年カリフォルニア州オレンジ郡が破産、そのあとメキシコで通貨危機、95年阪神大震災、これらにより崩壊は第2期に入ったという。
その原因は年金運用のデリバティブ投資が拍車をかけた。これは自治体で拡大中だという。
(日本の銀行の再編成と証券会社の整理などは、90年代の後半に起こった大きな変革と呼べば呼べるるだろう)
財政の均衡、国防費の増大、減税という3点セットが80年からのレーガノミクス(共和党)の核になる政策でN.ギングリッチも繰りかえしたが、守れない政策公約だと主張した民主党に勝てなかった。財政は均衡しないのではないかというのが、バトラ氏の考えであり、これは日本にも耳の痛い指摘である。だが日米ともに崩壊はしていない。
資本主義が破綻するする理由はもう1つあり、それは富の均衡ができないどころか、極端な貧富の格差が拡大している。その後にはプラウトProgressive Utilization Society(進歩的利用社会)になると予測する。バトラ氏は遺産相続を認めない点、公共の役に立つ事業は国営企業でおこなうべきだという考えで、社会主義者だといえそうである。80年代の国鉄分割や電力・通信民営化まえの日本に似た政策論をとる。
3.中国の問題
中国については、いまは武力の時代にあるが、「中国のように政治権力が上昇期にある社会では、大きな混乱や革命的な変革は起こりません。この(95年)時点である体制が没落するわけがないのです。(略)中国にさまざまな問題があることは事実です。人権の問題、知識人への弾圧、メディアへの検閲も存在しています。
中国が大きな誤りを犯す可能性が高いのは、公害や環境汚染という問題です。中国の指導者の視野には、環境問題がまったく存在していません。中国の工業化が進むにつれて公害問題が爆発的に増えるでしょう。これは国際問題までに発展すると思います。汚染は国境を越えて広がるからです。(略)
武人の時代の中国では、軍隊の支持をえた指導者がトップの座に座ることになるでしょう。人民解放軍の支持を取り付けた共産党のリーダーが混乱を収拾して、ポスト鄧小平の位置を確かなものにすることになると思います。」
(編者のコメント)
彼は「無限の存在」を信じ、そのためには瞑想をすすめるなど、仏教と共通する考えをもつ。プラウトは慈悲の精神が含まれる点で、日本は今後の主導てきな役割を期待している。
すでに7%というGDP目標は、財政的にも到底むりな数字となり、実態は4.5%くらいだと推測されている現状があり、上海の株式市場は3割以上も暴落した。
首都では砂漠化が10キロのところまでせまり、主要都市の空気はスモッグでかすみ、天津では化学物の大爆発がおこっているのを知れば、バトラ氏はどうコメントするのであろうか。
私にはあとの半分は、どちらになるかは未だに結論がでていないと感じている。少なくともいえるのは、中国は自由民主主義の資本主義のルールを、使えるところだけ使い、国内では別のルールで動かしている点でアンフェアであり、野放しにすべきではなかろう。
私見をのべれば、日本の”憲法学者”集団のように、法治ではな「法律家の政治支配」という最悪の変形民主主義と呼ぶのかも知れない。法の支配でなく選挙で選ばれない法律家による民意の操作に国会という舞台をつかうという意味で変形なのだ。
これだと中国の無法と結果は余り変わらなくなるだろう。それも含めて表現の自由と呼ぶなら、いずれは表現の自由を危機に陥れるのはメディアということになるだろう。
例えば製鉄事業などは、国内市場が年間2億トンプラスの2002~3年のころに5億トンに設備増強をはかり、4億トンに達したころは9億トンに増設するなどで,海外市場をかきまわしており、安値であればよいと放置すれば健全な企業がやってゆけなくなる。
それはソーラーパネルなどでも同様で、ドイツや米国のメーカーはコピーはされるは、オープンな市場でのダンピングで破産に追い込まれるなど、受け入れがたい破壊的な結果となっている。民営ではやれないことは国有企業にも許されるべきではないと考えるし、TPPとは別な国際市場のルールが求められているのではなかろうか。
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