2018年10月28日日曜日

寄稿; 本当はスゴイ日本の掃除文化

                                                  
Shimomura’s eye 寄稿

本当はスゴイ日本の掃除文化          下村和宏
日本の学校には清掃の時間がある。自分たちの教室はもちろん、廊下やトイレも自分たちの手で掃除する。日本ではこの習慣が学校文化として深く浸透しているが、ここアメリカでは自分たちで掃除をすることはない。

「学校掃除 イラスト 白黒」の画像検索結果先日、私の高1のエッセイ・クラスで 『日本の学校は今後もお掃除文化を継続するべきか』 というテーマで論じてもらった。すると、全員がこの文化を継続すべきだと考えていた。 中には掃除の時間は大嫌いだったけれど、汚しても片付けないアメリカの高校生たちを見て、大切な日本文化だと思えるようになった、と述べる生徒もいた。
日本が誇る世界のトヨタ自動車に「5S」という言葉がある。「5S」とは「整理、整頓、清掃、清潔、躾」の頭文字をとったものだ。これらは一見、自動車の設計、製造、販売には全く関係ないように思える。しかし、常に快適に能率よく作業が行える状態にしておくことで仕事がしたくなる環境を作っているのだという。この「5S」はトヨタの考え方の基礎・基本となっている。これは日本の学校のお掃除文化の延長から生まれた考え方なのではないか。
かく言う私の父もこのお掃除文化の権化のような人だった。小学校時代、私は父の影響で野球を始めたが、父が私に口を酸っぱくして言っていたことが一つだけある。それは、「道具を大切にしろ、自分で管理しろ。グローブはいつも磨いておけ」だった。私が一番最初に買ってもらったグローブは、その店で一番値段が高いものだった。私はその値段を見てびっくりした。父は手にはめ「和宏、これにするぞ」 と言った。
それ以来夜になると、グローブにオイルを塗り、布団に寝っ転がり、天井に向けてボールを投げキャッチする、これが私の日課になった。グローブは毎日使ううちに自分の手の一部のようになってくる。私は兄にも触らせたくなかった。当時、私はこのグローブで野球をするのが待ち遠しくて仕方がなかった。ときどき私たちが草野球をしていると父が突然現れ、たった一球で特大ホームランを打ち、去っていくということがあった。軟式のボールは円盤の形につぶれた状態で、センター方向へ高い軌道を描いて飛んでいく。子供ながらにそのホームランを美しいと思ったのを今でも覚えている。あの頃はどうしてボールが潰れるのか、なぜあんなに高い打球が打てるのかわからなかった。父は技術的なことは何も教えてくれなかった。
しかし、道具を大切に扱うことを通して“野球がしたくなること”を教えてくれたのだ。
野球がうまくなるためには、“野球がしたくなる”ように身の回りの環境を整える必要がある。これは仕事でも勉強でも同じことが言えるのではないか。私は補習校で数学を教えている。私の役目は “数学が面白い”ということを生徒に説くことだと思っている。そのことに気づいた生徒は、放って置いても勉強するし、様々なテクニックに興味を持ち、自分で習得していく。こういう生徒は決まって計算も速く正確だ。 

では、彼らは計算が速いから数学を面白いと思ったのだろうか。私はその逆なのではないかと思う。面白いと思ってやっているうちに、自然と計算力がついてきたのだ。計算はあくまで数学の道具であって本質ではないのだが、避けては通れない。しかし、数学において計算を間違うような環境に身を置いてしまうと、その面白さを感じることはできない。それでは、どうすれば良いのか。その秘訣は私が数学の授業で手渡す大きな白い紙にある。 “平らな広い机の上で、大きな紙を使い、削りたて抜いた理論はシンプルで美しい。何かを“シンプル”にしていく作業は“本質”に近づいていく作業とも言える。数学の解法のテクニックは色々ある。YouTubeでも非常に上手に説明している人がたくさんいる。

しかし、それらのテクニックは道具にすぎない。 細かなテクニックの習得は“数学の面白さ”を知っている人ならば、そう難しいことではない。日本の学校でお掃除文化が定着している理由は、美しさを感じるためには、いつもシンプルな状態でいなければならないと先人たちが気づいたからであろう。
その状態は人から与えられるのではなく、自分で作り出さねばならないのである。 の鉛筆で、丁寧な字で計算する。” 是非やってみてほしい。確実に計算間違えをするリスクが減る。

計算というストレスから自分自身を解放することができ、その先に進むことができるだろう。机がグラグラする、紙のスペースがなくなる、鉛筆の芯が尖っていない、どこに計算したのかわからない、自分の書いた字が読めない、というような不安が一度自分の心に芽生えてしまうと、集中力は途切れてしまう。まずは、不安要因を極力取り除くために、自分の身の回りの環境を整え、見晴らしをよくする。そうすることで精神が研ぎ澄まされ、数学の面白さは見えてくるだろう。日本のお掃除文化が意図するところがまさにここにあると私は思う。                               (編:渡邉和子)

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