2015年1月21日水曜日

15173 「つまらない仕事」を一生懸命しても、もう何の意味もない?

15173

「つまらない仕事」を一生懸命しても、もう何の意味もない

私の反論(記事))引用 (フォント・カラーは編者).

『企業は不況を脱して好景気に入っても、もう正社員を大量に取ることはしない。多くの企業は、業績が回復しても、年功序列にも終身雇用にも戻らない
それどころか、業績が回復してから逆にリストラをするようになっている。日立化成は増収増益の中で社員を1000人をリストラしている。パイオニアも、エーザイも、みんなそうだ。

それは、黒字の最中のリストラは、企業が「選択と集中」を体力のあるうちに成し遂げようと考えるからだ。社員を早期退職で追い出すためには、退職金を上乗せして出て行ってもらう必要がある。リストラは経費がかかる。
会社の業績が傾いたときにこの早期退職を募ると、弱っているところに金が余計に飛んでいく。だから、体力のあるうちに不振部門を解体し、切り捨て、社員も放逐する

企業は極限までIT化が推し進められ、事務職も要らなくなり、今や管理職も必要なくなりつつある。現場の仕事はコンピュータに入力されて、それはすぐに経営職に分析される。企業は今や労働者と経営者がいればいいのである。

人件費を削り取るのが、最もコスト削減になるだから、もう日本人の多くがサラリーマンやOLでいられることができなくなる。いつでもクビを切れる非正規雇用ばかりになっていく。会社はコストのかかる正社員を必要としていない。

グローバル化が極度に推し進められ、モノ言う株主が増え、企業の経営者は誰もが極限まで利益を絞り出さなければ株主に糾弾されて追い出される時代になっている。
だから、経営者は気が狂ったように利益追求とコスト削減に邁進する。そのコスト削減が、リストラに直結する。人件費を削り取るのが、最もコスト削減になるからだ。
もう終身雇用の時代ではない。それどころか、経営者の仕事は無駄な社員をひとり残らず会社から追い出すものになった。

今、私たちは時代の転換期にいるのに気が付かないと、後で蒼白になる。もう、サラリーマンであることは、安定した生活であるとは言い難い時代なのだ。
いまだにサラリーマンになって「つまらない仕事」でも一生懸命にやれば生きていけると考えている人が多いが、それが一番生きていけない人生になる。

資格を取ろうが、残業に邁進しようが、上司にゴマをすろうが無駄だ。企業が社員を必要としなくなっているのだから、経営者候補のエリート社員でもない限り、その多くは会社にいられなくなってしまう。サラリーマンは非正規雇用になり、使い捨ての労働者と化していく。もう、そうなっているのである。

なぜ、今はつまらない仕事が報われないのか?
これからは企業に雇われるというのは、「使い捨て」にされるも同然になる。これは、「つまらない仕事」を一生懸命しても、もう何の意味もない時代になったことを意味している。

以前は「つまらない仕事」をすることによって、目をかけられて将来は大きく報われた。
「つまらない仕事」はそれがつまらないものであることを誰もが分かっている。だからこそ、そんな「つまらない仕事」を頑張っていると評価されたら、「いずれ」は引き上げられた。
年功序列の終身雇用だったからこそ、その「いずれ」があった。使い捨てにされるのであれば、その「いずれ」はなくなる。つまらない仕事を延々とやらされた後、報われることもなく使い捨てにされる。

終身雇用も年功序列もなくなった今、「つまらない仕事」をしても報われるどころか、そのつまらない仕事が消えたらすぐにリストラが待っている可能性も高い。       自分を評価してくれるはずの管理職の上司も、一緒にリストラされるかもしれない。そうすると、「つまらない仕事」をやらされていただけ損するということになる。もう、「つまらない仕事」を延々とやっても割に合わない時代がやって来ているのである。

いずれ報われると勘違いして、そのつまらない仕事を延々と続けていると、本当に報われないと分かったとき、大きな落胆とショックに見舞われる。
日本の鬱病患者は2008年の時点で100万人を超えている。

どこの職場でも心の病で長期休職に追い込まれている人が存在し、メンタルヘルスの重要性が叫ばれている。それは、こうした厳しい社会情勢の反映であるとも言える。
これを逆に言えば、もう「つまらない仕事」はするなということになる。

何を第一優先にしなければならないのか?

ところで、興味深いことがある。人間はひとりひとり性格が違い、適性が違い、関心が違い、好き嫌いが違う。
自分はそれが「つまらない仕事」であると思っても、他の誰かはそれが「面白い仕事」と思うかもしれない。反対に他人が「つまらない」と思っている仕事は、自分がしたい仕事であるかもしれない。

適材適所という言葉があるが、人間は誰でも自分の適性に合った仕事につくのが一番幸せになれる。その仕事を、自分で探し求めて、そこに自ら動かなければならないのである。

かつては、ひとつの会社の中で、適材適所の仕事に巡り会うまで異動するのがサラリーマンの生き方だった。しかし、これからは自分の適性に合う仕事を、会社を超えて探さなければ生きていけなくなる。

一言に言えば会社を選ぶのではなく、仕事を選ぶ時代になっている。会社名や規模や収入で選ぶのは間違っていて、やりたいことをさせてくれるかどうかで選ばなければならないのである。適性に合った仕事をしていない限り、人生をうまく渡っていくことは絶対に不可能だ。この原則から外れると、いずれは精神的に追い込まれていく。

どこかの企業に入っても、雇われている限りどのみち「使い捨て」にされる。使い捨てにされたとき、その後は独立するにしても、違う会社に入るにしても、次も適性に合った仕事を常に選べる人生にしておかなければならない。

適性に合わない仕事は長続きしないし、人生の無駄になる。適性に合う仕事をしていれば、長く続けることができ、専門家になり、やがては「生き残る人」になれる。
「つまらない仕事」を一生懸命しても、生き残れない。それは、昔の生き方だ。』


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(私の意見)

一寸待って下さい、つまらない仕事の中身が、意味があるか、無いかが重要です
誰がやっても同じ答えが出るような仕事なら、できれば私はそういう仕事は避けます。だがその仕事の目的や意義が分かれば、急に興味がますことも少なくない。
それが統計や業界の推移、人口1人あたりのトレンドを調べる仕事でしたら、興味をもって暫く我慢してやってみてはどうですか。比較や分析ができれば、必ず求められる職場があるはずです。

暇をみては1日2時間も携帯を使う無駄をやめよう。極端なことをいえば携帯はしょせんはのぞき機能です。人の仕事や時間の遣い方の覗きではありませんか。(いま、どこ、何してる)を禁じたら殆どナニも残らないといえば言い過ぎですが。世の中の全員が繋がっても、何も考えていなければ意味がない。意味のないことをやって安心しても仕方がない。何も生まれないから。明日から、世界を相手に、何をするかではありませんか?


つまらない仕事をどうすれば興味をもつ仕事に変えられるかを考えるのも、あなたの仕事かも知れないのです。よく言われるのは、子供のころはまずいと思ったものが、大人になって旨いと感じるようになる。その味を皆がうまいと言っているようなとき、「食わず嫌い」だったと気づく。自分が嫌だからと人に押し付けても、その人も嫌がるようでは、貴方は人を使うことが苦手になるかも知れない。人が使えないようでは管理職やオーナーは無理でしょう。


請求書をつくるのは営業の仕事ですが、経理ではそれを調べて、入金をチェックします。振り込みもあれば、小切手払いもあるから、機械化できない。どんな会社でもやっている、多分1番重要なしごとです。ところがこれは単純労働だから、高い給与は貰えない。『下らない雑用の1種だ』と担当者をあつかえば、本当に下らない人間になってしまう。それはあなたの扱い方でもある。


昔の職人の徒弟制度が崩壊したのは、面白くさせるより、苦痛を我慢させる方に喜びを感じている人間を沢山つくり過ぎたのではありませんか。『艱難辛苦をわれに与えたまえ』『滅私奉公』『死ぬまで頑張れ』とかで、我慢をしすぎる社会にしていった。ちろん我慢も大切ですが。

いまEUでダントツのドイツでマイスター制度が続いているのはなぜか研究してみてはどうでしょう。

見方を変えたコースが幾つかある


シカゴの北西郊外での産業振興会議があり、そこでメーカーやプラントの製作に、溶接技工士が足りなくて、イリノイ州だけで1万人不足していると州政府の参加者がいいます。ただの叩き上げの職人ではなく、キチンとした教科にそって実務付きで短大と連携し、今の溶接工は8段階くらいに分かれたプロの世界。鉄・ステンレス・アルミ、特殊合金と経験と知識が増え、教えられる人は短大卒の資格を得る。平均でも750万円年俸に等しい職種だと。


ならば、20歳でそのコースに入り4~5年で5段階に達し750万稼げば、正規の職で10年掛かって500万円稼ぐより、4~5年早く同じ年俸に達する。

そこからは、例えば不景気が3~5年に1度あるとしてその度にやめて、休暇をとり家族旅行を1~2ヶ月して、残りは溶接工程全体の計画や中間管理まで短大で学んだり、まったくちがう歴史や文化を学んでもよい。転職時間もできる。それでも1年分の貯金が30歳前にできている。

1月20日オバマ大統領は年頭教書の議会演説で、短大までは国の費用でというプランを発表する予定ですが、そのコースにはこういう若者が頭にあると考えられる。

日米で溶接工が足りないとすれば、私が提案したいのは、東北からシカゴへ、シカゴから東北へ2~3年ずつ交換でゆける制度を作ってはどうかということも含めた、教育の流動性・柔軟性です。東北から東京近辺へでて、もし介護サービスが嫌いだという人が、年寄りの世話をするより、イリノイで溶接をやりながら、他のことを学んではどうかということ。

むろん英語は必要で、日本に行く米人も会話と限られた専門の言葉は日本語で身につける必要がある。そうなれば、日米のよい習慣を学んだ若者がそだつだろうと。









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