2017年10月25日水曜日

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総選挙と市民の目線がない9条議論

希望の党と総選挙
米国でトランプ氏のいうフェイク・ニュースが日本でも流行し、メディア人が選挙運動で聴衆にまじり、プラカードを掲げてヤジを飛ばしたり、妨害するなど選挙法に違反することが平気で行われていて、報道が左翼化してかたよって意図的なものが多いなど。
NHK以外の民放では、週日の午前中からいわゆる韓流ドラマが2局で復活して放映されている。カソリック系の多いシカゴでも、アイリッシュやポリッシュの母国ドラマはまれにしか見ないことに比べると、やや奇異な感じをうける。なぜ映画大国のインド映画がマレなのだろう。

昔とちがってただ「お願いします」の連呼だけというのは減って、候補者と選挙民の立ち位置が非常に近づいてきて、政策を訴えるものと、そうでない候補者の見分けが、可視化されてきつつある感じだ。注目した「希望の党」の場合は、残念ながらやたらにカタカナ表現で中身がないブランド宣伝の感があり、嘘と政策が見分けやすく感じた。

人の支援にたよらず生きる米国では、補助金よりは職さえあればという自立したい市民が多く、それに依存せず抜け出す努力させる方向に支援する政策があります。しかしどんな組織でも、長期の目的と短期の目標とがあるはず。時間がなかったのかもしれませんが、それに飛びついた人も、実社会での経験がすくなく、これで自民党の対抗ができるわけがないとおもわれた。
 
最初から1党支配は許さないというだけでは駄目だろうと感じます。自分が対抗する能力がなければ『ナゼ貴方に?』が欠けるからです。国内で個人攻撃をして焦点をぼかしても、何の解決にもつながらない。(部品屋から始めるなら、特意な1品から始めるほかなく、何がどう優れているかの品質でなければ、納期が短いか価格がやすいかしかない)
                                        中国のようなマンモス国有企業群をたばねて、南シナ海に何か所も人工島で軍事設備を設営する国に対し、どういう戦略で自立しようとするのか。国内で税収をどうわけるかという議論に参加したいというだけでは、中身を増やす話につながらず意味がうすいのです。
その意味では立憲+民主という明治時代のような名前で、数だけあつめたい、あとは誰でもいいというスタンスも長続きはしないだろうと見える。

憲法は国を縛るためか
憲法は国の在り方の基本をきめるもので、国民のために創られたものです。
野党に職を与えるためではない。国民にとって1番大事なのは、まずは生命をまもってくれること。次に職があって衣食住が行えること。国民の幸福の追求はその後でしょう。この議論が1名をのぞき誰からも聞こえなかった。
国防が予算不足で、反撃するミサイルも銃弾も不十分な現状、つまり国民の生命が脅かされている状況では、9条があるから自衛隊は専守防衛だけだという主張をする左翼は、すでに危険が迫っているのに、国も国民も守る気がないと透けて見えてしまった。

米国から防衛と訓練のため送られてきているヘリコプターなどは、どこから持ってきた中古機か事故続きで、兵士の訓練も十分ではなさそうだし、新品に取り替えて、兵士の操縦訓練にも補修訓練にも日本人を参加させテストするべきでしょう。

幼児の託児所の費用や、高齢者の介護の予算も大事ですが、国防はそのまえにもっと重要だという主張する政治家が1人もいない。嫌なことは見ないふりをすればよいか?
『それで戦争は無かったではないか』という党首もいますが、その間に北は核を持ち水爆や大陸間弾道弾ICBMまで開発されている。
それで日本の安全性がますなら良いが、ミサイルが上空をとんでいれば、だれが考えても
危険が増している。そういうと当選しないからで、国民にも責任がある。守る気がない国民を米国民が命をかけて守ってくれる筈がないのだという主張が欠けている。すると日本は危ないから、海外に会社も工場も移そうということになる。つまり命ばかりか職の安全も危うくなりつつある。ここ数年で何百人もの日本人インターンがシカゴに滞在して議論してきたのは、そうした危機感があるからだろうと感じます。

森友・加計疑惑とは採算度外視でよいのか
米国でこの話を聞き、この春に始まって総理を追い落とそうという国有地の安価な払い下げ問題は、真相は訴訟で事実を調査せねば分からないだろうと思います。
というより、慰安婦問題で売春婦を強制的に兵士の慰安に駆り集めたとするねつ造事件と、似たものを感じており、素直に、総理がけしからんとは考えておりませんでした。ちょっと話が跳ぶように聞こえるかもしれませんが、1936年ころの韓国は日本に統合されており、平均月給が40~50円の時代に、5~6倍の月300円の給与で新聞募集された女性たちがいた。彼女らは強制して募集する必要があったのかという常識で考えればおかしな部分を感じるからです。(けちな金の話をする気はありませんが、米人には妙に説得力があった気がします。)

1人の議員の経費が2億円/年として、700人としても1400億円です。年200日議会を使っても2憶x700人割る200日=7億円/1日かかるわけです。これを1ヶ月20日としても2つきで40日=140億かけて議論して、誰が儲かるのか。間違いなく国民ではない払い下げた8億円が高かったか、安かったかを100億円かけて議論していたら、民間企業は倒産です。こんな議論ばかりしていて良いのだろうか。
こういう経済性というか採算を無視したことに金をかけるのは、けいざい無視の政治てきな議論でしかない。個人が違法なことをしたのなら、司法のばであらそえばよい。無いことを立証させる議論は、国会でなく司法でやってはどうかと考えるのです。証拠がないからねつ造とは言いませんが、隣国とやっている議論に似ていませんかとだけ申しておきましょう..

中国・EU他ますます緊張する国際社会
既にドイツでは難民問題でメルケル氏の寛容な受入れに反対する極右に似た政党が3位に上り、オーストリア他でも若くて強い指導者が上がって来ております。        中国は1党で習独裁があと5年いじょうの長期政権になった模様です。日本も1国だけで解決できなければ、国際社会で負けずに協力網をつくれるリーダーを育てねばならないのです。鉄砲を持っても実弾を支給しないとか、銃の使用を制限するのではなく、国民に銃を向けたら厳罰に処すという法をつくり、守れる体制と訓練を施行し、守れないなら処置をできるようにする。何年も党派間でえんえんと議論だけしている議員さんは退場してもらう。9条を利用して野党が職の安定をはかる、金と時間をムダにして、のんきにしていられる時代は終わったのです。

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