2018年11月6日火曜日

181103 貢献の始まりは心に壁をつくる大損をやめる(2)


181103

貢献の始まりは壁で時間の損をやめること(2)

40余年ぶりに戻って1年たち、この国のよさを実感し、同時に弱点が色々目につき始めた。たぶん長いあいだマーケッティングの目で、米国で競争社会や市場を眺めてきたからだろう。政治リーダーや議員には、改善点の期待する要点をのべたので、ここではビジネスマンや教育界の人達に、1番大きな改善点と思うことに触れたい。養老孟氏のOOの壁は心の壁に触れているが、一番の壁は、思考のじゃまをする部分で、細かい制度が効率を上げ難くしている点である。

議事妨害も生産性の上がらぬ職場放棄

どうでも良いところに壁を作って仕切りたがるのは、政治家でいえば野党の議員が、自民のなかでの差別化をして分裂をはかる議論。
例えば、11月20日からの「年末までに通したい」といえば「時間がない」、「外国人の労働者の問題は、だいじな案件だから時間をかけて、十分に議論すべきだ」というが、「週に3日、専門家の説明だけは聞く」「いま急いで議論しなくてもいい」。
一体議会の運営は与党がやるのか野党なのか。多数決はどこに行くのか。
憲法議論でも極左との裏での合意であろうが、「憲法は与党が変えるものではない」
「野党が提案した時、与党がそれを受けて議論すべきだ」。
「大体、立法府がやるべきことを、行政府の長が決めるのはおかしい」などとBSフジで議論するが、自分の党の存在をPRできる番組には出て、議会は3日しか出ない。
議員の中にも、尊敬できる方々が多いが、少数のこういう国民軽視は、職場放棄であるから、議員の給与カットを言い出す監視者がいてもよい。

国民は平等の名のもとに一律に、同じ教育をやり、そういう時代は終わったのだと、自分たちだけが勝手をするのは、監視機関を設けても良いのではと思う。

心を狭くしているのは他人の目
KYとか「空気を読め」とかいうのは、メディア人が作ったPR用語だろうが、余りにも女性的な丁寧語を男が使うようになっている。実際の女性は思ったことを割と気にせず、ずばずば言う人が多い反面、スポーツマン以外の男性は、やけに用心深く言葉を選んでいる。男女が入れ替わったのだろうか。そう思ってみると、TVに登場する男女だけの現象かも知れぬが、人の目を気にしすぎて委縮しているだけだと感じ始めている。     大づかみに俺はこう思うという意見を発言する勇気や、「これがこけても死ぬことはない」という度胸かが足りなくないか。考えた意見を言うのが。そのグループや仲間への貢献の第1歩であると教えるのだ。米国などは黙っていたら掃き捨てられるのだ。

85年からの為替の2倍への切り上げと、97年からの就労者の減少がダブルパンチ
それは85年には、ジャパンアズ・ナンバーワンと持ち上げて、円の2倍へ切り上げ>バブル>金融引き締め>の連鎖、不動産価格の崩壊、あとの銀行・証券の再編が大きかったと今でも思う。
円の価値を2倍にされ競争力を失ってからの90年代後半に、「世界の工場」を掲げて台頭してきた中国に、家電産業のテレビ、VTR、パソコンなどは投資を移し、呼応したかのような米国の圧力で自動車は米国に工場を移転した。銀行の再編合併による人減らし、家電・パソコン・通信などで、台湾を利用して技術を吸い上げられたこと。
終身雇用は弱体化し、若者の将来への夢と自信喪失などが原因として考えられる。

大企業は消費者トレンドと乖離か
もう1つは97年にピークアウトした就労者数の減少がある。産業界は製造から消費市場に変化し、製造の変化だけでなく、金融・証券の高い教育をうけた人材のサービスへのシフトがあった。それが証拠に観光業をみても、ここ数年は驚くほどの成長ぶりで、8百万人あまりの来日者数が、3倍に急増し成功している。
各地でその町の目玉はどこかが注目できるようになってきている。当ブログでもふれたが、JR系の駅内の標識も天井つりが増え、駅内での通過目標も選びやすくなった。英語併記も大幅に増え庶民的な安くて良質な食堂、カフェもふえた。
だが欲を言えば、街角での通路名はまだまだ少なく、場所をさがす時間の無駄がある。

各人の壁は日本人の心だけ?
国内は安心かとみれば、よく見ると外国人と日本人という差は大きく、ノーベル賞をとった研究者やスポーツ選手が活躍していれば、混血でも日本人だと追いかけ、ニュースになるが、その他大勢の日本人は注目しない。賞の価値しか認められないジャーナリストの自己評価力の貧困さに気づき、なぜ海外に出たら価値が上がるのか、その努力の違いはどこにあるかを考えるべき時期が来ているのだ。

たまたまシカゴ大学に移られ、講演会に来ていただいたガン研究に、(既に大変著名な方ではあるが)患者それぞれの免疫体質や遺伝子をつかい各人個々のための薬品をという、N教授がプライムニュースに登場されたのは本当に嬉しかった。(BSフジ11月2日)
確かめて欲しいが、薬として認められる条件が国により違い難しい製薬業界だが、最近の
日本は、新薬の開発では輸入ばかりで輸出は低位横ばい業界である。本庶佑博士の研究につづき、すべてのガンの予防になれば大きいという。(国立医薬品食品衛生研究所動物実験の適正な実施に関する規程;www.nihs.go.jp/oshirasejoho/ⅾoubutuzikken/doubutuzikken1.pdf)
シカゴの友人MI君の奥さんがガンで亡くなったが、失敗してもよいと同意書に署名して、あらゆる試薬を試しての結果で、本人は思い残すことは無いとの事であった。

他人と変わっていることは良いことだ
ビジネス社会では、競争社会だから当然だが、自分が売りたい商品は、どこが優れているかが売り物である。No.1のトヨタが、これからは売れる車とは別にシェアされる車を造るという。変わっている車は万人に使いやすい車とは限らないから、これからは標準的な移動のツールになるのかなと考えると、淋しさを感じた。             造る人たちが、個々の想像する使用者のために作れるのかな、愛情とプライドを込められるのかなと。それはいわゆる”借り手”でも”ユーザ”でもない顔がある。

米国での違いは、各人が変わっているのが当たり前、いや各人はそれぞれ違ってあたり前という社会である。違いは考えの違いにあり、そこに個性があり、それが自由だから大事にしようとする。外人と米人の違いは余りなく、あるのはこの国へ後からやってきた人たちだ。人間としては同じだが、後から来たから一番うしろに並んでくれ、という訳だ。割り込む人間は嫌われ、見下げられる。
「日本品は優れているから買ってくれ」と言っても、               「データはあるか?」「良いか悪いかは、俺がテストして決める」というのだ。
品質の良し悪しだけではなく、「修理する時は、どこに行くんだ。保証期間は?」
テストレポートを出しても、「第3者のテストでなければバイアスト・オピニオン(偏向した意見)だ」「悪いものを買えという奴はおらん」とされる。

米国は誰一人、言葉だけを信じて言われるなりに買うバカはいない国。電話での詐欺などぜろだろう。いや、バカでも科学的・実証的なのだ。私が言われて感心したことは、「日本人が作ったというから、良いに違いない」と最近は言われるようになったが、この評価も脆く、この2,3年で大きく傷ついただろうと感じる。
「一生働けない会社なら、バレないなら、手をぬいてもいいだろう」という2流レベルに下がったという事になっていないかだ。
『検査人が検査を見落としてどうする』と皆がぼーっとしていてはダメだと。
「自分が個人商店を開いたと思い、プライドの持てる仕事を、一生懸命やってくれ。」「出来てあたり前」というお客様は神様でなく、「出来たら感謝し敬意を払うから」と対等で、個々に温かい関係を、外人も含めて、つくり始めるしかないという事だ。

価値の再構築には国内の外国人をフル活用
何度もくどく訴えてきたのは、日本人は自分で思っているほど真面目でなく、自分の持っている日本の価値を知らない。いや考えたことがない。
ここ2,3年こそ天罰が下ったような天災地変こそあれ、米国のような厳しい竜巻(台風の2倍200Km/毎時の数と風速)も山火事もなく、銃の乱射も殺人もない。
あるのは日本が好きで、日本に住みたいと思っている中産階級の子女たちで、日本人より日本の良さを知っている人達である。何故なら母国の文化と日本との違いを比較して考えたことがあり、楽しいブレンドを1度ならず考えたことが有る筈だから。

職位で要求する関係だけだと外国人と心の交流はできない
足りないのは、外国人をどう統治するか。最初に厳しいルールで納得させ、署名を取る。定期的に犯罪の有無を報告させ、転職を追跡できる仕掛け(ルール)と納税報告など、米英によい先例がある。更に言えば、ガバナンスの欠如、公私混同に弱く、仕事は教えたがらぬ自前主義という人が多い。プログラミングより職人的なのだ。
経験の方は米英の経営経験者などで、これらもTPPを利用してなるべく若手の行政官や地方都市の統治経験者を相互に計画的にローテイションして貰うほうがレベルアップして息の合う大海をめぐる輪ができるのではないか。むろんそれぞれの違いへの敬意を維持しつつのブレンドだが。

3年くらいは犯罪さえ起こさねば、寛容に大事に扱えれば、希望者が増え、10年くらいで
かなりの親交国の輪ができよう。そのヘルプとして、混血日本人をグループ・コーチに優先すれば、血の通った社会が構築できる筈と思うのだ。日本語テストで、落としてやろうというような、と言えば言い過ぎかもしれないが、公務員試験や介護ヘルパーへの要求、風俗習慣(納豆、塩辛、小魚のハラワタを食べろなど)を押し付けず、オリエンテーション期間3か月などで、ゆとりある駆け込み寺付きな運用が期待される。

すでに行われていることに魂を加えられれば、上手くすれば、軍人やライフガード、武道指導者なども同様に育てられ、世界大会に準じたものが可能になるかもしれない。渋谷に集まった子供抜きの仮装ハロウィーンよりは厚みがまして、好ましい地方色が増したものになるかもしれない。




0 件のコメント:

コメントを投稿