2021年7月8日木曜日

自分の最後の姿を描く  寄稿 下村和宏氏

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自分の最後の姿を描く

2021/07/01 23:22

昨年結婚した娘が小学校時代に作った家系図が我が家にある。私と妻の曽祖父母の生年月日まで記載されている。アメリカは移民の国だ。アメリカの家庭にはどこにも家系図がある。先祖がどの国の出身で、どういう理由でアメリカに来たか、みんなよく知っている。

娘がいなくなった部屋に残された家系図を眺めていると不思議な気持ちになる。会ったこともない自分の曽祖父母が遠い世界から自分のこと見守ってくれているような気持ちになる。あ、これがお天道様は見ているという意味なのかなと。会ったことのないご先祖様が急に身近に感じられるようにさえなった。そこで、母に曾祖父のことを聞いてみた。始めて聞く曾祖父の話は大変興味深かった。

曾祖父はなんと弁護士で町長さんだった。非常に忙しい人で、仕事に没頭していたらしい。いろんな人が田畑や森林を担保にお金を借りに来ていたそうだ。最近になって市役所から連絡がきて、いろんなところに曾祖父名義の土地がいまだに点在していることがわかった。非常にお酒が好きな人だったらしく、様々な武勇伝があるようだ。母の父親(私の祖父)はそれを見かねて、自分の娘は絶対に酒飲みと結婚させないと固く誓っていたらしい。しかしその決意は4女(私の母)で挫折。母はとんでもない大酒飲み(私の父)と結婚し、曾祖父の酒飲みの遺伝子は私、娘に脈々と受け継がれ、ここアメリカで生きている。

そう遠くない未来、私が母から曾祖父の話を聞いたように、娘たちはきっと私のことを子供たちに話すだろう。そして彼らはまたその子供たちに私のことを話すことになるだろう。その時必ず出る質問は、彼らがいちばん知りたいことは『私が何をするためにアメリカに来たのか』だ。

娘たちは私のことをどう伝えるのだろうか。いやいや、そうではない。「娘たちがどう伝えるか」ではなく、「私が娘たちにどう伝えてほしいか」を考えたほうが良いのではないか。「私が娘たちにどう伝えてほしいか」と考えることで、生きる姿勢や目標が変わってくるからだ。そして、この答えこそが“自分の最後の姿”だ。

“自分の最後の姿”が明確になれば、それが必然的に自分の中の“成功の定義”になる。それは自分の中の憲法のようなものかもしれない。そうなると、日々行っていることのなかで必要なこととそうでないことが明確になってくる。迷ったときには自分の“成功の定義”をもとに判断できるので、決断も速くなる。幸いなことに、私にはまだ20年くらい時間が残されている。私の残された20年の目標は自分が設定した“成功の定義”に限りなく近づくことだと今、考えている。

『文章は書きながら着地点を探すのではなく、着地点を考えてから書き始めてください』
以前お世話になったシカゴ補習校の小論文の先生の口癖だ。自分の最後の姿を決めることは自分の成功の定義を決めることだ。渡米して30年、自分の人生の着地点が明確になってきたような気がする。最終章を書く準備がついに整ったようだ。

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