2016年5月21日土曜日

16020 外国人のうけ入れと付き合える(統治)ルール(政教分離がない人と付き合う際)

16020 


外国人のうけ入れ、付き合うルール


政教分離ができていない国の人たちと付き合うケース)

人とロボットの境界がファジー;
人間には自分(自国)の文化を押し付けることはできない
宗教のリーダーが政治のリーダーの兼ねない国が自由思想国とすると、ロボットは?

海外で外国人に宗教・文化を強制しては人は統治できない。それは他民族の制覇で帝国主義・植民地である。憲法9条ではないが、相手が喜んで採用するなら話は別で、トランプ氏が言うように、『国防を自分でやらず傭兵でというなら金を払え』というのもうなずける。9条で丸腰にしておいて、米国の武器や軍隊を使えというのはムチャなセールストークだ。
むろん『日本は同盟国のなかで1番払っているのだから、3割ぐらいはそちらも自己負担して当然だ』と言い返せばよい。

日本に住む外国人には『日本文化を理解できれば住みやすいから、学んで楽しんで下さい』という姿勢が1番受けいれられ易いと感じる。

同様にだいじなことは、相手の持つ文化の価値をみとめて、相互の敬意をもつことだ。米国とフランスの優れた点と弱点はそこではないか。「どうだ素晴らしいだろう」と言えば、相手は文化の押し付けを感じるのである。
至るところにある神社では、自然の中に神が宿るという古くからの教えがあるという説明でもよいだろう。

日本人には価値観がないと、司馬さんは何度も書いているが、全く無いわけではなく、儀礼・礼節も価値であるし、和というのも上からの都合でなく、対等という形なら価値だろうと思う。
差別といじめで自殺者をおおぜい出しているのは、付き合い方が分からない社会になっているのだろう。あれも駄目これもダメでは、住民は受身になり、住みにくく暗くなる。

観光ビジネスで各県がユルキャラで産物を売るのも、子供向けは勘弁してとかんじる。やはり、日本の文化を感じさせるもの、人工頭脳やロボットもソフトでは作った国の思考や文化が反映されているような、ロボットでも自国の文明との接点を考える時期だろう。古里の方言のどれを残すかも含まれるが。

拝んでいたもののない人たちにはどうするか

宗教を自分で発明したり創設する人は希だ。
いや、いるかもしれないが、そういう人は何かの機会で人の知恵をこえたところに思考が向けられた体験者ではないか。殆どの人は生活習慣、生きる価値は教えられ学習している価値だといえる。
では伝承価値としての宗教を持たない国や地域からきた人は、どう扱うのか。宗教の違いで差別しないというのは、宗教を持っている人の間での話であり、持っていない人はどう扱うのか。
   
遥か昔中国の1部には、紀元前の戦国時代に孟子(孟子車;BC372278年)が現れ、儒教をまとめ上げたといわれる。天に神がいて地上の世界は王が治める。神は気に入らぬと天変地異をおこして王はとりかえる易姓革命ともよばれる
今は信仰をはなれ、天皇が代わると時代(暦)が変わるように日本で受け継がれている。
私の限られた知人の中国人で孟子の話は知る人に会ったことはない。今は王政を党におきかえているが、ルール無視では無理がある。(自分が決めてルールをつくり、その裁きも自分というなら、独立した司法の存在の必要性がわからない民度である。)Mencius;孟子の時代

インドもそうだが『八百万(やおよろず)の神を信ずる宗教がある国は、神だらけで何も信じないのと同じだ』と1束に分類されるのもおかしい。祈る対象があれば、ない人とは同類ではない。
東洋の生きるもの全てに神が宿るという信仰は分かりやすいし、1神教であるべきともいえない。ギリシャやローマ時代でも、アジアの多神のような時代もあった。会社で働くフィリピン人の母親は、「子供を守るために宗教は必要だ」というが、日本でも子育ての神も大事で、自殺を防いでくれるだろう。

厄介なのは人間であり、神だけではこの世は納まらない
  
人の統治は、法律であり地方の生活ルールに沿って行われる。先進国では宗教があることを前提に、政教分離されている。法律は人がこしらえたもので、それは歴史的に変化してきたもので、それを学んで従っている。ルールを国民(住民)参加でつくるのが民主主義。伝統に対し破壊的な宗教には警告を発するのは、移民を受入れる国民の総意であれば、従わせるのは条件に出来る。

この例外は難民であるが、受け入れで特に気をつけるべきはこの点であろう。つまり人道上の観点だけから、安易に受け入れを押し付けることはできないのだ。
受け入れには当然の衣食住やインフラコストが発生するから、住民の総意で決めることになる。自国にホームレスや乞食を抱えながら、難民や移民を優先して受け入れるには条件が要るのだ。

その条件は、受入国の法律やルールを守ること、それに、受けいれ地域に何らかのプラスになる能力をもっていることだろう。ルールを無視する人は社会から排除し、罰則をもうけて刑務所に入れるか、送り返すしかない。ここが緩んでいると、際限なくつけこむ風潮がうまれるから、もう少し厳しく法治を強化すべきではないか。

外国人と付き合うと生活のルール、法律が必要だが

何度も「ルール=法治」を持ち出すのでうんざりする人もいるだろうが、理由はグローバル時代とか外国人との付き合いは、英語だけ知っていれば済むという日本人が多すぎると感じるからだ。ルールや法律は異文化の人たちと交わる上で欠かせない。そして説明には、日本の文化や歴史の1部を日本人も少し説明できると、ルールだけで強制して衝突するのを避けられるからだ。

何でもルールをというと面倒だと思われる。会社の仕事や町内会の付き合いで、あまり細かなルールは作らず、そこし柔軟な解釈ができるほうがよい場合も多い。例えば、昼食は12時から1時の間といるルールがあっても、急ぎの仕事や子供の急病があれば、それを優先してもらったほうがよいだろう。
日本人はあまり価値観を教えないできたが、AIのプロ岡野原氏によれば、細かなルールより「考え方」を教えるほうがAIには適しているという。ならば、日本人はAIと相性が良いのかもしれない。

町や村にレフリーや仲介役をつくろう

ただ勤務ルールを破るさいは、管理者の上司には1言断って了解を得るのが常識だ。管理者としては、「あいつだけは例外ですか?」とか陰口や不満がでないですむ。これは外国人社員が入った場合も同じで、そこを「アウンの呼吸」空気を読めといえば、ルールが消えてしまうということ。AIの時代になっても技能はだいじだが、それはモノに結び付くだけでなく、心・精神が忘れられたら、ロボットに置き換えられてしまう。

サッカー、野球、ゴルフでも必ず審判がいるのは、ルールをマニュアルで厳しくしすぎない代わりに、判決をする人をおいている。そのスポーツに興味を失わせない程度の時間内に決めようという知恵がある。
だから会社の中や町内に外国人が加わっても、物怖じせずにそういうルールを、予めきちんと説明するほうが、住民の人間関係はスムーズである。特に警察官、消防士、市役所の苦情係などが慣れていると、町の魅力がますと思う。
外国の専門人材を入れる特区をつくると聞いて喜んでいるルールや考え方は、最小のグループ=家庭の中ではお父さんの役目だ。執行役員はお母さん。
相撲のしきり直しなども大分簡略化されて、見物するスポーツとしては、外国人にも飽きられないスピードを取り戻している。

芸術家は変人が多いが、あるアーチストが『赤といわれたら、赤い絵の具をそのまま使って塗るのではいけない。他の色をくわえて、貴方の個性ある赤を作りなさい。できれば補色を少し混ぜると深みのある赤になる』という意見を聞いた。なるほどと納得できた。どこまでが赤とよぶか、境界はファジーになるが、そういうものだろう。

今もっと厄介な難題が生れつつあるが、それは人工頭脳(AI)やロボットが増えてくると、それをどう扱うのかの問題がおこる。外国人のブレーンを持った人造人間だが、これは後述したい。



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