220513-追記(5月22日)
2020513-追記(5月22日)
過去の事件の(行政の)解放は数学や方角サインを増やす
(デジタル化は目安をつくれて悪くない)
発見されたのは、片方ずつ見つかった青色のスニーカー、同系統の青いソックス、黒いハイネックの衣類である。上から流れて来たかも知れないという。夫々が、どれほどの販売量かは推測でしかない。(出典:https://ranking.goo.ne.jp 児童数は漸減中だが、総務統計では1学年の小学生の平均1学年の最近は103万人として細かくブランド別の概算は出るのだろう。(グラフはレセマム引用)
ここでは市場調査の考えから離れ、少し大雑把に考えるとして、学童は年に2足/人/年の消費と推定し、ブランド選択はスニーカ6種、色(又はデザイン)選択を5種、ソックスも同数と仮定する。ハイネック上着も同じくブランド6種、色5種とする。 ブランドのシェアは考えないとする。 スニーカ;1/2x1/5x1/6=1/60、 ソックス;1/30、ハイネック;1/30、
したがって、このブランドと色(デザイン) 総種類は1/2x1/30x1/30x1/30=1/54000、 靴とソックスの色は合わせるなら1種としても1/1800、 少ない概算でも2千分(1800)の1から、54千分の1になります。 あと2品も出てくれば同学年児童の総数を超える確率になってしまう。 (昔のように携帯品は名前を付ければ探索日数・コストはグンと減らせます。)
このような確率で、その日の服装と合致する人が現れるのは、2千分の1から4~5万分の1のチャンスしかない事になります。考え方と計算の正否のチェックは、若い方もして欲しいと思います。大差ないということならば、そのような少ないチャンスにも関わらず、遺留品(本人が生存していれば別です)が山中で発見されたことは、奇跡とよべる、山の神のお助けも授かったと感じられます。後悔が消えることは無いかも知れませんが、神仏に感謝して早くお元気になって頂きたいとお祈りします。
・・と書いたところで、失踪少女のミトコンドリア検査での結果は母親と「親類関係であることと矛盾しない」との結果が5月12日に発表されました。 この発表の表現は理論の世界のもので、どうにも母親の気持ちにそった世論に忖度したあいまいな表現であり、ピンとこない答えかたです。更に捜索を続けるという。 14日に別の肩甲骨の骨のDNA型が、その母のものと一致したと日経で知りました。
ここまで聞くと「ならば、これ以上に探索する必要はなく、どこまでの確率で死亡したとして探索を止めるかという問題になりそうです。」真実の究明のために掛かる費用は、税による法的な「国民の命を守る筈の憲法」を超えてしまうかと心配になります。都道府県の自治体の警察予算とすればです。それでも生きている人命の救済費用と、死者のご遺体・遺品の発見費用の比較という、判断の領域の違った「政治の判断」で何らかの検討はしておいた方が良い事になりますから。
生きている人にはいくらまで予算を使い助けるかという医療上の判断か、外国人から守る国防予算か、でもありましょう。北海道の観光船の難破事故での船体引き揚げの費用の方は、十億を軽く超えるという噂もある。生きている内の予算が限られ、亡くなればもっと予算が下りる(使う)というのも、おかしな話になる。
「武士とは死ぬことと見つけたり」の葉の裏返しの現代に、「死ぬまでの限られた時間を、できる精一杯に一生懸命生きろ」、と若者に期待する高齢者が、生きている者には 「すべては自助で」というのも酷な話である。 確率的に1万分の1となれば、捜索は免除して良いかもしれない。むしろ迷子予防のた め に、山道の3つ角、4角には、日本語だけでなく、英語他でも行く先表示の杭でも増やせたら良いかなと思う。
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