2024年1月17日水曜日

240116(1) 国際人になる心がけ;私の体験とアイディア

 240116ー追(1)


国際人になる心がけ; 仕事を変えて複合事業で社会が変わる     

若くても知恵を絞って社内外JVでプロジェクトができる

 私の体験とこれからのアイディアー(1)

どの産業界でも、作業量・スピード・コストを測る努力は欠かせない        具体的にどこで視野をひらけばチャンスが見えるか実例でお話します。40年も仕事をして、こんなものかと言われるのを覚悟で、お話するのは、一言で言えば勇気をだし「何か新しい事で貢献したい、させて下さい」との気持ちからに過ぎません。   学生時代に友人たちの勧められ輸出で国を助けようと総合商社に入り(製紙プラント担当から)30歳まえに、米国の機械産業の中心とされたシカゴを選び、10年間シカゴに駐在した経験があるからです。本音は私の予算は少ないので、アメリカさんマネジャーは雇えずアシスタントはOK。勝手な事はさせない、と失敗はさせない、許さない。)日系企業では最初は失敗しない方が良いと感じている。

 着任した秋の連休に、ドイツに続き日本円も為替切り上げがくる筈と小論を提出。 60年代末の機械産業の主流は日米ともプラントではなく、乗用車や家電品、産業機械の時代になっており、トレンドとして企業から消費者の需要に、量産品と少額化に移っていたのに気付きます。       翌70年から対日輸出担当を始めました。分らないがNASAからアポロ11号電池フュエルセルのサプライヤーリスト資料を入手したが、利用・応用には早すぎで2万社位の中から探す時間もスタッフもない。当時はトーマス・レジスターという会社説明の大冊だけの時代に、ネットにパソコンや、ホームページが載っている訳も無く、意味が無かったのです。両海岸を除くと決まりは無く、中西部各地からの日本へ輸出を始めた。(63,110件の「燃料電池」の画像、写真素材、3Dオブジェクト、ベクター画像 |Shutterstock

販売の総合プランには、聞きなれないマーケッティングという学科があり、会社から1ブロック内にマーケッティングで有名なNW大がありました。だが学費が1セメスター(学期)で当時の月給くらいで高い。1回でも欠席は許されず出張もできず、入学許可しないと云われ独学しかない。ゆっくり仕事のあと独学で、4P;製品、価格、場所など基礎を、時間をかけて学びました。それに別に米国法の商取引の特色を4~5項目学び、とても役立ちました。

 顧客別に「理由なく売値(単価)を変えると差別で違法」。合理的理由とは、生産数量による製造コストの違いと、輸送費の違いだけです。運よく日本向けを担当する者はなく、日本への輸入は自動車用コンポーネンツ他などでシカゴ店のビジネスが急増しました。マニュアルを作り米人に渡し、責任者の増員をお願いし、自分は米国むけ輸出となりました。

 マテハンという物流用の電気フォークリフトを始め、建機の基礎;ビルや橋などの地中くい打ち込み沈下を防止するため杭打機;(ディーゼル・パイルハンマ)から始めました。

打ち込むパイル(支柱)が1インチ沈   下する打数で支持力N値の計算式が   ある。写真は中央の左がブローカウ  ンター(打数記録者;白ヘルメット  女性)これが法的パワー保有者;        この打数の記録で、支持力の証明と  確定する)それ以前に土質柱状サン  プルどりは欠かさない。       (建物重量の2倍を何本の杭で支えるか) 軟弱地盤、埋め立て地の例はない広大な国です。 

    日本のシートドレイン法などの詳細は知見がありません。実験する他ないかも知れません。       連続壁工事も始めましたが、様々な場面で指導に来てくれた加藤1級建築士、他土木技師、             

    Tボーリング社植田役員他に教わり、土木の基礎を学びました。傾斜は30以下でない

    と崩れが起きるなど、(今なら国土交通省HPのが役立つ。)地震でビルが丸ごと1本倒

    れた写真 耐震基準改定前の建物と思いますが、解体しないと持ち上がらないなら勿体なく見えます。

浮く建物は可能か?

(ニュー・アイディア)地震地帯で軟弱地盤なら、地下室を箱にして(円形の箱)で浮力  で持たせたら、地上部は軽くして鉄骨で持たせることが出来るかも知れません。最新の構造 は未知なまま、海上に同じことをすれば、建物が揺れで壊れなければ、耐震は四角より円形 で持つだろうが、流されぬように、防波堤の一部に取つけ共用できるかも知れません。) 

悔しいが現場で爆破できるかかは米国と違いだめかもしれない。戸建ての古い家屋は、みな 倒れてゴミ化しています。再生復興よりは50~100戸を纏めコンクリートビル化した方 が安心と言えるかも知れません。基礎はくい打ち、地上の建物は十分な鎹(カスガイ)で木 製でも箱が壊れず、震度7でも耐震にできると云われます。騒音・振動を嫌い、老人が騒音 というからオーガーにすれば安心か。気象の変化で日本でも竜巻もふえ、米国の巨大な竜巻 10、20本連続して起き、また異常豪雨で山崩れになれば、一つの県の行政範囲の人口では、保険会社が数社にリスク分散しても無理だろう。幸い石川県は数件と協同体制もあると きくが。政党になると国交省を小政党で管理しきれるか、無理がありそうに感じます。

明るい方をみれば、マンション住まいは窮屈だが、冬は暖房で快適で、夏も4~5階から上は、殆どエアコンが要らないし、昔30年、今なら60年はもつという。失礼ながら現在の日本は、土砂崩れの危ない事例の展示国で、各県で1020年国債で、居住の基本を守ろうと主張したい。入札辞退されないよう、新興国の人材も計画的な教育と体験訓練させるべきでしょう。

 話しを戻すと、地下壁建設機などの別事業班を2~3つくり(今日風のベンチャー)米国内で中古のタンクを買い工事用プラントにしてレンタル・販売など行なった。製紙業界の経験が役に立った。現場監督も米人もふやし、南米の仕事もすればよい。日本からでは遠く時間がかかりプロを呼ぶよりは国内で安いから時間給で雇えばよい。要点はデータで市場分析、海岸から内部へと物流コスト(海便は陸送5分の1位で安い)まで考えるのが仕事だ。

 タテ型ピラミッド組織の会社より、横にフラットなインド型が民主的か;

産業界はそれぞれ生み出す製品で各業界のルールがある。危険度、安全性、動かす知識などが違う。1つの業界を学ぶため2~3年かかるとして、オペレータなど数人が必要だ。学ぶ時間を費やすより、知見のある社内・社外と合弁会社(ジョイベン)を組む方が速く、同じ効果が得られ、国・会社として得だという考えだ。必要な時だけ手伝って欲しいといいたいが、相手会社・組織のボスは歓迎しないし、「お前は社長か!」の批判もあり、評価で会社員の限界を知った。(年功序列は仕事の合理性より社会の習慣を維持するか否か)

鉄鋼部と共同しNYC地下鉄ジャマイカ駅工事用の地中壁の製作器でのレンタルもできた。批判が出ぬように2事業部がまたがるプロジェクトをと、機械部が鉄鋼部と組むと、たいがいのプロジェクトは許可され、30代が責任者でも許される。                    全体のマネージャーは若年でも、方針の決定が通れば予算と人事は担当するが、日々の業務はチームリーダで、その業種で何年か販売か開発の経験のある人が担当する。 その他に彼/彼女のほかに3~4名のサポート社員の組織で、受注から納入、経理までやってもらう。これで採算分岐点迄引っ張り上げつつ、何とか中心になり他社と(サービスヤ技術で)差別化し黒字にこぎつけるというスタートアップの経験を積むという事。

1社か2社の中堅の顧客の懐に飛び込むと、「やってくれるなら、ある程度の数字になる仕事があるが、自社では増員できない」という会社が見つかり、そこでメリットを見いだせれば、生き延びるという処まで頑張るという事だ。納期が守れて、信頼できると言えるかがカギだ。

今のインドが、70年代の日本と同じ

慎重でリスクを回避し、大きなプロジェクトは許可しない。輸出で稼いでそのドルで少しずつというのだろう。いま数兆円の投資が日本から入り、日本で立証済みのことでも工場建設で製造業の業務プロセスが根をおろせば、勉強熱心だから急速に進歩すると思う。        もうつの壁は15とも22とも言う地方の言葉があるが、英語ですすめば、今は翻訳が自動化しつつあるから、それ程の御苦労はしないで済むはずだ。我々がアメリカで苦労したのに比べれば生成ARがある。

数字統計に基づく議論は反論が少なく理解が深まる;

相手が外国人だと、何より自分の英語理解力が足りないと感じる時に役立つのは、データでモノを数字でまとめ、意見をいうことと分った。Forbes 500、フォーチュン500も各社の決算報告書の収集し、自国品しか入札できぬ州には、不当差別と苦情を伝え、I州の建築基準の公聴会で入札を認めさせた。臨時凍結され入札できたが、落札できず海上輸送の利点を痛感した。米国は海岸100キロ迄は日本からの輸送費が安いと分る。第二の失敗です。

(これは80年代に気付いたことで、日本のただ1つの大きな忘れもの。それは子孫をつくり世界がうらやむ文化を維持する事)あえて言わせて下さいというなら、アセアン・インドの人達を養子にして家族や仲間を増やすことを大切にするか。週に1度カレー食と、米国や英国に教わった法治ガバナンスも必要ですね。

他者と組まぬ現在の日本式の弱点は終身雇用と感じる。NYC向け地下鉄工事をS社と組み受注、チャンスの拡大と限界も察知できた筈で、米国の再建も含める。

自分で決めて何ができるか試したくなった

米10年の節目に退職; 進出企業向けコンサル開始した。企業サイズの順位は売上か、総利益か、雇用数か、年功序列・終身雇用の人材のむだは、議論は割れていた。「大きい事は良い事だ」というGM、エクソンに満足できずコンサル会社も日系レンタルN社の社長と組み創業。最初の商品は、建設現場向け移動式トイレの日本向け輸出K社長は各支店長・幹部の意見を聞くまで、自分の考えは明かさない。間違いない需要(ニーズ)があると(大阪いがい)支店長達がが調べて主張、「そこまで云うなら」と賛成する形でスタートした。理屈だけでない調査で確信して「自分達が決めたから成功させたい」と頑張る意気込みが違う。多くの人使いの知恵を学んだ。マテハン(物流機器)、鉄鋼部との協業、対日輸出はそれぞれの責任者が引継ぎ、建機も主力のバックホー事業部分は引継ぎ者ができ手離れした。

当時の大企業の上が下の承認申請・許可する役所色とは似て非なるもの。y 移動式トイレは受け入れられ、10年余で15万棟を越え、レンタル会社の努力が評価されてよい。良いアイディアは下から揚げさせよ。いま政治リーダは先手、先手で行動せよ」というが、全体の必要な作業を知らないと、手は打てないもの。地位と権力の人が命じても、行動のチェックと点検が弱いと人は心が動かない。           

むしろ中小企業の方ができる。ただし細切れに発注すると、つなぎ目で問題続出になる。社内で持って行きどころのない仕事は新事業なのだ。問題がおきる大事なことの知識があれば、社内の序列に関係なく、その関係者とドンドン決めて行けば良い。早く、間違いなく進めれば、組織の序列は無い方がよい。

開発の思考・学者の思考は違う;

別な職種の仕事の経験は、学者の亡き父が70年代末の訪米と90年代の長期滞在。K大学への影での指導か参考のため「論文を複数の米大学へ提出して反応を見たい」というのを手伝った。インターネットのない時代、論文に讃頌(しょう)する学者や研究者を探しての意見交換は苦心のプロセスで、意見を聞くのも専門分野の理解に苦労した。鳥の鴈行(ガンコウ)飛行カーブと飛行機のカーブの比較だったかの議論である。

油圧技師の次弟の(98年ころ滞在)では、油圧制御の関連の技術開発と米国人の思考の違いを知った。日本の油圧は思考が仏・ドイツなど欧州オリジナルのもので、半年ほど多数の米人技術者や油圧機器メーカのエンジニアと議論。一般論で云えば視野が日本の事業部長を越え社長並みに深い。その思考の経営者は日本では希とわれる。

開発段階での思考も資金部の思考の会社は目標が多彩で、プロセスの変更(リスクと考え)開発にも無難さを求め、同じ順番を使うことが多い。説明や認可・許可と細部チェックに時間が掛る。少々投資額が張るが、検査と罰則で重点を抑え、実行では納期予定前で終わらせるには、JVとかM&Aは時間節約でその代用だと思えた。

 90年代デジタル・ソフトに出遅れた理由・空白の10;

私は就職後に日本のメーカ大手の思考に学びすぎたか、電気・制御は専門家に任せでいたので、PCのソフト分野に関心を持たず、独立後10年90年代後半まで抜け落ちた。保証期間無しのPC系の機能・性能を保証しないβバージョン、改良費を顧客から費用負担の新方法だった。友人湯川氏から重要性はMSやアップルPCとソフト、通信システム系と、シカゴで教えてくれた。哲学の思考の価値観と受け止め、日本は何を価値とするかの思考そのものが価値の発想が欠けている。

モノと価値の勘違い

モノとしての半導体、設計などは(許認可をとる手間・時間をさけた)理解の難しい仕事はプロに任せればよいと考えがちでした。分析哲学とソクラテスの演繹法、あるいは自然科学と、米の多数決の確率の違いを引きずっている。当事者で生きるには、メディア的な評論家・司会者では不適切な存在です。                共産主義が法の上に自分たちを置く矛盾と同じだ。民主主義は選択と選択理由の説明なのだ(選挙とも呼ぶケースもある)

法治・民主主義が情報産業(説明と報道)に多数決が情報操作され、(あるいはフェイクニュースで味付けされ)法治が解釈(定義の範囲の操作)で揺れ、歴史で正当化される。日常業務でも自分が学び上司に説明し、許可をとる手間の構造が見直され(インボイス制度でディジタル化・自動化?)、金融再編成の抵抗と、中国・韓国に半導体技術が渡り、日米が中国に技術を抜きとられ、抵抗した世紀末だったと今思う。

モノづくり日本が90年代の不況期に時間を利用できず、見えるモノしか注目しえなかった偏見を持った大企業の管理職の考えの盲点で、世界1,2位を争った日本が2005年には7,8位以下に急落していた。台湾・韓国・中国へと技術が流れてしまったと密かに感じていました。実際は渡せという圧力があったのかね。電気というのは金属の加工と違い、理論・理屈ばかりで愛着に欠けていたように思えう。


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