2014年10月27日月曜日

14145 自由すぎる行動と、自由な発想が足りない思考と(1)

14145

自由すぎる行動と、自由な発想が足りない思考と(1)
(細分化を逆転させるには)

組織・制度からの思考の解放

日本の組織をみて既にのべたことを纏めてみた。
年功序列と終身雇用が変わり始めて、果たすべき機能にみあう能力と、従来の年功序列が消えてゆくのを図表にしてみた。

少子化で人口が減る時期には、会社や役所などを効率よく経営するためには、人材の配置転換がもっと自由になる必要があるからだ。
(表の破線は組織内の逆ピラミッドを示すが、この2つの破線のように必要な人数は絞られて減ってゆく。)
同じ社内ならリストラとか肩たたきと呼ばれるが、社外では人材資源の解放である。

上の表で示した通り、会社の中での決定や採決は機能別あるいは職種別に分けて見ると、組織の大小にもよるが、殆どの機能は5年くらいの実習と経験があれば、年齢に関係なく、出来ないものは非常に少ない
逆にこれを”専門家”として業種別に分けて類似の規制で手続きを縛られてしまえば細分化はきりがなく、他業種への応用は効かず、非常時には体が付いてゆかないのは明らかだ。(命にかかわる職種、医者や、薬剤師、高圧危機などはご自由にとはできないが。)


自由な思考への制約

① 好き嫌いでモノが決まるのか
人材会社の幹部に聞いた話である。ゆとり生活の世代(*)が18年ほど続いた結果だが、気の効いた会社では対策を取り始めている。(*1987年度~2003年度生まれ、現在13~30歳)
ふつう窓側の席は通常は好ましいランクの高い席だが、勝手気ままに育った世代の美白女性には、日に焼けるから好ましくない。ならば、「日の当たらない席へどうぞ。」
気の合う上司でない人といつも顔を合わせるのは嫌だといわれ、「席は自由にしましょう」。
(社員の好きにという理由でなく、米国の会社でも営業では空いた席で仕事をせよという会社は結構ある。私がかかわった日本のレンタルの会社でも、引き出しを持たせると情報が共有できないからと、引き出しなしの机にした時期がある。)

「ダメなものは駄目」が「嫌なものはイヤ」、となり、それに合わせようという経営者がいる。子供に好かれたい親の作り出した、我がまま一杯の社会である。だが、これは自由とは殆ど関係がない。
なぜなら、自由とは思考の自由が大本に必要であり、行動する自由ではなく自律を求められるのだから、そちらが欠けた無制限の自由はありえない。

② 「可愛い子には旅をさせよ」が忘れられている?
旅に出れば、苦労はつきものである。知らない人には信じがたい話を聞いた。
最近の日本の親は遠足や合宿まで親がついてくるし、それが当たり前の世代だという。要するに暇な親が愛情と勘違いして、子供の自立の障害になっているのだ。
「ついて行かなかったら危険が一杯だから、しかたないでしょう。貴方が責任を取ってくれるんですか!」と開き直られたら、とたんに「公共のために頑張っている」行政に限らず1気に腰が引ける。『何をいうのか。親が子供の邪魔をしないで欲しい』『自分を守れない人間は1人前ではない。そんな育て方をしてもらっては困る』と跳ね返せない。

この世の中はどこへ行っても、危険は一杯なのだ。その責任は親でも代わってやれないから、早いうちから1人立ちの訓練をして、本人が嫌なことも経験させるしかない。幼児期はべつだろうが、父親が優しいだけの母親役をやっていては、子供のためにはならない。サバイバルとは生残ることだが、過保護は、要するに自滅する種の前兆ではないか。こんな時代に、それをつけこむ隣国があれば戦争になるのだ。

③ 好き嫌いはあるが、考えないで行動できるだけ
何かをネットで調べるのは非常に上手な学生が多い。
いえるのは、調べた答えを各種並べて優劣をつけるのは苦手な人が多い点が気がかりだ。云われた作業はできるが、優先順位は何かの規準を考えて、その規準で優劣を比較できなければ決められない。その基準は価値観がないと選べないものも多い。その自分が「何が好きか分からない」ということだと、人間ロボである。人にとっての価値は何かを教える必要があるのだ。

自由な思考ということ以前に、思考しない人をどうするかという処から始めるしかない。好きでもないことをしがみ付いて、何とかやり遂げたというのも1つの実績になるし、人はそういうアホな人が好きである。だから、好きなものが分からないうちは、何でも一所懸命やってみるのがいい。その内に自分が得意な分野が見えてくる。行動は規律をもって繰返すのがよい。

④ 権威が無くなってよいか
今の若者の良いところは、誰もが対等であることで、余り権威を認めないという。しかし、半分は社会に無知で、世界のどこに行っても、その国の人が敬い、尊敬する物や人があることを知らないからである。もう1つは親が厳しく礼儀作法を躾けないせいであろう。(この辺は私も反省している)。

要するに、どんな国でも、その国の歴史があり、それを眺めれば、何を価値としているか、価値としたいかはわかる。社会の上から下まで「熊さん」「八さん」で良いということではないということ。
自分の命を懸けて他人の命を守る人や救助する人への敬意を忘れては、2等国、3等国と言われても仕方がない。その意味からも、余り隣国の低級なレベルの人たちを相手にして、ののしり合うようなことはやめなければならないと思う。

今の日本人は組織のためには尽くすばかりか、社外の被災者のために貢献する気持ちをもつ人も増えた。しかし友人のためにという部分は希薄で、国が頼れない中国人は、友のためという気持ちは上だという。日本人も自立するために、友人は遊びだけの関係から卒業すべきであろう。

ミツバチの巣箱から出て考えよう

上に示した表は、世の中の物事を決める仕組み、機能などをシンプルに纏めようとしたものだが、これを更に業種別のマスを被せると、膨大な数のマス目になる。専門化という面もあるが、機能で仕分けすればどうシンプルになるかを考えて欲しくて作ってみたものだ。

言いたいことは1つ、それは各職場では、頭を使わず作業が出来るようになれば、スピードは3倍以上に上がるから、企業にとっては利益になるから、皆さんを働き蜂にするために、細分化する。ただ、それだけでは給料は上がらない。ではどうするかを考えるしかない。

しかも、付加価値が少ないことを、ただスピードだけ上げてゆけば、時間当たりの労賃が下がるかといえば、必ずしもそうならない。
こんな人たちが地位が上がってゆけば、頭を使う経営能力のない経営者が増え、後進国の低労賃に対抗するために考えることは、残業を常習にして、売上げ利益が伴わないからサービス残業を強いる。それでも駄目で非正規などという階級を作って、貧困層を作ってしまうのだ。

上の表のどこが利益の源泉になるかは、業種ごとに変わるわけではないが、業種によって重要度が違う特色があるから、ここが弱くては勝てないという部分の補強は欠かせないだろう。
長くなるので続きは後述します。

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