2016年8月31日水曜日

16028「帰ってきたヒトラー」は混沌時代の軍国主義の警鐘かただの社会風刺か

16028

「帰ってきたヒトラー」混沌時代の軍国主義の警鐘か
ただの社会風刺か

『「持たざる者」が、世界に対してどれだけ効果的に怨念を晴らせるかという末尾の解説者の根本動機の1言は、世界の現状をあらわす秀れたまとめと感じる。怨念を晴らしたあとに、解決策がないのが困りものだが。(フォント・着色は編者)

ドイツで200万部売れた本の特色

著者の描く成りすまし=実は本物主人公ヒトラーのもつドイツ人の優越感、他民族への差別、ナショナリズム、殊にユダヤ人がドイツ経済の中で利益を吸い上げていたという批判、社会でも家庭でも男性がリーダーという習慣などがドイツ人の特性として著者に限らず共感者が多いのか興味深い。    もっともメルケル女史が首相である現在では、政治だけが先行しているのかも知れないが。
(私個人としては航空科で学んだ父が、1緒に働いたドイツ人は創意に溢れていた話や、自分の部下だったドイツ系社員が、勤勉・忠実さに優れていたなど一目をおいている)
印象的だったのは上下巻末の長い注記である。本書が「面白く書かれた」ユーモアに満ちた書とあり、本当に面白く感じるのは記憶や体験をもった当事者、あるいはその子孫のケースではないかと感じるのだが。
「なぜイスラエルで出版できたのか?」(編集者ロッテム・セラへのインタビュー)も興味深くい。「版権を獲得しようと考えたのは(略)イスラエルとドイツには文化や困難な歴史など、互いに通じ合う価値観があります。」


「この問題作が出版可能になったのは(略)どこかの国で広く読まれている本を読み、内容を理解すれば、その国の人々が抱いている観念や理想、不安や希望について、多くを知ることが出来ます」という意見。
「反対を押して出版に踏み切った理由は? 私はこの本を反ユダヤ的だとはまったく思っていないし、無礼だとも、軽蔑的だとも思っていません。ドイツ人が自身の過去に対して健全な距離をとり、それを笑えるようになったことを、非常に前向きにとらえています。」

読み終わる時に感じた寂しさは日独人に共通するのかも知れない。
それはドイツと日本との読書に対する国民の差と、想像力の東西差にたいしてである。 同じ1冊の本でも超ベストセラーのフィクションとよばれる本書と、捏造と評価された吉田清治「私の戦争犯罪」での日韓の戦後関係との違いである。
オーストリア出身のヒトラーのドイツでの活躍を許した民主主義の選挙制度のもろさ、危険を風刺する本書。対するに男女は入れ替わるが、オーストリア人と結婚した指導者(*注)とその後継者の隣国日本との関係の違いである。(*注;李承晩大統領)
「緑の党」と原発は著者のお気に入り

「民主主義がこの体たらくの中、唯一の希望の光は、「緑の党」という政党の存在だ。(略)終戦後、わが国は大規模な工業化と機械化の波にさらされ、大気と大地に、そして人間を含む国全体に甚大な被害が出た。(略) そして彼らが守ろうとしている中には、私が愛するバイエルンの山々も含まれている(略)。

だが、折角の高い能力をもつ原子力発電をこの党が伝統的に否定してきたのは、全く馬鹿げたことだ。さらに二重の意味で残念なのは、日本での原発事故を理由に「緑の党」だけでなくほぼすべての党が原発の放棄に同意してしまったこと、そしてそのお陰で核兵器をつくる道も断たれてしまったことだ。」とモノまねヒトラーは述べている(p186)。
 
民主主義の弱点は統治者の気の弱さか

ヒトラーがドイツでポピュリストととして、民主的に台頭してくる過程をのべている。
「一般的なものごとを狂信するのは必ずしも重要でないということだ。場合によっては、それは妨げにもなる。たとえば、私がこれまで会ったディレクターの何人かは、純粋な芸術的な意図から、人々が理解できる映像を録るのを拒否した。(略)       
彼の無頓着のおかげで私は、民主主義的に選ばれた議員どものろくでもない仕事ぶりを大手を振って非難する自由を獲得したのだ」(p256)
そこで誰にも分かりやすい事例を著書から1つあげる。                     たとえば「幼稚園の直ぐ近くの道路を無責任なドライバーが猛スピードで走り、小さな子供の命と健康を危険にさらす光景を幾度も目撃している。私はまず、こうした無差別殺人予備軍の映像を、あとで編集するためにいくつか撮影した。」            この録画をみせると、単純なおおくの女性は危険についての意見はあいまいにする。 (反論のしようがない例だから、烏合の衆を集める常套手段ということだろう。) 

だが4人に1人は「刑務所に送るべき」という。つまりドイツでも物事をはっきりとらえ、考え、発言することのできる人間は25%にすぎず、それでもEUではダントツになれるのだ。むろんドイツが製造業を特意とする長い職人の層をかかえることも1因であろう。日本で言えば、いつも「どちらとも言えない」と答える人たちが35~40%もいることの思考力の差は、せいぜい10+%だろう。)
同時に絞った事例を幾つか用意し、広告費など金でメディアで世論を半年も操作すれば、独裁者ができる民主主義の弱さを示唆している。反キャメロン英国中間層のEU離脱もそれに似ている。米大統領選挙で共和党は、従来の投資家・経営者などのビジネス層の支持という慣例をやぶり、労働者クラスの中間層をバックにした候補者にも類似点が見える。   

そこに共通するのは、腐臭さえただよう自己を省みない破廉恥さと、デマゴギーにあふれた攻撃である。創設者のもった夢や目標、理念や価値の共有とは程とおい我欲でしかないと感じ、うんざりしてる大多数がいる。米国の政治制度も、妥協をできなくなった時点で、民主主義の変革期を迎えているのだ。
民主主義とは経済活動だけか
私見をのべれば、先行きが不透明になるとき、民主的なプロセスでは合意できない変革に対し、不和雷同ともいえるこの層が、キャスティング・ボートを握ることである。この危険を意識しないで放任し、利用される危うさを、民主国のリーダーや行政担当者は危機感をもって自覚して欲しいのだ。

『「持たざる者」が、世界に対してどれだけ効果的に怨念を晴らせるかという冒頭の「持たざる者」が、情報に無知である場合は、「怨念を晴らす」手段は憎悪の政治となり、行き着く先は外敵の攻撃しかない。
納税者のみが投票権をもったその昔への反省から、受益者や被保護者も投票権者に加えたが、結局はメディアも含め、金だけで票を売る(得る)しかないプロセスなのか。
「持たざる者」が有識になるためには、せめて夢を育てる教育が間に合わなければ、情報だけでも「持てる者」に変えるべく、不断の努力が欠かせないのではないか。


0 件のコメント:

コメントを投稿