2017年11月16日木曜日



17029(2)

1流をめざす努力と強い意志を維持しよう

日本に戻って気づいたこと、未だに世界の1流国には及ばないと感じる部分があることを実感させられた。私見だが努力目標として、忘れぬうちに順にあげておきたい。

70年代には商社やメーカは売り上げをあげる仕事だけでなく、チャレンジしなければ分かるまいと、新規品も欲張った目標をたて、達成のために懸命に努力しました。
 当時の品質とサービスでは背中のみえない先進国で米国の市場でチャレンジの機会を得て、少しでも存在価値を示したいと思っていた。
建機や生産用などの産業機械は、70年代は品質面で2流の下か3流の上(B-かC+)ではなかったかと思う。クレーム解決で苦労させられ、当時は路上の雪をとかす塩の散布で、すぐに床がさびて穴が開き、道路がみえるなどと言われていたのです。
いまは世界のAクラスに達し、ハイブリッドやターボチャージャーなど、リードできている車や電気自動車などもあります。70年代のオイルショック(原油の価格高騰)で、品質と高性能で安物から脱するのが、輸出でかせぐ日本の製造業の生きる道であると。

好奇心と忍耐心の再訓練
さいきんは「あおり運転」の事故がふえて、追い抜かれたら割り込みし返すなどが、高速道路での事故の原因になっているという。要するに心にゆとりがなくなった運転手が多いのだが、切れやすいことが1因であるという。大人の問題は、なんでも子供時代の教育が不十分などというつもりはない。当時は漢文の教師は竹の棒をもって教室に現れ、気に入らねばコーンと、生徒の頭をなぐって歩いていた。スマホによる不注意や渋滞のイライラ、託児所の送り迎えなど時間に追われた人がふえていることも大きいと思う。
じっとしていない子供たちを座禅をくませて、迷走する訓練ほど、あとで役立つものは少ないと思う。

頻繁なごみの分別は大きく改善した
 一番おおきな違いは、こみ捨てであった。シカゴとの比較ばかりして恐縮だが、典型的な中産階級がすむ郊外をよく経験したから言わせてもらえば、ごみ捨ては1戸建て住宅街では、米国では郊外は週に1度決められた月曜ならその日に、生ごみを含む燃えるごみと、リサイクル(資源)ごみを別の大きなプラスチック箱に分けてだす。千葉では数ねん前は祭日にぶつかると翌週にまで待たされたが、最近は大きく改善されていた。祭日でも大祭でなければ来てくれる。(写真;米国National Waste&Recycling Assoc.) このおかげで、ごみを出してから休暇や出張などの心理的なストレスが減った。自治体も改善している例である。

ついでに、JR千葉駅ビルが完成し、構内の行き先表示が大きくしかも天井に近くの高さとなり遠くからでも見やすくなった。エスカレータが増え、またホームと地下通路とを結ぶエレベータも各所にできた。いままで折りにふれ何度も苦情をいってきた者としては、荷物をもつ高齢者や旅行者は、いまは非常に喜んでいると感謝したい。
この時間を浪費するストレスは、自治体にまかせることの不便さで、逆サービスだった。新興国の模範になるようにすれば、出稼ぎ外国人が母国でとりあげてくれるだろう。  

もう1つ残っているのは住宅街の並木を簡単に切ることだ。米国でもアジアからの輸出貨物のコンテナーや木箱にひそんでいたクワガタなど昆虫が並木を枯らすので、20年もたった立派な木をどんどん切る。『もう少し研究して、根元にちかい部分に昆虫ののぼり止めをつくるなど、日本のやりかたを取り入れたらどうか』と意見書をおくり、自分の家のまわりには植樹してもらったばかりだ。皮肉にも戻ってきたら日本で伐採されていた。
緑はへるし、傾斜地では土砂災害の心配も増えた。市民の負担を最小にして、緑化と土砂対策をすすめてほしい。(市街地の並木を増やせと主張することと、傾斜の急な山を切り崩すことは矛盾していないと考える。

個人の問題を、制度の問題とするのはメディアにも原因はあるだろう。ともかく直ぐにキレない忍耐力をもった市民をそだてることが必要である。
禅寺やヨガも助けになる筈だから、町内会での交流で、地元に根のあるネットワーク作りを広げることだろう。それにもまして、学校が面白いところだということ。何をまなべば何に役立つかを知っていれば熱もはいるだろう。いじめなどしている暇はなく、弱いものいじめは卑怯者だと幼児のころから教えてほしい

スーパーなど流通業での上げ底」のごまかし
着くとすぐに隣のスーパーに買い物に行き、野菜や果物、魚の新鮮さには感激した。ダイコンなどは価格も半値である。とうぜん乍らシカゴ郊外の生鮮食品とは輸送の距離が100キロ対1000キロのちがいだ。『冷蔵食品を食べないで済む』とカミさんは喜ぶ。味もよい。だが、細かいことを言うようだが、むかしは生鮮魚のトレーはなかった。特に刺身などは40~50年まえはスーパーで買う経験もなかった。
だが発砲シートが刺身よりやや細く下にかくれる「上げ底」などは、明らかにだましである。脱水にはアメリカ式にトレー全体の下に吸水シートを敷けばよい。

『すべての商取引はフェアで衡平であるべきだ』という商務省のルールは、TPPのパートナー国の新興国の人たちが、日本にも学ぶに足りる国であって欲しい。米国のスーパーを取り入れ学んだ日本の、品質管理での改善されるべき事項だ。
原材料の大手が、既定の品質以下という問題などは、隣大国と付き合うと必ず汚染されると大分まえから予測したが、罰則を強化して、1桁大きな賠償にすべきだろう。

製造業・流通業・土木建設業の劣化は油断から

これは最近メーカー全体に1流への姿勢に劣化が生じてきた手抜きで、各社の管理のゆるみも感じる。最近の自動車部品メーカーのエアーバッグ問題では、メーカーは市場に見放されるような不買の懲罰をうけた。9月の関西の鉄鋼メーカーの性能劣化を知りながら供給をつづけた事件、これは西独の大手車メーカの燃費のごまかしが巨額の罰金をうけたのにも似た大きな不祥事であり、非常に残念におもった。

それに続く、自動車メーカーの出荷検査に資格のない社員をつかったケースは、車そのものの品質での直接の問題になる前にリーコールにふみっ切ったので、知りながら造ったレベルよりはましなごまかしといえ、ここ2~3年の少子化にょる労働者不足という事情も同情できるが、劣らず残念なものだろう。

人づくりで問題がないか
半世紀前には販売した杭打機の溶接された振動部が、『何度いわれたようにやっても溶接できない。見に来たらどうだ。ライフルをもって空港で出迎えてやる』とディーラーに怒鳴られ脅されたことがある。最近はまた問題が再現している。
メーカも流通業も、土木建築業も、再度70年代に立ちかえって、姿勢を正してほしいと思う。海外にでたがる社員がへってしまう。品質の日本のイメージを傷つける事象には神経質なのを解ってほしい。

行政罰は詐欺罪とはちがうと多くの人が承知してはいる。だが、米国では司法庁(DOJ)が乗り込んでくると日本の20倍で平均40億円とか巨額の罰金の対象になりうるので、その衝撃は業界全体を緊張が走るものがある。トップのハンバーガ店が熱すぎるコーヒーで火傷して億単位の罰金で有名な判決があった。そんなに巨額では民間も参ってしまうが、多少はネゴの余地があるのだろう。言いたいことはどう初心に帰るかということ。教育のレベルでの『1流をめざそう』『簡単にあきらめるな』と教えてほしいのだ。
『なぜ、2番では駄目なんですか』それは2番は2流と同じではないが、『1度、1流をあきらめて2流に慣れると、さらに落ちてしまうからです』と答える他ない。     

ミサイルで命を狙われ、慰安婦でねつ造の”強制”という慰安婦募集の因縁にゆすられている。それでも行政の1部である手続きの問題で騒いでいる。国民の生命・財産を守るという1番大事な憲法の目的をわすれ、役目の1部だけの”行政府を見張る立法府”というで職を得ようとしている。嘘だねつ造だというなら、司法の問題であり、裁判で決めてもらい、早く本業の市民の生命と財産と幸福を追求する方に戻ってほしい。市民には命が優先であり、国防、防災が第1で、次に防犯のはずである。

行政も紙での手続きを簡素化し罰則を厳しくして、日本よりさらに先進国のほうが売りやすい環境つくりをしてくれたら、もっと海外にでてやろうという勇気ある若者が育つのではないか。甘やかされた環境では海外との競争に勝てなくなる。日本に人がいなくなってしまったのならば、外国人を招き検査官を養成して続けるほかないと思う。「おもてなし」は心をこめた金を取れないサービスだが、金をとっての品質の劣化は許さない基準維持の強い意志がいる。 

この問題に関連して、国の統治がいかに改善できるかについて述べたい。

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