2019年2月27日水曜日

190220 弱い者いじめと法治・ガバナンス・発展

190220

弱い者いじめと法治・ガバナンス・発展のために
「ダルマ、フリーアート」の画像検索結果まずは日本の古くからある社会基準を幼児から
教えよう。そして未来を開拓するのだ。

弱い人はみんなで助けて、グループ全体を強くしよう<弱い者いじめをやめさせよう>
わたしが物心ついた戦後の時代は、クラス50人の
だれか1人か2人が喧嘩に強くても、そいつが無理なことを言えば、反対する子供たちが2~3割はいたと思う。その瞬間の間が大事だが、何人かが「オイ、よせよ、かわいそうじゃないか」   という声を出したものだ。ちょっとした勇気だが,
声があることが大きな違いになる。
一定の比率でこうした人間がいれば、食うに困るほど混乱した時期の子供たちでも、「弱い者いじめは卑怯だ」と考えるルールが、沼津市周辺の農村と漁村の田舎にもあった。

だから、何かの拍子で、いじめる奴がいても、その子に対し無茶なことには「やめろよ」「先生にばれたら大変だぞ」という意見もでる。それでも聞かないと「放課後OOに来い]「よし」という事になる。私もやや正義感が強い方だったから、強くはないのに喧嘩に巻き込まれ、ぼこぼこにされた事は1度や2度あり覚えている。
ただ弱いものをクラスの多数がいじめるという風潮はなかった。
それで収まっていたのは、多くの家庭では祖父母が同居していて「弱い者いじめは、弱虫がやること」「泣いて帰って来るな」とどの家でも言われたからだろう。
1950年代に中学生になったころは、占領軍の米人の影響もあり、アメリカ人にも似たような考え「人は平等で、お互いにフェアであるべき」というような教育の影響が加わったように思う。また教師が尊敬されていて、家庭での祖母や両親からの「先生の言うことはよく聞け」という風潮があったから、今どきの、モンスターペアレンツは居なかった。
私がその金へのだらしなさで低く見る隣国でさえ、そこのテレビドラマでは、だらしない娘を家から押し出し、彼女の部屋にあるものを外に投げ捨てる母親が登場する。かたや我が国は、きちんとしているのは産廃業者も顔負けのごみ処理だけ・・とは言わぬが。

イジメをやめるだけの教えでも、中学生くらいまでは、しっかり指導されれば、成人してもその影響は一つの価値観として、体の中に残り続ける筈だ。私は教育者の長男で、何が理由かはついぞ聞きそびれたが、街中のルーテル教会の日曜学校、三島の龍澤寺(禅寺)に預けられた体験などもあり、多少よその農家や漁師の子とは違っていたかも知れんが。

幼児虐待・DV・国会でのつるし上げ=みな同根で弱い者いじめか?
難しい言い方をすれば、教師は教育が職業であり、それを妨害するのは業務妨害であり、平等な教育を受ける憲法上の市民の権利が上位にある人権違反であるはずだ。行政は中立だから関与しないというのも無責任であろう。組合か知らぬが、第三者委員会の自殺生徒の死因はいじめとの指摘を、教育の執行部が否定するのでは、「教育の自由」の乱用で、国の司法は懲罰権を持つべきではないか。

40年余りの米国生活から戻って見回すと、社会全体がいかに責任を逃れるために仕事をしているかのように見えてきたのだ。何が故こんな事になったのかと考えると、国際競争から逃げて、国内で脱落せずにしがみつく心の弱さが原因ではないかと感じるのだ。
その例外の自己責任と結果主義のスポーツ界がある。野球、ゴルフ、サッカー、ラグビー、テニスなどが、プロが自分の代わりに、代理競争をやってくれるから、という熱い思いと期待があるのではないか。国際試合で活躍する人間は、外国人と戦っているのだ。
だから、日本人も世界ランクの産業国になったら、国内に居ても外国人が入ってきても、きちんと1流国としての対応が要求されるということである。

外国人労働者を入れるのを歓迎しよう
いじめ・児童虐待なども外国人を使えば問題がはっきりできる。彼らを便宜だけで、差別して良いわけではない。その調査精度は知らぬが、本年2月16日付け読売新聞の1面トップ記事で「全国自治体首長アンケート」によると、
評価する大いに評価;5%、多少は評価する;43%、どちらともいえない;42%、
   あまり評価しない:6%、全く評価しない;0.5%である。
評価できる理由地域人手不足を解消;79%、国際交流進む;36%、
   地域の消費者が増加;28%。
評価できない理由;72%、内訳は生活基盤などの体制ができていない;34%、 
   トラブルや治安悪化を懸念;33%、共生の視点が不足;32%である。
メリットがあるが、大いに評価するの項では「どちらともいえない」42%と「あまり評価しない」の6%の計48%については、日本らしい条件付きあいまいさである。
        
その内の34%強が生活基盤の心配があり、15.8%がトラブルと治安悪化、共生の視点で15.4%に懸念をもつともいえるだろう。
この生活基盤づくりと、トラブル・治安対策、共生の教育や訓練では、海外生活の経験者、留学体験者なども大いに役立つと思う。

統計数字を作る仕事と実際の育児・介護はべつもの
議会での議論を聞き見て思うのは、数字が信じられれるプロセスは、定量計測が可能な業務である。計測サンプルを任意に選べば、結果は透明性を失いねつ造になるから、データの選択方法やサンプルの範囲が重要になる。それを議論している議員が、業務内容をくわしく調べずに議論すると、調味料と食材とを分けづに調理したような話になる。

かと言って、限られた時間で、実験室みたいな精密な話をされても専門家でないと理解できない。野党はラーメンを、与党のうどんというのでは、多数党の意味を否定し、民主主義にも反するだろう。東京の事務所で、統計分析だけをして、報告書をよみ、与党を攻撃するために現場をあるき、駆け出し刑事のようなことをするのも、問題の解決につながらなければ、付加価値にならない。

数字を書き込んだり、単価を割り出す理由は、単価を値切って予算カットするに決まっているから、正直に数字を記入する気も起らぬし、訳もない。どんなにえらい学者が調査しようと、助手の准教授が調査しようが、イレギュラーなハプニングは多く、適当な調査になってしまいがちだ。ボルト・ナット、ネジなどはメーカならどこでも使うから、全国需要を3~4社で分けて、量産効果で目方売りのシステムをつくれば、付加価値の高いことで利益をあげる工夫するだろう。これも値段でいじめられない方法ではないか

40代になる直前に、米国で起業して10年、パート社員には散々お世話になった。調査でパートの比率を調べるケースを考えてみよう。パートを雇えば、子供が熱を出したとか、様々な予期せぬ事項が起きる。それも週に1,2回ふくめて1時間幾らという賃金になるし、米人だと実働は週平均35時間だろう。だがラテン系だと始業も昼も、雑談時間が10分は長い。民族の習慣と考えて大目に見るしかない。
今のような完全雇用なら、余り細かいことをいう事業所や会社では働く人がいなくなる。大体の主婦は9時から3時までという希望者も多いのは、子供をベビーシッターや託児所に預けているから、買い物もあり、通勤に片道30分以上は時間を取られたくないからだ。
モグラと勘違いしてか、地下トンネルを掘れば、首都はいくらでも発展すると考えているようだが、片道30分以内に住める職種の雇用限界、規模は調査済みなのだろうか

それにしても日本人は食う事だけしか興味が無くなったのかね。午前中はどこも食事番組だ。従業員に食事をさせながら視聴料をとるOO協会も広告して詐欺まがいでおかしい。
日本の料理が淡白なのか、ベトナム人が野生の鴨をスープの出汁に使うために殺したら書類送検。野生のシカやイノシシがが増えすぎで、ベトナム人に狩猟移民を増やせばと書いたが、北海道はシカが30万頭だという。老人高齢者が街中に住むとオレオレ詐欺や強盗、挙句に殺される国になっている。カメラのないところは、国防も孔だらけ・拉致もありで、殺されたり、何か狂い始めていないか。

強制力のない法律は実行できるものに変えよう
特許が取れても、違反して平気なら特許の意味はない。
「まんぷく」が即席ラーメンの朝ドラが気になってみるが、せっかく特許をとっても、訴えるところまでゆかないと、コピー者は平気という風潮を映している。半島人・中国も似たようなものだ。
 
訴訟費用を低くして、何でもかんでも訴えるという社会にしたくない。だが、罰則がないか軽くて、金持ちしか法の恩恵を得られないのでは法治国家とは言えない弱いものをいじめない制度、思いやりをもてば、今の何でも金という部分が改まるのではと思う。
長く海外生活をして、日本に帰る派遣社員は、現地人や現地に住む日本人との交流は少ない。細いパイプを太くすることが、日本が国際社会で生き延びてゆくのに不可欠な条件だと信じている。自治体ごとに主要国との姉妹都市、姉妹校などの交流で相手が発展することを願う事こそ、日本中の地方都市が米国などと安定した関係になるのだと。それは今後はベトナムやインドも巻き込んだ、3Dの網目になるはずだと思われる。
それに、日本の法律は隣国はよく見て、コピーしているから、特許件数でもなんでもかなわない。国や法律のない時代のことまで、相手が訴えてこれる制度がおかしいのだ。

数人でも個々の子供をかわいがる心があれば、心のよりどころになる
つまり子供が狭い部屋に押し込められて、半日いくらで託児所兼遊ばせて育児を行うという作業や、そこに団体スポーツや稽古事などがある違いなどがたくさんある。
両親が児童虐待で逮捕され、子供がぐるたらい回しされるのを防ぎ、せめてどこの誰に育ててもらったと記憶や思い出をつくれる人の周りで育つことだ。それが自分の将来の感謝と頑張りにつながってゆく。最近は、この心のないロボットによるAIの統計処理で、育児をすることが無いように祈っているのだ。

イジメといういうのは上にも触れたが、グループでの「押しくらマンジュウ」で、いつの時代もゼロにはならない。これは何らかの理由で気に入らないメンバーを摘出していじめることだ。クラスの組み換えや色々な予防があるようだが、ケチな人間にしてしまう。少年犯罪の防止のために、武道クラブに加入させるなどの経験も不可欠であろう。
 そうした体験を若いころから持たせ、勉強だけの優等生や行政官では外国人と渡り合えない部分もあると理解し、補完してやろうとする分厚い関係づくりでもある。
衣食住でも、土木建築、インフラ建設、災害防止、農林業、狩猟ほか、防衛、関連教育・訓練、人材の往来でもよいと感じる。

韓国からのレーダー照射という火器仕様に先駆ける行為を受けて、ただ警告をし非難するだけで、相手から其方がやったと逆非難されて、放置しようとするのでは、国防の意思も疑われ舐められる。こちらから痛い目に合わせる経済制裁位は当然であり、訪日客の制限をし、輸入品には特別関税位かけたらどうかと思うが、皆さんはどうなのか。

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