2020年7月15日水曜日

200715 -3 「般若心経」東洋思想、ディジタルと人生の選択肢

200715ー3(200604続き)

「般若心経」東洋思想、ディジタルと人生の選択肢 
 
 (「14109 議論の正当化は理論の世界だけでない」ご参照)  
 

色と空の意味は何かー(色即是空)
東欧人の移住者か最近のコロナウイルスでの神頼みか、仏教の教えに参加するアジア人や米人が米国にも増えています。元は口伝だった教えが紀元を前後する頃から、サンスクリットで書かれた大乗経典が紀元200~800年の長期に編纂された。
それはチベットや中央アジアから中国にわたる前のものといわれます。仏教の関係書はアセアン(東南アジア)の上座部仏教僧の略本なども2,3冊読んでみたが、信徒への心がけや出家の条件があったり、実践もきびしく難しいと感じます。
紀元後に観音菩薩という概念も加わり、また大乗という流れは「大般若波羅密多経」として600巻に纏められ、鳩摩羅什(クマラジュウ、現在のウイグル地方;4~5世紀)と玄奘(ゲンジョウ三蔵法師;6~7世紀)の漢訳された(中国語に翻訳)モノがあります。

さらに多くの研究者の解説によると、仏道という決まった道があり、標識を見て歩けば実践だというほどシンプルではない。仏陀も長い旅をされ、地方色のゆたかなインド内の各国をあるき、その土地の文化に合った布教をされ、様々な経典に残された考えます。
現在の日本に伝わる様々な宗派ではないかと考えることにしました(むろん日本でも各地の生活文化や相性で経典が選ばれたかもしれません)。
鈴木大拙館の写真その過程を省略しようと大乗の側の俗人への教えの流派の更にまとめたものが「仏説魔訶般若波羅蜜多心経」であるとたどり着きます。
それが「般若心経」と略称され、「布施」「自戒」「忍辱」「精進」「禅定」「知恵」の六波羅蜜という実践の中核で「般若経典」の262文字に込められたという。「無」「不」「空」の実践があると言われる。分かりやすいスタートである。道理を悟り、覚悟ができればよいと。(写真;金沢市内;鈴木大拙館)

求道者は落胆せず、恐れず、失望せず、驚愕せず、知恵の完成を目指せばよい。 
何かを獲りに行くのではなく、心は得るものではない。心は心ではないとは、モノの有無をいうのではなく、決められた規則やルールの従うのでもない。
大乗という乗り物は渡し船のようなもので、人が渡れたら、持って歩く必要はない。

仏道(仏の道)という山に登る決まった道はない
50年前ですが縁あり立川のある宗派の創始者に、米国に発つ前にご挨拶できました。「経典を勉強するのも良いが、まず実践ですよ。」とご指導をうけました。
筆者はルーテル教会に通い、禅寺に預けられた体験はあるものの、米国では求道者になる意識もなく、商社の派遣社員であったに過ぎない。70年代のシカゴ間は直行便もなく距離も遠く、あるメーカの代表は、九州から親の遺灰をもって海を渡った人もいた頃です。

マーケティングを独学し、戦略の上で米国内の競争相手の考えやバックを知ろうと、在米中に歴史本でクリスチャンの活動をよむと、16世紀に日本や中南米にも宣教師を派遣し凄いと知りました。宗教を守護神にした貿易戦士ともいえるものです。それに比べると、仏教は甲冑に身を固めているというのでもない。
他方で仏教は穏やかな生き方を説く。仏教という名の山に向かい歩いてゆけば、登れるほど簡単ではないようです。それは、モノの有無をいうのではなく、決められた規則やルールに従うのでもない。
求道者は落胆せず、恐れず、失望せず、驚愕せず、知恵の完成を目指せばよい。
何かを獲りに行くのではなく、心は得るものではなく、心は心でないという。
徳を持っているのかもしれないが、量ることは出来ない。
大乗という乗り物は渡し船のようなもので、渡れたら、持って歩く必要はないという。

空(クウ)とは何か
 仏教はまずはパーリ語、サンスクリット語、チベット語、中国(南部)語、日本語、それぞれ間に4~5言語の翻訳者が入って日本に渡った。事例で説かれた数千巻の中枢を純化された「般若心経ハンニャシンギョウ」に目標を絞ります。
 ”色即是空”という経文を1例にとれば、Rūpa;(注)色即是空を”色”と訳され「シキすなわち空である」としても、シキが物質、素材だと分かっても、”色”という漢文字が使われた日本文になると、意味がちがうため混乱し誤解する。(是は=)
(注;In Buddhism and Hinduism, rūpa (Sanskrit; Pāli; Devanagari: रूप; Thai: รูป) means 'form'. While it may be used to express matter or material phenomenaespecially that linked to the power of vision in samkhya,) 

座禅やヨーガも世界にひろがりポピュラーです。鈴木大拙師は100年余まえにシカゴ市に18971908年に滞在され、後に禅を世界に広めた由。
(ご縁もあり忘れず触れたいと思ってきました。70~80年代はシカゴのインテリに「お前はダイセツを知っているか?」と聞かれ、知らずあたふたした覚えがあるのです。)
大拙氏は座禅の心理学的効用をたずねる米人レポーターには、荘子の言葉を引用したとある。(金沢の鈴木大拙館に陳列されている直筆のメモのコピーを頂いた引用ですが);

    (荘子)無用、無形、無為、無有、無名、無窮、無極、無事、
    無意、無私、無道、無思、無生、無相、無心、無述
大拙師は仏教の中での心・精神の動きに注目し、そこから心と体を開放するためには「無」の境地を考えておられたのではないかと感じた。私は無はゼロとかんがえ「空」の方に注目しました。(本ブログ15197番外;「金沢で考えた日本の将来」を参照ください)

般若心経の解釈としてか定かでないが、Mガブリエルの実存主義では「心・精神の範囲にバーチュアルな映像、仮想コインなども含める」のも矛盾しないように思えます。   空の境地はモノに喩えると山だといいます;
山を登り、ようやく山頂に届くと、そこに山はなく、広々とした空間だけである。遠くから見れば山があるが、その頂上には何もなく、足元には土がある。空ともいえる。世の中で計れるモノは形を変える。願うモノは、かなえば消える。不足が起きれば生じる。
蒸気も冷えれば水となり、さらには氷となる。気体・液体‣個体の3相です。
漢字で訳された部分を示すと下記である;(舎利子とはリーダ弟子の1人)。
 https://www.e-sogi.com/guide/14635/(フォント・着色;編者)
「新実存主義」マルクス・ガブリエル/廣瀬覚訳、丸山俊一+NHK「欲望の民主主義」制作班

『仏説魔訶般若浪羅観密多心経(全体では262文字ですが半分に省略)
自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄(舎利子)
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是 (舎利子)
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故、
空中無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、()
故、菩提薩埵、依、般若波羅蜜多、                          故、心無圭礙(けいげ)、無圭礙、故、無有恐怖、遠離一切顛倒、    
無想究尭、涅槃三世諸仏、依、般若波羅密多、() 
故説、般若波羅蜜多、呪即説呪曰、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、
菩提薩婆柯、般若心経』。

2千年前の経典時代の人の知覚分析は、現代の中枢神経の分類とほぼ同レベル
 仏教の教祖おシャカ様は、人の脳や中枢神経のはたらきを知っておられたと感じます。「般若心経」の心・(知覚)・知識は「色・声・香‣味・触・法」に纏められている。 体の感覚の中枢神経(後述)の働きと、現代ドイツの哲学者Mガブリエルのいう『「心」や「意識」は、「思考」「認識」「意志」「感情」「情動」「自意識」「気づき」』とによって、ほぼ重複し網羅されている。
「中枢神経系について; 現代の医学でも視覚(映像)素材あるいはモノと訳した方が分かりやすい。体の熱さ・冷たさ・痛い等を、体で感じ、目や耳を使い物を見たり、音を聴きます。感覚とは外からの刺激を体の特定の器官が感じとり(感覚受容器)、認識する。
感覚は大きく分類すると下記のように分類されます。 中枢神経は(1)体性感覚:(2)内蔵感覚: 臓器感覚(吐き気など)、内臓痛が含まれ (3)特殊感覚: 視覚(目で見る)、聴覚(耳で聞く)、味覚、嗅覚、前庭感覚(平衡感覚)が含まれ(略)大脳皮質は表層から数えてIからVIの6層からなっています。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9E%
A2%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B3%BB
 
(一休み;100年前と似て、このカオスと混乱の世の中について俗人‣私見を述べます。
 西欧社会に入ったら、礼儀作法が大切です。しかし、自分の意見は、臆することなくいうこと。周囲の人たちがそこを塞いでしまわぬように、自分のモノだとするには、自己主張の声を上げねばなりません。
 中国やインド、米国でも、感じるのは、大国というのは人口が多く、自己主張をしないおとなしい人は忘れられてしまう。ですから皆が話をし始めると、もたもたしているとパスされてしまう。
先進国では何人か以上の人が集まると、司会役が指名され、適度に全員が意見を言うような配慮がある。国連という先の戦争の勝利国が創った組織があり、各セクションの議長は中クラスの国の中で、まあ我慢できる公平感がある人が選ばれることになっていた。
ここに中国が入ってきたら、まるで我欲の塊りの醜悪な機関になっている。 中国人は自分が表に出なくても、自分の利益を配慮する人間を蔭で(経済補助や金を貸し、蔭で雇い、有利な方向に議論がゆくような影響を与えると言われる)。法治国家でないから、法の解釈もやりたい放題です。
米国も中国に期待して支援したが、裏切られ、現在は民主的とは言いにくいので「自国ファースト」などと言い始めたが、これは反動と思います。米国中西部でも理系の大学で教授職のインド人も多く、世界で一番途切れなく話す人たちと思います。日本人はどこで会話を中断し、考えを伝えるべく割り込むかがチャレンジです。)
 
空(くう)とは自分のための体験の世界・人生;禅寺に泊まって修行するとよい
余り神経質な方でなければ、小学生でも5、6年なら1人で禅寺に預けられても1週間余なら、また質素な生活の体験を得たいと考える方には有意義でしょう。毎日1人というのは孤独感だけはつらいが、コロナウイルス後の皆さんには、厳しい扱いを受けたとは感じないでしょう。むしろ現代のスマホとテレビなど雑音の無い中で、何が起きているかを探して見つける。
そのなかで考えることは自分、家族、仕事という生活の意味の方が大きいでしょう。非3蜜な1日がいかに長いか、「仏教徒とは何か」について、後に興味を持つことになったと思います。米国での長い生活でも、たまに考えた「般若心経」は、ポジティブに受け止めてきました。色即是空、空即是色の”空”が、ある時、無(ム)でなく、空いている時間=何もない大空=ソラという捉え方をしたとき、急に肩が楽になると感じました
空には過去はなく、自分の残された時間や空間と私は受け止めました。この空間は、貴方が決めて、そこが一生の活動の場にできると言えるのです。翻訳される前の”色”(モノRupa)はブツ・素材というインドの意味・仕分けというが、その方が”色”より自然に感じることができます。
 これのような考えが般若心経の解釈として、またMガブリエルの実存主義に含めようとしているバーチュアルな映像、仮想コインなどとも矛盾しない東西の架け橋のように思えます。(他国の過去の時間や歴史をしらべて、慰安婦を捏造するような生き方は異常で、惨めで悲しい考え方だと確信できるのです。)

自分に与えられた空間を力一杯に体験し生きる
空を虚しいと感じるか、広い空のように感じるか、景色の一部とかんじるか、自分自身のために両親が開けてくれた空間と感じるか。翻訳語の文字の似た音か、意訳かによるが、誤解を生み理解を妨げているとも言えましょう。

色即是空と技術革新の接点色と空の意味は何かー(色即是空)
座禅では; 鈴木大拙師は「空とはシェーニヤターで、いわば全世界を包み、同時にそれはまた、世界に存在する一つ一つの事物の中にある。(略)「シェーニヤターは体験すべきものであって、観念化すべきものではない」と言って居られ、無の境地もさることながら、空についても考えておられた。(注;「禅」鈴木大拙、工藤澄子訳p169))
周囲の人たち、とりわけ発言の多いインド・中国人がそこを塞いでしまわぬように、自分のやるべきモノだとするには、自己主張の声を上げねばなりません。「僕が、私がやります。やらせて下さい」とそうした混沌の中で、自分はどう行動で賢く成長させるかです
➀ 自分は何をするために生まれたか、
② 何をしたいか。
③ それを見つけるには、何があるかを学び、観察し、選択して、
④ そこに精神をこめて集中する。
⑤ そこに頑張って空の中にそれを描き力一杯生きることだと言えます。
個々に努力をして、失敗しても構わない大きなことができなくても失望する必要はない。生きるものはいずれ死ぬ。だが将来への夢を持ち、子や孫、次世代に期待することは大きくできる。親はそういう空間を子孫に残し、生きる勇気を与えてゆくしかできない。
そのモノには、残念ながらディジタル化された国民のID、カード情報、顔写真なども含まれ、国際的なハッカー攻撃や、囲い込みの奪い合いのデータ価値も含まれてしまい、創始者の仏陀も驚くようなディジタル化のすすむ現実があります。それでも仏教の教えはそういうモノと私は、今のところ、信じております。

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