2022年8月20日土曜日

外国系組織は選挙など政治関与は禁じるべき

 220815-改⓷④8/20/30

外国系組織は選挙など政治関与は禁じるべき

選挙は民主の根幹でここに外国系組織を利用するのが問題だ;改④

外国人の活動範囲は日本人が決めるべき

中国のビジネス情報の入手では、米国でも不可欠という素晴らしい時事系速報がある。如何にも中国人らしい、善い意味で、莫邦富氏の独特の視点でのシャープなエッセイがある。彼の意見はどこかにマーケッティングの視点と針の痛みがあり、気になるのだ。

彼が言うには、「日本47都道府県のすべての主要都市や町村を見てきた」(制覇)といえば、通常の中国人の意見なら「本当かな」と思う比率が3分の2とすれば、彼は逆で5割以上は信用できそうだと考えている。   「日本に留学した中国人を東京の家に招いたところ、青や黄色の薄気味悪い魚は食べる気はしなかったと聞いて驚かされた」と述べている。彼は「改革・開放時代」78年ころまでは、湾岸部では海産魚はタチウオやイシモチなど白身の魚をたべていた。(内陸部では河川の淡水魚を食べていたからだ。)(比較図;ミルクランとは?メリット・デメリットから実施のポイントまで解説|ITトレンド (it-trend.jp)

その彼が仙台の訪問介護医師の案内で、石巻の漁協で出会った中国系(どちらも中国姓)の海産物運送業者で過疎化を心配しての意見で、「在日中国人は100万人はいるはずだが、統計には載らず関東の中華人の経営する料理店などには販売していない。これを開拓できれば大きいのではないか」という一見親切な意見だが的外れに聞こえる。

外国人の経済合理性は、受け入れ国では総てに優先させてはならない

漁師町と農村の間の勤め人の家庭で育った私も、いま千葉に住んでいるが、すべての標準的な魚介類は、水揚げされた漁港から豊洲の魚市場に直接集荷され、3分の1の距離でも石鯛やイセエビなど高級品は近くのスーパに入ってこないと知っている。トラック便はトレイ仕分けで、流れやすい早朝には豊洲まで走る方が楽なのだ。決まりきった商品・量を集配する、いわゆる量産品の配達のミルクランと似て非なる少量多品種の集配ではこれも無理だ。  貨物の集配システムは、長距離物流インフラの重要機能であり、外国人が担うべき機能とは私は思わない。                                  大国は自国がベストと思い込み、半島人などは川上に割り込もうとする。             航空宅配で全米の海岸都市からの集荷を2千キロ離れたテネシー州メンフィス市で集め、全国に夜間飛行というUPSの方式だから。人が無尽蔵な中国とは違うし、その1部のような発想も迷惑だ。                            

ローマに入ればローマ人のやり方に従うことを国際協定にすべき

ここで莫氏の議論の1点が気になったのは、ローカルの釜石の漁協の事情と地方の介護医の考えは、「(中)国人には合理的市場」と言う発想に対してである。              この中国人たちを受け容れたたら、同じ会社に3人以上働けば、組合をつくる権利があるという母国の法律が優先するという事である。その母国の国籍で、本国の視点から都合の良い待遇を期待されるのは困るという「独立国日本という国の事情がある」点が忘れられては働けないという日本の条件を明確にする事である。これは米国に出て世界の国からの競争相手としのぎを削ればわかる事だ(日本人が3人以上同じ工場で働けば、組合活動できるという法律を作り、中国でも同じことを始めたら、組合活動としての連絡網ができやすい筈だ。)

ここを人不足だからと外国人の就労者を受け入れたい余り、日本法、自治体のルールを緩めてはならないということ。入って就労する住人は、勝手に外国人のままで居続けては困ると明白に文書でルールを作り、日本の自治体法を「遵守します」と署名を取ることである。          自治体の長も、これを地方自治の名のもとに、曲げてはならないという法律を定期的にリマインドする必要がある。受け入れる町村は差別を禁じ、教育や社会保障を平等にということ。

和平協定は戦争の最中から議論すべきで、終戦後仕方なく結んではならない

ウクライナに人々が、世界に示してくれたのは、防衛目標と達成の部分で曖昧さを残すと、戦争になるということ。ウクライナ南のジョージアや、リトアニアのカリーニングラード州(飛び地)に飛び地がある。ロシアからのリトアニアへは、ウクライナのようにロシア軍に侵攻されたら怖いので、自国領内の鉄道アクセスを止めることにしたのだ。独立国と認めれば、ロシアが怒っているのも筋違いとい言える。欧州のNATOは、結束を固め早期に飛び地を解消させるか、周辺国と合併させないと、再び開戦の火種を許すリスクがあると言えば言いすぎか。逆に難しくても周辺国や異邦人ともなるべく対等にと努めることになる。

いや外国人をキチンと教育し、安心して分散居住させる環境を作り、一般国民と同化できる自国民の差別を抑える訓練をして、故郷を誇る教育から解放させる必要がある。              これは米国に長く滞在し、母国からの来客と杯を交わしつつ、現地米国人とも仲間を作り、現地でのマナーや社交との境界線はしぜんにできるが、自分を含む純母国人の言動にためらい、出入りした経験者だから過敏なのかも知れぬと思う。

太平洋戦争では5年の永い戦争に疲弊して、戦勝国の条件で敗戦を認めさせられた。戦記映画は幾つか見たが、素人目にも開戦2年で完全に負けていたと感じている。気力もエネルギーも残っている内に、敗戦を早期に終わらせ得なかったミスがあった。後から言うのはタラレバだとしても、犠牲者を増やし原爆まで続けたという点で、負け方を知らない結果だと云われても仕方あるまいと思われる。                               もともと勝てないのを承知で開戦に進み、停戦・終戦も条件をつけて民意が反映できていたらと考える。ミドウエーで勝率は3割へり、ガダルカナル撤退で勝てない状態になったと見えるので、せめて停戦すべきだったのに、軍のメンツを優先させ過ぎたと感じるのだ。            

幼児期に沼津市に疎開し海岸のちかくに住み、終戦前に何度も聞いた「空襲警報発令」、辺り一面の焼夷弾の海は、仕掛け花火の真ん中を防空壕へ走った記憶は消えることは無い。軍の力に抵抗できず、戦争の管理には国民のためという根本が貫けなかったのだ。                       朝鮮戦争・ベトナム戦で反共の目的で経済を優先させた側に私もいた。米国で貿易戦に近い競争下に20年いじょう長居し、起業した。この長すぎた後悔もあり、帰国した今も攻撃される前に、停戦の条件を議論しておき、反撃か生存のために、戦える体制をつくり、多くがスイスのように山地やいなかにサバイバルの別荘をもつ国であって欲しいと思う。                    今ウクライナが情報ではデジタル戦争で、反撃に入っているが、これを日本も急いで学び、核でも何でも最大の抑止力を高めるため利用し、生き残る覚悟で国民が団結して欲しい。            

憲法の政教分離を忘れず普通の隣国扱いして欲しい

与党も政教分離を明確にし、国は特定の宗教に関与しないという憲法の規定からも、国会議員が外国の宗教組織が、国内での政治活動は禁じる方がハッキリして好ましい。政治活動にご都合主義で、「政治と宗教は同一だ」などと言う旧統一教会リーダ寡婦の発言には、与野党とも警戒感あるべきだ。オーム真理教もそうだが、飲食店ではあるまいに、名称変更はかんたんには認めるべきで無かろう。宗教団体としての特典も与えるべきではなく、経済活動には法人としての報告書を提出の義務付けを行わせるべきだろう。            米国にならい外国人の日本の政治や選挙への勝手な介入を許すべきでない。民主主義の根幹であるからだ。半島人が日韓の歴史(例えば併合など)に不満を持ち、被害者だというのは勝手な主張だと拒否すべきだろう。タラレバを言えば、併合が無ければ、半島はウクライナ同様の立場に置かれた可能性も大きいと考えた人が多かった筈だ。           それを理由に個人の信者や一般市民に犯罪行為を行い、家庭を破綻させた前例が多数あると報道がある。すでに日韓の合意で解決ずみで、その後も霊感商法の悪辣さにたいし、法の審判も下されたと理解している。世界で活動しているが、日本だけは法的な対処がされず、ドル箱・金ずると見てか、揺すり、タカリ、押し売りなどを、名前や形をかえて生き続け、毎年数百億に達する被害があると云われ、表面化したモノだ。アメリカ合衆国における政教分離の歴史 - Wikipedia                                     旧統一教会のケースは反共/勝共・霊感商法と変え、他にも90年ころから慰安婦・徴用工と、(半島人関与は不明だが)オレオレ詐欺でも似た被害をうけていると見える。                   選挙に勝ちたいばかりに、外国の違法霊感商法をあやつり、外国人に国民を守るべき選挙に関与させてはなるまい。イギリスの名誉革命などは権利章典は議会主権であり、王は「議会の中の国王」とする立憲君主制の原則が確立したが、(バチカンの影響排除で)王位継承者からカトリックが排除され、1701年の王位継承法でも明文化された[14]。背後には、フランスへの脅威があったとされる[14]。(中国は共産党が議会の立場で憲法の上にあり指導すると理解している。)

日本がアジアのリーダ国を自認する経済規模と人口があるなら、議会代表者は、自分の職の延長と呼べる選挙を、他国の宗教まがいの政治組織に、こともあろうに選挙協力を依頼するなどは、もってのほか、有ってはならない話である。                             これを機会に議員立法などあらゆる手段で浄化すべきだろう。巨額の国民の金が半島にわたり、それによって彼らの対外活動が行われるなら、「信教の自由」を利用した税法・報告をのがれの霊感商法の復活であろう。

外国人の選挙活動は禁止すべき

その理由は、日本人の選挙活動の多くが、原始的なPR広告に限定され、選挙機関が短時間に限定されている為である。弊害は立候補者のPRが車内からの名前の連呼、ポスターによる記憶への刷り込みに頼り、候補者の政治的な見解や思想・思考を表明するものが限られているため、短期間にポスター張りの労働者や連呼の為の呼びかけ連呼(うぐいす嬢)による。同じ議題・課題での立候補者のディベートで行わせるのだ。                           選挙期間が長ければ良いものでもなく、国民の生産性に障害となり、1~2カ月を越せば、活動費用も増え、個人の資金力により結果が左右されがちになる。安くて済めば、それを職とする候補者が増えすぎ、選択が難しい。

つまり、資格の判断よりは外見・見てくれと同行者の社会的地位・知名度などに影響されるため、期間中はそうした印象作りに追われるためである。首相の独断で議会の解散権を作ったのが、政治を不安定化させ、議員の長期的な視野・思考を妨げるなら、忘年会前やお盆のあとなど、決まった月・曜日を任期の終了としてはどうか。

 外国人の政治活動;

米国での外国からの選挙妨害は、インターネットを使ったフェイクニュースの拡散や、投票日前の投票妨害などにも及び、従来のような非民主的な立候補により選挙民が自由に選択するものではなくなった。形は似ているが、自治体での2段、3段の行政範囲の違いでの議員の選挙プロセスに透明度の無いものが増え、独裁的な国が急増している。 それらの国々は、国際機関に参加すれば、あとは自由選挙陣営の切り崩しにより、贈収賄で買収で汚染し、相手市場を開かせ、できれば相手国を乗っ取るまでの飛び地を手に入れるなど、非友好的なものが殆どである。

これは外国人の基本的人権や表現の自由の問題ではなく、日本国民の政治制度の外国からの侵入の防護・保護の問題である。また市民の代表者の選択プロセスである。必要な最小限の法的制限の立法の為の議論であることをお断りしておきます。

参政権の範囲;投票権のほか、選挙運動期間中の外国人の関与の是非なども法的に明確に否定すべきであり、自由民主党はこれを認めているとすれば、至急再検討されるべきと考えます。党員に外国人を受け入れるのも、各党の了解を得るべきではないか。何とか胡麻化そうとせず、特定の個人をメディアにより攻撃させてスリカエさせず、緊急立法で、選挙法の改正で乗り切り、後は三権の長が話し合っては如何かと思う。

外国人の投票権を与えるか否か

少し極論をのべますが、外国から500人位が観光客として訪日してきて、1~2か月滞在し、住民登録をすれば選挙権が与えられなら、外国人が行政権を持つ市町村が簡単にできてしまいます。観光ビザでは住民と看做さないと国法に規定しても、学生として合法的に居住した実習生などであれば、本人の人権の有無も否定できず、投票権は認めないという条例がなければ、投票活動を禁じ得ないのではないか

すでに学生で18歳以上の外国人も、選挙前に移住して、数人が同居と言う形で、選挙区の友人宅に住み、投票権を持てるなら、前回の選挙で接戦だった地域には、ドンドン特定国の住民が住み、投票だけ行えばよいということを許しはしないか。     投票率が5割以下で党員登録もせず、どんどん仲間を増やせる。これは法律で禁じるべきで、市町村だから許されるということでは、東欧のジョージアや周辺の飛び地と同じことになります。長野オリンピックで中国系の学生たちが大挙動員されたと聞いた覚えもある。何でも許されるが、米国ではありえないと感じたのは、不正義には銃を持って立ちあがる国民がいるからだ。他方で日本では、イノシシやクマの生きる権利は保護され過ぎて、人権との比較論も出てこないらしい。

l  各国の外国人の参政権;                           l  外国人参政権 - Wikipedia                            l  昭和50925判示事項

一 外国人のわが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利と憲法の保障の有無(以下略)                         二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断と法務大臣の裁量権                     三 出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足                                       りる相当の理由の有無についての判断裁判所の審査の限界           四 わが国に在留する外国人と政治活動の自由に関する憲法の保障        五 外国人に対する憲法の基本的人権の保障と在留の許否を決する国の裁量に対する拘束の有無                                 六 外国人の在留期間中の憲法の保障が及ばないとはいえない政治活動を斟酌して在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由がないとした法務大臣の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものということはできないとされた事例

裁判要旨

一 外国人は、憲法上、わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されていない
二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断は「法務大臣の裁量に任されているものであり、上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新を不許可にすることが許されないものではない。
三 裁判所は、出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断についてそれが違法となるかどうかを審査するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができる。以下略


0 件のコメント:

コメントを投稿