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平時と軍事のルールは逆だが、すきまは?
水爆テストと慰安婦問題とどちらが大事
韓国は首都間が250キロくらいしか離れていない北朝鮮がなにをやっているか全くわかっていない人達が政治を行っているというのが、1月6日の”水爆実験”のニュースへの驚き方です。北のリーダーは水爆のことをちらつかせていたというのに。
それでいながら、年末のぎりぎりに70年前の慰安婦問題をむしかえして、何とか自分に有利な合意を形成しておこうという知恵ははたらく。
だが、自国民の生命を脅かす実験をしている50キロしか離れていない隣国の動向はまったく知らないという無責任さは100年の昔から変わっていない。としかいい様がない。
だが全員が「稼ぐに追いつく貧乏なし」でも困るわけで、いまさらだが指導層はもう少しきちんとした見通しと見識をもっていなければと感じる。
皆がみな、いかに国を再建するかという未来志向はよいが、司法系の職にある人達は、過去からの整合性と国民への説明が必要だったのだ。それが欠けていたので、60年安保でのデモが起きたという部分が大きいと思う。
安全保障法案の国会承認の過程で活躍した<髭の将軍が首相になるには時間がかかる>という意見があるようです。が、絶対になってほしくないのは、シビリアンコントロール上、不適当だからです。元軍人は内閣に入れないのが先進国、特に軍国主義者を出した国は自制すべき点だと考えるからです。
民主党のリーダー層の1部はその辺はしっかり勉強しておられるのかもしれませんが。疑問符付きで観察するほかない。鉄砲を持っ事を許された人間には財布をずけてはいけないのだ。
平時と軍事とでは兵隊のルールが逆になる
殺せば罪になる平時とそれが仕事になる軍事の違いは逆である。
これは平和ぼけ議論と関係するのですが、平時には人を殺すのも、財物を毀損させるのも刑法違反になります。ところが軍事(戦時)ではそれが許され、命令されたら実行せねばならない。やらなければ、やられるからです。その意味で平時と戦時の境は重要です。
ところが、集団的自衛とか戦争に反対する人達が非常に理不尽なのは、こちらが撃たなければ相手も撃たないから、ギリギリまで撃つなという姿勢が平和をもたらすと信じていた点です。これほど自国の兵隊を不利な状態に縛って守れるわけがない。つまり自国兵を先に殺させようと考えているのではないかと恐ろしくなるのです。
平時と戦時の違いが、判断される法律の違いがあるならば、どこから平時が戦時になるかの議論が十分になされるべきだと言う点は重要なのですが、本当に制度を整備するなら欠けている部分があります。日本の法制度にはスパイ防止法、シビリアンコントロールほか、軍事裁判所がない。中国などは、うそで固めた「詐をもって立つ」国であり、それは日中事変でも便衣兵(*)などが昔からいたし、最近では偽装漁船で押しかけてくるなど、想像以上に悪知恵というか詐術のある人達がいると感じます。(*便衣兵;私服で武器をもつ兵は国際法では禁じられていますが、逆をやろうとした国)
人権や自由の名のもとに、無制限の自由や人権を主張する人は、それは戦時か平時か、誰のお金で守るのかを明確にすべきです。自由や人権には予算での限度があり、無限はありえない。作法を失ったら日本人ではないという部分がほしい。
どの国との交渉でも、相手が際限なく要求をしてくるなら、突き放すしかない時があるかもしれない。手続き法で決着がつかないなら、どうするかを議論すべきかも知れない。
日本の集団的自衛とナトーの集団的安全保障
集団的自衛とナトーの集団的安全保障はちがうのは、日本は韓国の対米自衛とは別枠であると考えた方がよいということだが、別に韓国がどうなっても日本は守る義務はないということにしておいた方がよいと考える人が多い。当てにならないし、信用できないからだ。
米国が兵器の機密を渡せないのは、韓国が中国と裏で繋がっていると考えているからである。慰安婦問題がなくなってしまうと、困ると考えて年末に駆け込んできたのが年末の騒ぎだが、それが米国からの指示で動いたという意見があるが、どうもそんなニュースは気付かない。
ということは、韓国としては中国の指示で動いたかもしれないのだ。なぜなら慰安婦がいたのは事実でも、強制的にという部分はうそだったとなると、次に南京事件が捏造だというのが明るみに出るのは困るから、手先である韓国に従来どおりに慰安婦問題を継続せよということかもしれない。
日本人も威張れた話しではないかもしれない
戦後の日本人(特にメディアや政治家)が、戦前の軍国主義から戦後の自由民主主義へ、如何に変身したか述べられていたのを覚えています。戦争が終わり生活だけしか考えるゆとりがない大半の庶民は仕方がない。
話しがとびますが、余り隣国の悪口も言えないなと感じて思い出した話ですが。
何年かまえですが、戦後すぐに憲法草案を起草するのに加わった米人女性(ベアテ・ゴードンさん)をシカゴ日米協会が講演に招き、直接話しをきいたことがあります。 マッカーサーがどう急ぎ指示したかとか、彼女たちのチームは女性の人権の向上のための項目を受け持ち、世界中の先進国の憲法を比較して、日本人に受け入れられそうな草案つくりを加わった弁護士などと一緒に書いたと聞きました。その話しを小生の前著「日本をマネジメントする」に書くにあたり、正確性を確認するべく、大分調べました。
同女史は戦前父親が音楽家であったので、山田耕作さんに招かれ軽井沢に住み、地元の学校で学んだため日本語は日本人並みなユダヤ系。その時、日本側での草案は明治憲法の根幹はそのままに字句を変えたぐらいで、なんども付き返されたよし。
(この戦勝国が敗戦国の憲法をつくる行為は、国際法に違反しているという議論は戦後は出なかったようです。)
毎日うそを教える社会に育つと誰も信用できなくなる
日本に大挙して中国人がやってきて爆買いするそうだが、半分は日本の製品が母国で教えられたような粗悪品で信用できないか確かめたいという面もあり、教えられた逆だったと気付くからではないか。
日本人がいかにひどい人種かという日中戦争の映画を繰り返し見せられたが、実際はちがうとわかると、すべてが嘘だったとわかる。
ブログの書き込みにもそういう意見が溢れているから、本当はあちらの教科書が教えている間違いを訂正させるべきなのだろうが、とても人員がたりなくてやっていられませんという意見も聞いた。韓国なども隣国に従っているうちに汚染されたのだろうとおもうが、慰安婦ばかりは許せないと思うのだ。なにかといえば、売春婦を止められない風土でありながら、それを日本のせいにする卑しさが第一にある。
最近はベトナム戦争時代には、米国の軍との間で、そうした施設をつくって経営したばかりか、ベトナムでは派遣した兵士には現地の女性に多数の性的被害者をつくり、混血児たちは放置して戻ったということで問題を起こしているのだ。
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