2016年1月12日火曜日

16001-改1 選択の進化と勇気が試される時代 ( 合意の形成も変わる)

16001改1


選択の進化と勇気が試される時代
(  合意の形成も変わる)

何でも情報がゆきかい透明度を増してくると、いいかげんなことばかり述べる人は自然に淘汰されて減ってくる。米人のビジネスマンが正直な部分が多いのはそのためだと言えば失礼かもしれないが。その点で隣国の経済の統計数字がいいかげんだということが世界でバレてしまい、GDPなどの数字を信用する人がいなくなった。

信用できる数字が少くないのも困るが、これは別に触れる。写真はまさかと真偽を疑うような建物の改造例隣国の改造工事)。

あいまい・ごまかしがきかなくなる理由
いまISが現れ、はっきり言えば、これはテロリストが難民や移民に偽装して入国し、国内に潜伏したすみつき、何かの信号がでるとスリーパーから急にテロリストの正体を現すという。
一種の悪性ウイルスのようなもので、周囲もよほどその人達を監視しつづけないと、正体を現す前に捕らえることは難しい。それには犯行を犯す前から、情報を収集する必要がある。ウイルスと考えれば、医学部の人達の活躍の場ができるかもしれない。

米国のようなオープンな国では、武器を入手するのもほぼ自由だ。ライフルや連発銃、火薬を使った爆弾などもつくり、ビルの半分ぐらいを吹き飛ばせる。1995年4月19日にオクラホマシティで発生した爆破テロ事件などの前例がある。)
結局は武器が国民の良識にもとづいた自衛手段となっているから、良識のない人物にわたるのもなかなか防止できないのだ。余談だが昨年のBlack Fridayに一番増えたのはハンドガンの売り上げで、しかも女性の購入者が多かったという。

そこで銃弾や爆発物が特定な場所に集中するのを監視するしかない。具体的には、それは今大都市に取り付けられた防犯カメラのようなものを増やし、あるいは音声は盗聴し、イーメールは監視するほかないから、自分も監視されていると考えて、目立つが価値というタレントの意識は危険になるだろう。対象が人か、その人物の情報であるところが違うだけである。予算的には、いわゆるスパイ防止法のようなものが必要なのだ。

米国のカリフォルニアでの大量殺人のテロでは、自宅から膨大な火器・銃弾・パイプ爆弾が見つかった。特定民族をそのまま表現すると差別として違法になるので、オカシイと感じても警察に通報しなかったようだ。6ヶ月の赤子がいるのに、台風のときのようみ表窓に押さえ板を張って、外部から見えぬように生活していた。これが異常だと感じる住民をふやすしかない。市民が相互に見張るという非常に不愉快な社会になる危険がある。

大統領候補の1人トランプ氏は、イスラム教徒は入国させるなという極端な差別発言をしてメディアや対立候補からの批判を浴びている。それにしても共和党内で賛成票がふえ40%以上だ。ようやくイスラム教徒の米国移民は、自分たちも声をあげないと疑われると感じたのか、はっきりと「イスラム教徒はテロリストではない」と表明し始めた。
米国法を守る市民ですという宣言も聞きたいと思う。イスラム教徒は教義をみなおす必要があるとオーストラリアの元指導者の声も出はじめている。平原に住む遊牧民で無くなり、1日5回も勤務中に中断して礼拝を行うのは、近代的な産業社会では生産効率が下がるから、異教徒と共存を受け入れるなら、変更を余儀なくなるかも知れない。

はっきり決めてダメなら訂正する方が分かりやすい
日本での議論は、嫌なことは避け、あることも見てみぬふりをしてすごし、はっきり言えば誰もがボカシて生きてきた部分がある。それを隣国が2年ばかりで南シナ海に作り上げた巨大な人工島のおかげで、平和論の危うさが吹き飛んでしまった。安全保障や領土問題だけではなく、経済的な損得の議論のまえに、命に関わるサバイバルが最優先と明白にされ始めたのだ。

つまり平和がいいのは分かりきっているが、自分たちを守ってくれる方につくか脅す方につくか。従来の捏造議論や言いがかりに、援助金を払うような関係は続くわけも無く、財政もひっ迫してくれば生きてゆけなくなる。当たり前のように近隣国との仲良しを主張してきた左派も、このままでは生き残れないからトーンを変えるだろう。隣国のような二股こう薬では、どっちつかずで誰も信用してくれなくなったのだ。

あいまいな議論で人数集めをしてきた野党は、いよいよごまかしが効かなくなり、安全保障やスパイ防止法をどうするかなどで離合集散が始まった。これは選挙民にとってはよいことだ。政治家も如何に国内の在日に迎合するかで当落が決まるというような曖昧な制度は許されなくなる。どこの国へ移住しても、その国の法律に従って住むべきで、例外は外交官だけだろう。はっきり自分の立ち居地を決めて、打って出て当選したら、一生懸命にやる方が、わけの分からぬごまかしで当選して、何も結果が出せないよりは良い。

スパイはどこに潜るか 
ジェームズ・ボンドのようなアクション映画とはちがい、スパイが潜るのにべんりな場所は、都会しかない。武器は田舎か空き室のあるビル内だろうが。田舎に外国企業が進出して、そこから情報の受発信をしても、距離が限られるし目立ちすぎる。養豚場のあるところはイスラム教徒はこないだろうし、キムチの辛子のないところは隣国人はムリだ。
一番潜りやすい場所はどこかといえば、大学の周辺や飲み屋街などを囲む住宅地であろう。学問の自由に守られ、文化の接点を多く持つ自由な環境は、外国人の学生にも住みやすい。

大学が産業界のような業種別で輸送手段も異なる経済中心の地域と連接する必要はないし、まして政治・行政とは混在しない方がこのましい。大学の教授が暴力団の元幹部との付き合いや金の貸し借りなどがあったなどは、本人の良識という以前に、学生数を得るためにわざわざ多摩から後楽園に移転する計画中などという大学の姿勢は、ビジネス優先の姿勢がみえすぎる。

同じような話しが他にも出てきて、とうとう「通学しないでも支援金がもらえる」という大学の狙いはそのものずばりにみえる(http://hello.zouri.jp/ichiran.html)。    温泉・ジム無料招待つき、外国人も可、これは税金の使われ方として、違法ではないかと疑られても仕方あるまい
消費税を上げて、教育支援に使われるのかと思えば、教育という名の産業での流用と見られては、文科省が怒るのも当然である。バイトと飲み会のし易い環境に学生を誘惑してどうするのか。グローバルな競争力の欠ける学生はどうすればよいか。単に英語だけの気もするのだが。(日本経済新聞11月10日、2015)

その点でも都会にある大学は、教師や学生への誘惑が多く自己管理ができなくなるから、徐々に田舎に移して、城下町のような市町村で発展を考えるほうがよいと感じる。欧米の大学が田舎にあり、大都会にはビジネスにからむ(就労後に通う)専門学部の分校だけになるだろう。
都市部の経済活動と観光とがいり混じり、そこに観光のための外国人が多数という町は、城下町のように職業別にわけたほうが異物の混入がみつけやすく、統治費用も少なくてすむだろう。少なくとも、ながれる資金の追跡はしやすくなるはずだから。

行政・政治家に不可欠なのは優先順位を決める勇気   
経済活動で稼いだ中から税金を集め、それをどう分配するかで、リーダーとして政治家が選ばれる。選挙によるかどうかで国のあり方や、経済活動のしかたに差があるが、それは法律によって行われる。ここからが問題である。書いたものが残っていて、いわゆる成文法がある場合と、文章になっていない不文律がある場合とである。  

日本などは半世紀も前は、海外との合意=条約を記録にのこしても、そんなことを勝手に決めたのかと国民につるし上げられるのが怖くて、まる秘扱いにしてきたものも多い。米国でも不都合な資料はトップ・シークレットにして30年とか50年丸秘にする。中国は焼いてしまう。焼いて無かったことにするのはごまかしだ。GDPの数字でも操作しているという中国では何が事実か分からないから、市民の参加ができない。その点でAIIB(アジア・インフラ銀行)には参加しないで正解だろうが、これは後述したい。

もう先進国では輸出だけの物ぶつ交換だけでなく、シンガポールのようなサービス社会に移っていて、人の交流が欠かせない。運搬ではなく物流管理であり、水の浄化だけでなく、水の汚水処理・回収から浄化・配水管の埋設だけでなく、水漏れの管理までできる人材育成である。

昨日、シカゴ郊外の現地校に通う高校生が、教科書がすべて収まった1つのアイ・パッドを配られていると聞き、また社会の仕組みが変えられるプログラミングが非常に面白いとわかったので、将来はその分野でプロの道を目指したいという意見を聞いた。

国の中には様々な意見があり、合意の形成ができない内に、むりやり1つを選んで合意(した形に)する。とはいえ私は合意する気がない議論のために議論は時間の無駄と思う。しかし、もう少し合理的な議会になって、国会に出ずに賛否が投票できれば、議員の先生もどこからでも参加でき、現場に居ながら情報も吸収できる。
市民は議員の投票結果により、誰を選ぶかを決められる。行政官は、各国の現状をみてあるき、それを議員に発表でき、何が優先順位かを考える、一種の社会のプログラミングともいえる魅力ある仕事になるだろう。政党の意味はかなり変わるだろう。

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