2016年1月26日火曜日

16007 人材の取り合いは国内だけではない( 孤独死しない町村や企業の最適サイズと寿命 )

16007

人材の取り合いは国内だけではない


(孤独死のない町村・企業の最適サイズと寿命)

1番大切な資産を取り込む時期

企業がどんどん大きくなり、限界に達した場合はその企業の存在する国はどういう問題が生じるのだろうか。例えば1つの資源が2位を格段に引き離しているようなケースでは、ダントツの産業にたよるリスクが増える。どの辺りが最適なのだろうか。       

資源のない国としては、そういう持てる苦労がなかったためか、相手のかかえる問題を理解する人が少い。それが分かるのは、入社した途端にルーマニアに工作機を売り、支払いはジャムで受けたと聞かされた商社マンくらいではないか売り込んでお仕舞いでも、買って終わりでもなく、相手の継続性を考えるということが欠かせないのだ。

日本では人材は使い捨てと思っている訳ではなかったはずだ。だが最近は10年前から騒いで人材資源が足りないのに、海外から入れようとしない。これでは企業家は廃業するか、海外に出てゆくしかない。
それを止めるには、中にいる人達が忘れている規制を緩和する協議会でも始めてはいかがか。外国企業の声を集めれば、彼らは遠慮がないから早いだろう。議員さんが地元の企業家のこえを聞いて参入障壁をつくる時代は終わっているのだから。

人という生き物を得るには、人につきものの人生の苦労や喜びを幾らかは一緒にしようとする、生きるための根気や覚悟がいる。時を分かち合え共生するには、雇用だけでない関係が求められる。それは人を活かすという意味で、体験と能力とをえる時期が求められていると思う。

資源大暴落に時代には突出することはリスク

少し話が跳ぶが、いま不透明な世界で、根元をゆるがしているものが幾つかある。
わかり易くするために、少し極端なケースを考えてみよう。
中東がガタガタしているがサウジとイランという大きな産油国が2国が対峙している。

資源が枯渇するまえに何をするか。周辺の小国で、人が集まり住みたくなるリゾートを考えたドバイの発想と企画には驚かされた。
まだ産油量に先ゆきの心配のない国では、いかに安定的に高く売るかだけだが、それだけでよいのかが課題である。

輸入するユーザー側に立ってみれば、景気の悪化などの理由で需要が急落し、そこに米国のように、シェールオイルを絞り出すような技術が現れ、世界の産油量が急増したここ2~3年のケースはどうするか。

2~3年まえはバレル当たり100ドルだった市場価格は、1月29日には33ドルまで実に3分ぼ1に暴落して、今までオイル頼りだったロシアなどの産油国は、売り上げが3分の1になり死活問題になっている。(原油価格の推移 2015年 のGoogle画像検索結果)
オイルの備蓄は今が時期であろう。

わかり切ったことだが、持てる国の悩みは、持てるモノに依存してしまい、他に何かで代替収入をえる努力(人材の育成も含め)が欠けてくる点である
例えば観光立国になると、アイスランドの火山大噴火のようなことが起これば、人気の観光地は客がガタ減りし干上がってしまい、補助金暮らしということになり困窮する。
考えられることは、観光に来た外国人をどう居住者に変えるかである。産業がなければあるシーズンだけでも文化的な活動や、教育的な分野で長期滞在してもらうとか、何かで自国との関係を広げる人脈を持って、きっかけを拡げるかである。

米とモノづくりの製造に特化してきた日本のような持たざる国は、ある意味で幸いである。売るものを考えるしか発展する道が無かったからだ。更に頑張って何かを加工している工場の周りに、関連の製品の設計や2次加工の工場を集めたり、人材あつめに知恵を絞ることである。米国では工業短大の教師は、産業振興のプロののような目をもって、地方の若者の職を見つけやすい教育分野を考えている。

昨年に起きたパリのISのような例は困る。これは言い過ぎかも知れぬが、嫌なことは移民にまかせ、楽に生きてきた欧州人が、不況のつけを移民のレイオフにしわ寄せたことが、社会不満を抱え込んでしまったように見える。それがいまEUが苦しんでいる遠因ではないか。たいがいの移民問題は人種や宗教の差別にあり、これを禁じることが移民受け入れの2条件であろう。禁じたから守るわけではなく、それを守ることを教える必要もある。
(イスラム女性のベールは禁じて問題のおこる国もあるが、許しても問題のおこらない国もあるようだ。つまりは、自国民にも受け入れる姿勢を教え続けるということ。)

自由経済では、法人でも採算分岐点まで従業員はレイオフは仕方がない。鎖国にしてしまうか、社会主義にしない限り、景気の波をうける以上は、どこかで受け皿を設けないと会社は存続できない。それがなければ、個々の市民が貯蓄や共働きで自立自衛するのだ。

これは民間企業の問題だけでない。日本も民主主義というなら、米国のように人口変動の結果により、議員数も自動的に決まる制度を作るべきだ。放置するから憲法違反の票の地域格差がおきたのだ。ようやく農業でも国際的に輸出が可能だというチャレンジが始まり、そうなれば東南アジアの国々とも、農業により技術を指導し、輸入する商品もできてくる。一方的な売り込みだけでなく、バランスよく衡平な関係ができれば、製造業とは違った発展があるかもしれない。

最適な仕事のシェアはどうあるべきか

これも異論が多い選択の問題だが、日米に共通している問題は、強力な自動車産業はべつにおいて、今後の頼りになる産業として何を育成するかであろう。まずは持たざる資源は輸入するしかない。その際に大事なことは、何をやるにしても国の安全が第1だ。次に衣食住より非常時の水の確保。そして不可欠な人材の確保、教育、電力であろう。    老人の介護と子育てだが、ここでも介護師という人のとりあいがあり、外国人を入れてもう少し稼げる仕事が海外に逃げないようにする必要がある。

この優先順位が混乱したため中東のISや中国の南沙諸島などで付け込みを許したのではないか。(China2049;マイケル・ピルズベリー)
終戦後の停電ばかりの時代に育った世代には、この辺りでの緊張感がゆるみが見えるが、政治家が党派の利益を優先しすぎ、短期議論に振り回されていると感じられる。

短期を10年以内とし、復興ルールを設けよう

東日本大震災の復興でいえば、人口が減少しており作業員が足りず、未消化が予想され、予算だけは5年間で19兆円とし消化不良を起こしたことは記憶にあたらしい。ベースの人材が足りなければ、いくら掛け声をかけても、就労人口がたりず第3の矢は働かない。 海外労働者をいれるのは反対しながら、アベノミクスは失敗だという評論家は、自己矛盾しているのだ仕事を創ってもやり手がいないのだ。
名前は実習生・研修生・アルバイトでも、足りない職務は外国人を使い有償で許可し、ある程度の日本語ができたら給与があがるような仕組みが介護などにも望まれている。

また現在も進行中だが、要介護な高齢者の人口に比較して、入居者10人当たりに1人の介護師という規則はムリで、圧倒的に不足するのは分かっていた。それでも、外国人の介護師をうけいれの手続きで、介護の仕事では使いもしない難かしい漢字テストを要求していると、メディアでも取り上げられた。

自治体職員は、いかに失った住民を帰還させるかだけで頭が一杯のようだ。戻ってこれない人達はすでに他の場所での職につき、子供は通学している現実がみえていない。
職の選択肢の少ない小さな町村で、戻る各人に合った職や学校を用意するのは至難である。個々の住民のための職探しなど、あるものの中で探すメンタリティーでは解決せず、町村の枠をこえた広域な需給の視点からの機能と役割の創設が求められている

① 決まりきったことは外国人に
復興での工事が30分~40分離れたところにあるなら、そういう短期就労者が居住しやすい食住環境を、仮設でも用意するのも重要である。往復バスは複数の町村で共同運営するのだ。つまり10年以内の臨時復興の需要に合わせた設営を県と町村が応じられる体制にしないと、町村は人材を中堅都市に吸い上げられて衰退するだけだ

それでも、人口がトータルで減っている県は、必要な労働者や介護師、診療所員、民生委員などの就業者が町村単位でみれば不足している。逆にいえば、お隣同士の支えあいの社会は、間の人間が欠けると崩壊する。
ということは、複数の町村掛け持ちの人材が必要である。

これにも外国人をいれて日本語で教育するしかないが、県単位で、最低限度の日本語の教育、生活の上でのマナー、刑法での遵守事項などを教える組織や機関を用意する必要がある。3年でテストでの合格がビザ更新の条件と予め了解させておく。)

② 人材教育に力を
外国人が入ってくると国内行政でも関与する機能(例えば英語のわかる警察官は広域で携帯で対応する)が増える。命令系統問いう発想とはべつに、機能だけは割り勘で負担する広域担当とするか、NPOで吸収するのだろう。外国人の介護師に日本語を教える学校などは、地方の県や自治体の下で全国に分散することで、新たな仕事を創設できるだろう

民間企業でも企業誘致ができない理由であり、海外にでてグローバル化で過去30年以上も変身に苦労している課題である。組織の垣根をこえて、他部門との協働でのしごとを進める能力や経験をもつ人材の育成が追いついていない理由である。こうした目に見えない障壁をのりこえるには、目標とする決定期日をきめ、諸部門の協力を求めうる柔軟な制度を作ることが求められている。それは県と市町村でもハッキリしてきたのだ。

何でも日本人がやるだけの人数はなく自前では解決しない

日本企業の殆どで実に勿体ないなと感じるのは、海外での日系人の活動の限界であろう。海外の独立法人でいえるが、例外はあるが、殆どは全く独立していない。
つまり、現地法人での決定は、日常業務にかかわることは任せているが(主として売買、集金、帳簿つけ)、あとはすべて本社が決定に関与するか、営業所あつかい。規模にもよるが、殆どは日本での課長職までの範囲での業務である。
だから、3年から5年で交替しても支障がおこらない。これは日本に居る人の都合である。要するに在庫管理と同じようなプロセスで回転に支障がおきない人事制度がベストという考えで行われている。それがどういう問題があるか。
·    
      1つは現地の米国人経営者が相手にしてくれる人材に成長するまでに2交替も3交替もする時間が要り、短期で用がたりるレベルの仕事しかできない結果になる。文化の違いも歴史も分からないのでは、1流人と話し合える素養がないとみなされる。      
·         2つ目は子供が3年間だけ通い、帰国してから苦労させるよりは、単身赴任ですまし、じっくり現地に腰をすえた友好関係を築きにくい。そのような贅沢なというか無駄な育成している程のゆとりは、今の日本にはないようにみえる。
  
  子供に英語を教えるために留学させている。家族で赴任すれば、子供の留学費は掛からないという発想が欠けている。ならばインターンに出す補助金を、海外派遣社員の家族の教育支援にもだしても同じだ。国内に戻ってきたとき、少しレベルの高い職につけば、所得税もスライドして増えるはずだ。  
·         3つ目は、海外での経営者としての経験がない中級の管理職では、グローバル企業が運営に苦労する時代が来ているのではないか。            

ある銀行さんの話し。1月23・24日に日米同時期の豪雪がおこり、現地人従業員は早退させ、日本人だけが近くのホテルに泊り込み、翌朝はタクシーか徒歩出勤だという。
<何だこれは40年まえとちっとも変わっていないではないか>というような話しである。だがこんな差別をさせる事まで本社のご意向で動くのかという部分と、決まりきった日常部分の業務は現地の米人任せでよいのではないかという疑問である。
何が問題なのかと云えば、国も大企業も、形は国際化してきてはいるが、やっている事のなかみは殆ど変わらない点である。

だから、全米に何千もの日系企業がありながら、その中で、本当に地元の米国企業人と語りあい、商工会や日米協会などで意見を交換している人達は、ほんの1部にかぎられてしまっているのだ。外国での政治には全く関与させず、できるだけモノをつくり販売するだけなら、これで済んだ。

ところが、慰安婦の例に見るような捏造などが放置された結果、他国の攻撃などにさらされ、現地の自治体への日系企業の影響度が損なわれた。これに対抗するには現地の住民(消費地)への日系企業の貢献のPRを忘れてはならないのだ。
結果として大きく歪められた不利な判決がなされると、現地従業員にも日本人にも肩身のせまい、生活環境も楽しみの少ない赴任になる。結局は短期駐在員派遣でまわす政策では、交代要員も不足する時代には、海外駐在も嫌がられることになり、早晩ゆきずまるのが目に見えているのだ。

最適な会社のサイズと寿命とは違った話

よく引き合いに出される日本最古の企業の1つとして宮大工をしている1千年以上の会社がある。金剛組、創業578年というから1400年の技能伝達をできている組織である。金剛組 - Wikipedia - ウィキペディアんでもない長寿の組織で大した物だが、それで飯の食える人数はごく限られている。千人の会社が千年生き延びる例はまだない。それに1400年前の神社仏閣が存続することが条件で、それの無い地域では、新たな産業を考えねばなるまい。

天変地異の先行きが不透明な時代は、恐竜よりは、体の小さな動物の方が集団では長寿かもしれない。
行政は縄張りがあるので、変更は政治的で決められない場合は、市町村を超えた広域のNPOでサービスを提供し、利用率で割り勘にする方が、分担がし易いようだ。

 ①    移動・送迎;人の移動手段として、今の時代には車は欠かせないし、今後も長続きするに違いない。だが高齢者が移動する場合は余り急がないでよい。
  鉄道の駅、スーパー、コンビニ、本屋、スポーツジム、居酒屋、診療所、役所、銀行の
  9ヵ所くらい。ボタン1つで自動運送する安価でスローな車も良いだろう。長野のようなところなら、山を削った丘に住みロープウエーでの上下するのも良い環境である。
 ②    集団の規模;ある程度の事務所や大工場が必要なのは、大量生産、いや大量組み立てが、既存の工場の拡張という自己中心ではなくなり、入出荷、託児所、レストランなどは共有。必要かつ競争力をもてる規模であればよい。工場にせよ事務所にせよ、最適なサイズを経済性で考えれば、都市である必要はない。
 ③    輸送費の経済;工場ではモノの重量は容量で鉄道+海運なのか、トラック+空輸などが決まる。事務所の場合は、情報の収集、加工(選別、分析、戦略、資料などの製作)ディジタル発信、紙での郵送、などにより可変な柔軟性が求められる。2週間の時間がゆるせば、陸上トラックで100キロの輸送費よりは太平洋を横断するほうが安い。

余談だが長寿がめでたいのは介護サービスの分野だが、そこに従事する介護会社も長寿であってほしいが、大規模よりは小じんまりした規模で、心が届くことを期待したい。

提案;短期出稼ぎ経営はやめ、中長期に変えよう

では地元の米人と永くつきあい、現地の小中学校にでかけて意見をいい、なにか起ったら米人(地元の人)が助けてくれるような関係をどう作るか。それには、失敗をおそれず現地のことは現地に派遣した責任者に一切をまかせることである。

(最近の日本の大企業の例にもみるように、本社が東京の中心部にあっても利益の先食い操作なども何年か行われていたなら、確率的にも海外でも発生比率は変わらなくて構わないのではないか。利益を先送りして部分脱税した話しはよく聞くが、良く見せようとして、金額を膨らませ先払いしているのだから、株主は怒っても仕方があるまい。誤解してもらってもこまるが、利益の先送りをやろうと主張している訳ではない。)

もう1つは、長く現地で家族ぐるみで滞在を希望し、現地尺度で有能な社員に対しては役員会での投票権のない株式(non voting stock)をもてるようにして、現地法人の株主になれる制度を認める時期ではないか。

取締役会のメンバーでなければ役員会には出席はできないから、年功序列ではない海外では結果を評価すれば、長期勤務が巾をきかせる心配はない。できる人間に永く働いて貰いたいばあい、本人の忠誠心に期待するより、利をもって人は動かすととであろう。それに拡散が生き残りには欠かせない。
               
予め簿価の0.01~0.5%とかを購入所有し、退職するときはその時点での残存簿価x比率で買い戻す制度を作るのである。簿価が増える経営ができれば、会社は発展するのだ。さすれば、現地に骨をうずめても良いという社員がふえ、現地に大きな日本人の人材ネットが築けると考える。但し、在庫をむやみに増やすのを防止するため、残存簿価に組み入れるのは業界の平均在庫率までという適正在庫の特例はつくる必要があるという意見は聞いたことがある。

0 件のコメント:

コメントを投稿