2020年1月21日火曜日

徴用工で韓国は永遠に自国の債権を確立する努力 金銭的痛みしか分からない人たちには相応の対応を

200102-(1)寄稿に加え

徴用工で韓国は永遠に自国の優位を確立する努力
(金銭的痛みしか分からない人たちには相応の対応を)

日本にある韓国系企業の資産差し押さえまでは
許されるはずという議員の意見があってよい
「慰安婦は別な問題で終了したが」徴用工の問題は終わっていないと主張は続いております。その根拠は殆どが捏造といえるのに、それを続けようとするのは、自分の生れ出た理由を日本を否定するためと位置付けるから、「反日種族主義」と呼ぶしかないと李栄薫が著書で示したわけです。
更にここで終わらせてはならないというのが現政権の厄介な方針のようです。

在日は日本人になりたいと届け出させよう
在日とここでいう人たちは韓国人で終戦の前後以降日本に住み着いている人たちである。この人たちは、日本人になってよかったと思うから日本に住んでいると私は推測しているが、予測のつかない原因や理由で、半島の2国が日本と紛争に巻き込まれる場合は、日本人になるか祖国へ帰るかはっきりしておいて欲しいと思う。敵ではない人と戦うのは好ましくないばかりか、利敵な活動をするとは疑いたくないからである。教育・勤教育・勤労・納税義務が3大義務というが、そのお返しに法的保護や様々なベネフィットを与える環境を提供している。
つまり難民資格がなく、滞在する旅行者はよいが、就労ビザをもたず、職にもつかず、生活保護を申請されては、本来の日本人の税による被扶養者では困るのだ。なぜなら、在日特権として、各種の税の軽減や、朝鮮人学校の特権、社会保障費の悪用、学生の暴力行為(在日特権脚注27https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%
A8%E6%97%A5%E7%89%B9%E6%A8%A9これを習うかのような、急増した中国系、ベトナム系なども、これからの改善がチャレンジと成ろう。

慰安婦と徴用工とは全く別の問題
慰安婦は売春婦の別の呼び名ですが、これは当時の朝鮮半島人を含む日本人の合法的な職業で有償で性的なサービスを提供していたのですが、その募集は当時の平均給の5~6倍の月収になったもので、募集されていたのを「強制だ」という虚偽の非難を始めたのが韓国だということです。
この10~30年、米国で秘密証拠とされて公文書館に保管されていた米軍のもの、現地での慰安婦尋問記録などが解除・公開され、他にも色々な募集広告や慰安婦の貯金通帳などが公開されて、強制はないどころか家が1,2軒たつほどの貯金ができた職業だと判明してきた。
それどころか、45年の終戦のあと始まったベトナム戦争でも、米兵むけに同様のサービスは継続されてきたと判った。

今回の最高裁(日本の呼び名を使う)が2018年10月30日一方的に下した判決には、韓国側が被害国として、1965年の日韓の協定の当事者の範囲を拡大し、国対国の協定の範囲外の被害者を一方的に変更し拡大する民間のグループによる市民裁判のような形を国が裏書きするような形式で、永続的な加害者対被害者という形を同意させようという主張であといえます。
政府関係機関は、すべて英文にして日本がただ拒否するだけでなく、韓国の異例な挑戦が極東の平和を揺るがせようとするあくどい挑戦だという事実を国際社会とG7に訴えることが望ましいと考えます。
ご賛同の高齢者は、次世代の極東を平和な将来を残す為に、ぜひご意見を表明していただきたいと考えます。

徴用工は強制でなく応募が殆ど
他方、徴用工は1944年ころになると、日本国内の若者は軍人として赤紙で強制動員されアジア各地に出兵させられ、国内の労働者が欠員が多数でて、ことに当時エネルギ―源だった石炭鉱山で働く労働者がいなくなったため、やむおえず動員された比較的少数の中に半島人が加えられたものです。それらを含め1965年の日韓協定では解決済みのものであります。

今後の両国間の金品の授受を伴う協定は、相手の善意を疑うべきではないかと感じます。私見ながら、一方的な金を1度に払わず、延払いとし、日本側の所有するものの引き渡しは、これも共有までとするなど、或いは韓国側の実行を伴わない場合は取り返せる国際管理下に置くなどを工夫すべきであろうかと思います。下の資料にあります通り、当時の韓国側の市民は、兵士への志願兵も多数であった状況から、職を求めて、或いはより過酷でも良い給与を求めて鉱山で働いた労働者もいたのであります。

併合が不法か否か国際検討会
ウイキペディアを引用する。
軍人志願者3回会議
年次
志願者
合格者
志願倍率
1938
2,946
406
7.3
1939
12,348
613
20.1
1940
84,443
3,060
27.6
1941
144,743
3,208
45.1
1942
254,273
4,077
62.4
1943
303,394
6,300
48.2
合計
799,201
17,664
45.2
韓国併合再検討国際会議
[]200111月にハーバード大学にて開催。第1回、第2回を引き継ぎ、締めくくりの役割を持つものとして開催[1]。日韓米のほか、英独の学者も加え結論を出す総合学術会議だった[2]。日本側からは5人が参加したが、海野福寿明治大学教授の「不当だが合法」論や笹川紀勝国際基督教大学教授の不法論など見解が分かれていた。韓国側は4人が参加し、「条約に国王の署名がない」ことなどを理由に不法論を主導している李泰鎭ソウル大学校教授を始め、全員が不法論で会議をリードしようとした。

 しかし日本の原田環広島女子大学教授は併合条約に先立ち、大日本帝国大韓帝国保護国にした日韓保護条約(第二次日韓協約)について高宗皇帝は条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介し、注目された[1]。併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、国際法上必ずしも必要なものではないとする見解が英国の学者らから出された[2]アンソニー・キャティダービー大学英語版)教授は、そもそも当時、国際法といえるものが存在していたかどうかさえ疑わしいとし、特定の条約の合法、違法を判断するに足る法を発見するのは困難であると主張。国際法の権威ジェームズ・クロフォード英語版ケンブリッジ大教授[4]は、当時の国際慣行法からすると英米を始めとする列強に認められている以上、仮に手続きにどのように大きな瑕疵があろうとも「無効」ということはできないと指摘した[1]

間島特設隊」、および「満州国軍」も参照
日露戦争を機に大韓帝国に駐留した韓国駐剳軍(ちゅうさつぐん)を前身とし、明治43年(1910)の韓国併合に伴い朝鮮駐剳軍に名称変更、7年(1918)に朝鮮軍となった。司令部は当初漢城の城内に置かれたが、後に郊外の京城府龍山(現・ソウル特別市龍山区)に移転した。

1937に日中戦争が勃発すると、朝鮮人からも志願兵を募集[12]し、多くの朝鮮人がこれに応じた。実際に、1942に行われた朝鮮出身者に対しての募兵では募集4,077名に対し、254,273名の朝鮮人志願兵が集まり、倍率は62.4倍に達した[13]。ほか軍属として戦地に赴いた者も存在した。
19444月の法改正によって19449月からは朝鮮人にも徴兵が適用されたが、入営は19451月から7月の間に限られたため、訓練期間中に終戦を迎え、実戦に投入されることはなかった[16]
昭和20年(19452月、戦況逼迫に伴い17方面軍が設けられ朝鮮軍は廃止されたため、管轄区域の朝鮮軍管区は第17方面軍司令部が兼ねた朝鮮軍管区司令部が管轄した。

契約の履行の担保;彼らとの合意は、こちらの実行は記録に残せるが、韓国側が合意に反し、国民に渡さなかった金額は、実行を担保するために、土地を租借で押さえ、監視しつつ土地の返却をパーセントでリリースするなどがないと、あとから前言を翻す、香港の事例などと同様になる。

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