2020年5月31日日曜日
<寄稿>下村和氏 NW大 『恐怖心への処方箋』
<寄稿>下村和氏 NW大
『恐怖心への処方箋』
令和2年5月15日
「失敗したらどうしよう」、「自分の選んだ道は間違っていたのではないか」。新しいことに挑戦すると、 必ずそこに不安や恐怖がつきまとう。一旦そう考え始めてしまうと、どんどん泥沼にはまっていく。結果が出てくれば、自ずとこの不安や恐怖は無くなっていくことはわかっているのだが、それまでの過程でうまくコントロールしないと完全に飲み込まれてしまう。私も日々、不安と恐怖と格闘している。「ネガティブなことは考えずに成功した時のことのみを考えて進みなさい」と人は言うが、言うは易く行うは難し。その方法を教えてくれる人は誰もいない。
私の専門分野の一つは体内時計と睡眠である。人間の体に内在する体内時計は、 自然界で起こる24時間周期の自然現象への適応を可能にしている。当然不安を強く感じる時間帯もあれば、大丈夫だと思える時間帯もある。私にとって最悪の時間帯は深夜1−3時の間である。草木も眠る丑三つ時だ。この時間帯に目が覚めると寝付けないことが多い。悲観的な思考回路になり、不安や恐怖に苛まれることも少なくない。
そこで、「恐怖心を克服するには、とりあえず丑三つ時に目が覚めないようにすればいいのではないか」と考えた。自分を観察してみてまず気がついたことは、夜中に目が覚めてなかなか寝付けない時はたいてい空腹であるということだ。ここで「深夜に目が覚めるのはお腹が空いているから」という仮説を立ててみた。さらに、夕食に何を食べたかもキーになるのではないかと思った。ちなみに、私の場合は夕食にパスタ、パン、ピザ、お好み焼き、うどんといった小麦由来の炭水化物を食べると、高い確率で深夜に目が覚める。もしかすると、米を食べていないことが問題ではないかと考え、「うどんと米」、「お好み焼きと米」といった食事を試してみた。すると、丑三つ時に目が覚めることはなくなっていった。自分の夕食には米が欠かせないことを確信した。外で酒を飲むと、ほろ酔い加減でうちに帰り、米を食べずにすぐに寝てしまうが、こういうときは必ず丑三つ時に目が覚める。これも帰宅後ご飯を食べるようにしたことにより改善された。
しかし、なぜ私の体は米でなければ機能しないのだろう。以前、イタリア出張で全く米がない生活を1週間送ったことがあった。まずは英語が話せなくなり、次に英語が聞き取れなくなる。そして考えること自体が面倒臭くなり、ついに人間として機能しなくなった。米や小麦に含まれるでんぷんは人間にとって重要な栄養素だ。でんぷんは葉緑体を持つ植物が太陽のエネルギー、水、二酸化炭素から作り出す炭水化物だ。しかし、人間を含めた動物は自分ででんぷんを作れないので、植物が作ったでんぷんを食べる。でんぷんはグルコースが約200個程度繋がった高分子である。人の体はこれを分解してエネルギー源となるグルコースを得ている。しかし、同じでんぷんなのに私の体は小麦では機能しない。なぜか。米でんぷんと小麦でんぷんは人間が消化できる部分には大した違いがないが、「できない部分」に大きな違いがあるからだ。
近年、この「できない部分」を消化しながら生きている生物の存在がクローズアップされている。それは人間の腸内に生息する約10兆個の細菌だ。この腸内細菌、どうやら米対応型と小麦対応型とがあるようだ。私の実家は米農家だ。子供の頃から米中心の食生活をしてきた。おそらく私の腸内に生息する細菌は米食対応なのだろう。胎児は母親のお腹にいる間は完全無菌状態で過ごすが、 産道を通るときに母親の腸内細菌をもらう。私の母親はもちろんバリバリの米食人間。彼女の腸内細菌もバリバリの米仕様だったに違いない。だから、米食以外のものを食べると私のお腹の細菌たちは困惑する。米対応の腸内細菌では小麦を処理しきれないのだ。あの出張以来、私は出張の際には必ずおにぎりを数個持参する。出張先でも日本食レストランに行くと、おにぎりを作ってもらって持ち帰るようにしている。
さて、この夕食に欠かさず米を食べる食生活、私に予期せぬ副作用をももたらしてくれた。私は一日の中で最も調子のいい時間帯をゴールデンタイムと呼んでいる。私の場合、それは早朝に訪れる。ゴールデンタイムは仕事の能率が上がるだけでなく、不安や恐怖を感じることも最も少ない時間帯でもある。私の起床時間は5−6時の間。目覚めにスターバックスのフレンチローストを飲むと、頭にスイッチが入る。ゴールデンタイムのスタートである。しかしこのゴールデンタイム、朝食をとるとスッと消えてしまう。もし7時にお腹が空いて朝食をとると、貴重なゴールデンタイムがたった2時間で終わってしまう。常々私はこのゴールデンタイムを引き延ばせないか画策していた。丑三つ時に目が覚めない食事はまさにその答えだった。早朝の空腹感がなくなり、その結果、ゴールデンタイムが6時間(1日の1/4)も持続するようになった。
しかし、いくら質の高いゴールデンタイムを確保するためといっても、デスクワーク中心の仕事の中で、夕食に米をたっぷり食べる生活をしていたら当然太る。この食習慣は昨今世間でもてはやされている低炭水化物ダイエットの真逆をいっている。そこで、この食生活を続けていく上で絶対に欠かせないのが運動だ。運動することによってエネルギーを消費しなければこの食習慣は成立しないし、健康な体を保つこともできない。運動をすれば当然、筋力もつき怪我を防げる。運動をして汗をかくと恐怖心が薄らぎ、いいアイディアが湧いてくることもある。一石二鳥、いや三鳥である。私はここでも思わぬ副作用を得た。
何をするにも体が資本だ。健康でなければ仕事はうまくいかない。仕事がうまくいかないと不安や恐怖に苛まれる。「体にいい食事」という言葉をよく耳にするが、それは、たいていの場合「太らない食事」と捉えられることが多い。しかし、自分の能力を最大限発揮できない食事は決して体にいいとは言えないのではないか。私の場合、恐怖をコントロールすることから始まった「自分研究」は自身のデータを解析することからはじまり、体内時計の重要性、睡眠の重要性、食事の重要性に気づき、最終的に「米」にたどり着いた。自分に根付いている腸内細菌は、もともと稲作が生活の主体であった我々日本人の歴史であった。そして、自分の体を知るということは、日本人が莫大な年月をかけ編み出した壮大な食事の歴史を知ることでもあった。
「そんなにお米が必要なら、どうして日本に帰らないの」 妻は米を美味しそうに食べる私を見ながらよくつぶやく。「ここは米国だから」 私はいつもそう答える。米がないと生きていけない日本人がよくもまあ30年もアメリカで過ごしてきたものだ。よく考えると大変滑稽な話である。
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