2017年10月2日月曜日 再掲載 10月19日、2020年
歴史は繰り返す・危機的状況に見える自由陣営
170920
読者の皆様へ;
わたくし事ですが、高齢化した父の葬儀の10年ほど前から、長男として先祖の墓を守るのは私だという弟たちの期待も聞こえました。学者で頭のしっかりしていた父を看ながら、亡くなるまえ2~3年は長年住み慣れたシカゴと千葉との間を隔月で往復する時期もありました。「人生至る所に青山あり」で、死に場所はどこにもあると思うものの、先祖の地に戻るべきだとの考えになりました。
会社のほうは息子が継いでくれ頑張っておりますので、もう大丈夫と感謝しております。
米国での生活は69年の夏、商社マンとしての第1希望地にシカゴを選んだことから始まりました。70年ころの米国は、圧倒的な強国で世界経済のリーダー国。今のような価値観にゆらぐ部分はなかったのです。とうじ日本でも大手企業では、すでに土曜が半日勤務であったし、米国も日曜日はデパートなども休みで教会にゆく人が多かった。
かわり始めたのはベトナム戦争の結果、1ドル360円から70年には308円になり、ドルは金との交換制度をやめた。そのためOPECが組織され、73年には原油価格が3ドル前後から11ドル/バレルに上がり、ガソリン価格も連動してはね上がる。ティシュペーパの買い占め、米国では女性の共働きが急増し、2人の収入で家計を支える時代になった。
日本はオイルショックのあと、安い家電品の輸出から、NCマシンや自動車などの品質があがり、製鉄業も付加価値の高いシートメタルの輸出へと変わった。79年にはインフレののため、プライム20%という金利になり大不況になった。これらはクリステンセン教授の市場の変化の指摘を本ブログでご紹介した通りです。(14115(4)-1米国での主要市場内の変動と将来)このころパソコンが事務所にも現れて、事務所の効率化が進みだした。
だが基本的には、国際間の貿易は輸出オンリーでは許されないのは、米国のような基軸通
貨国でも耐えられないからです。商社にいて、率先して70年代の10年間は日本品の販売網つくりに苦労したあと、消費国での生産にシフトせざるを得ないとの結論になり、独立したのです。他社の造らない商品をつくれる(たとえばウオークマンのソニーなど)少数のメーカーを除けば、自社製品を輸出するだけのビジネスモデルは永続はできない、せめて部分の現地生産をと商社内でも主張しましたが、聞いてもらえなかった。円は250円からさらに160円の方向へ円高と事業予想し、米国で安くできるものは作るという部分に、メーカーは同意できなかったのです。
メーカーは輸入品を増やす部分でも、商社と違い国内での販路がないからでもありました。変革したよい例はコピーマシンで、機器の販売から、重点はトナーの供給に変わっている。個人消費では金額のおおきな自動車、インフラプラントより軽量な産業機器、住宅などではリースの延払いで、機能をファイナンスしてもらう姿に変わっています。
これらの変化をNYで見ていたトランプ氏の国ごとの交渉という主張は、理解できる部分はあります。だが2国間での貿易バランスを個別交渉では、売るものと買うものの金額が違い、うまくゆく筈がないと思われます。1台の工作機を売るとコンテナー1杯のジャムを買うなどの例も見ておりましたが、すでによそから買っている。グループ国のなかでの三角とりひきや多角とりひきで、つまりTPPでバランスさせるしかないと私は信じています。
大体、資源のない日本のような国が、自然エネルギーと太陽光や風力だけに頼るのもコスト的に無理があり、電気代を無視して脱原発などというのも、何でも反対の野党の道具にされている感がある。原発なら原価6~7円で、3割ちかく原発に頼っていた大震災まえでも、千葉の電気代は22円だった。消費者は津波は防げないとあきらめているようですが、冷却ポンプに他社からの電気が来ていればメルトダウンは防げたはずという意見があります。規制委員会の再稼働の条件は不必要にきつすぎてコストがかかり過ぎで、やめる方向に傾きすぎだという専門家の反論もあります。
いま頭上を核ミサイルが飛び交う時代に、廃炉にして核の研究もやめるなら、国防上から考えて安全かといえば疑問がある。超小型の原発の開発をカナダが始めるという。『本当か分かるように説明してくれ』という方が安心です。
日本はバッテリーの分野では最先端にあるようで、これから目覚しく躍進できる可能性がある。ただ輸出販売するのではなく、相手国の産業や輸出入のバランスを考える取引のイノベーションが求められているのです。
この点については、隣国が従来の商習慣や国際合意を無視して、ソーラパネルメーカーをドイツでダンピングで破産に追いやり、やす値で世界のソーラーパネル市場を独占しようとしていると見えました。自国の市場は規制で守り輸入は規制し、外国企業の国内活動を不利にする後だしルールの自由では、余りにもアンフェアだからです。
こんなやり方を許すのであれば、そのような国の多数の国有企業が自由貿易の国際市場を席巻するのを許せるかという部分を、もっと真剣に考えて、議論すべきであろうと思う。
ただ平和をと騒ぐだけでは国は守れないのです。国民の命を守れずに、憲法で保障する生命と財産、幸福の追求をどう守るのか、9条論者にお聞きしたいものです。
人生の大半を過ごした米国から戻るにあたり、まだ決めたわけではありませんが、ここ数年で2百人を超える日本からのインターン諸君に接した経験で、若い人たちに国外からの視点で考えを発信するのも、長い将来のある彼らには多少の意味があるのではないかと考え始めております。
読者の皆様へ;
わたくし事ですが、高齢化した父の葬儀の10年ほど前から、長男として先祖の墓を守るのは私だという弟たちの期待も聞こえました。学者で頭のしっかりしていた父を看ながら、亡くなるまえ2~3年は長年住み慣れたシカゴと千葉との間を隔月で往復する時期もありました。「人生至る所に青山あり」で、死に場所はどこにもあると思うものの、先祖の地に戻るべきだとの考えになりました。
会社のほうは息子が継いでくれ頑張っておりますので、もう大丈夫と感謝しております。
米国での生活は69年の夏、商社マンとしての第1希望地にシカゴを選んだことから始まりました。70年ころの米国は、圧倒的な強国で世界経済のリーダー国。今のような価値観にゆらぐ部分はなかったのです。とうじ日本でも大手企業では、すでに土曜が半日勤務であったし、米国も日曜日はデパートなども休みで教会にゆく人が多かった。
かわり始めたのはベトナム戦争の結果、1ドル360円から70年には308円になり、ドルは金との交換制度をやめた。そのためOPECが組織され、73年には原油価格が3ドル前後から11ドル/バレルに上がり、ガソリン価格も連動してはね上がる。ティシュペーパの買い占め、米国では女性の共働きが急増し、2人の収入で家計を支える時代になった。
日本はオイルショックのあと、安い家電品の輸出から、NCマシンや自動車などの品質があがり、製鉄業も付加価値の高いシートメタルの輸出へと変わった。79年にはインフレののため、プライム20%という金利になり大不況になった。これらはクリステンセン教授の市場の変化の指摘を本ブログでご紹介した通りです。(14115(4)-1米国での主要市場内の変動と将来)このころパソコンが事務所にも現れて、事務所の効率化が進みだした。
だが基本的には、国際間の貿易は輸出オンリーでは許されないのは、米国のような基軸通
貨国でも耐えられないからです。商社にいて、率先して70年代の10年間は日本品の販売網つくりに苦労したあと、消費国での生産にシフトせざるを得ないとの結論になり、独立したのです。他社の造らない商品をつくれる(たとえばウオークマンのソニーなど)少数のメーカーを除けば、自社製品を輸出するだけのビジネスモデルは永続はできない、せめて部分の現地生産をと商社内でも主張しましたが、聞いてもらえなかった。円は250円からさらに160円の方向へ円高と事業予想し、米国で安くできるものは作るという部分に、メーカーは同意できなかったのです。
メーカーは輸入品を増やす部分でも、商社と違い国内での販路がないからでもありました。変革したよい例はコピーマシンで、機器の販売から、重点はトナーの供給に変わっている。個人消費では金額のおおきな自動車、インフラプラントより軽量な産業機器、住宅などではリースの延払いで、機能をファイナンスしてもらう姿に変わっています。
これらの変化をNYで見ていたトランプ氏の国ごとの交渉という主張は、理解できる部分はあります。だが2国間での貿易バランスを個別交渉では、売るものと買うものの金額が違い、うまくゆく筈がないと思われます。1台の工作機を売るとコンテナー1杯のジャムを買うなどの例も見ておりましたが、すでによそから買っている。グループ国のなかでの三角とりひきや多角とりひきで、つまりTPPでバランスさせるしかないと私は信じています。
大体、資源のない日本のような国が、自然エネルギーと太陽光や風力だけに頼るのもコスト的に無理があり、電気代を無視して脱原発などというのも、何でも反対の野党の道具にされている感がある。原発なら原価6~7円で、3割ちかく原発に頼っていた大震災まえでも、千葉の電気代は22円だった。消費者は津波は防げないとあきらめているようですが、冷却ポンプに他社からの電気が来ていればメルトダウンは防げたはずという意見があります。規制委員会の再稼働の条件は不必要にきつすぎてコストがかかり過ぎで、やめる方向に傾きすぎだという専門家の反論もあります。
いま頭上を核ミサイルが飛び交う時代に、廃炉にして核の研究もやめるなら、国防上から考えて安全かといえば疑問がある。超小型の原発の開発をカナダが始めるという。『本当か分かるように説明してくれ』という方が安心です。
日本はバッテリーの分野では最先端にあるようで、これから目覚しく躍進できる可能性がある。ただ輸出販売するのではなく、相手国の産業や輸出入のバランスを考える取引のイノベーションが求められているのです。
この点については、隣国が従来の商習慣や国際合意を無視して、ソーラパネルメーカーをドイツでダンピングで破産に追いやり、やす値で世界のソーラーパネル市場を独占しようとしていると見えました。自国の市場は規制で守り輸入は規制し、外国企業の国内活動を不利にする後だしルールの自由では、余りにもアンフェアだからです。
こんなやり方を許すのであれば、そのような国の多数の国有企業が自由貿易の国際市場を席巻するのを許せるかという部分を、もっと真剣に考えて、議論すべきであろうと思う。
ただ平和をと騒ぐだけでは国は守れないのです。国民の命を守れずに、憲法で保障する生命と財産、幸福の追求をどう守るのか、9条論者にお聞きしたいものです。
人生の大半を過ごした米国から戻るにあたり、まだ決めたわけではありませんが、ここ数年で2百人を超える日本からのインターン諸君に接した経験で、若い人たちに国外からの視点で考えを発信するのも、長い将来のある彼らには多少の意味があるのではないかと考え始めております。
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