2014年11月15日土曜日

14149 日本(人)を好きな国々と嫌いな国



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日本(人)を好きな国々と嫌いな国
個人的な意見と若者への期待と

嫌いな国の皆さんへ

過去の歴史を学べば学ぶほど、隣国の日本非難の背景と動機は、半分は日本側の慈悲の心や、思いやりからだと理解している。非があるとすればきちんとした計算で両国民の理解を経ないで金を払ったことである。韓国へ残してきた投資や資産の返還も未処理のままである。その善意を逆手にとったゆすりとタカリの心が、如何に自国民を卑小にしているかを気づかないのは残念だと思う。国内の左派がそれに乗ったのも情けないが。近隣国はどこも、相手国に吸収されないために多少の憎しみあいはつき物ではあるが。(米国とメキシコの国境、リヒテンシュタインと周辺国、独仏の国境、みな特別に労働者の日々の往来に配慮をしている)

1982年、91年と隣国は財政や経済が破綻危機の度に、日本に対する慰安婦問題が持ち出し、事実関係を深く調べず金を払ったことが、既に公になっている。吉田清次は著書を捏造と認め、朝日新聞も8,9月の報道で慰安婦部分と、福島の吉田所長の部分は取り消した。これで日本も従来のように安易に金を払うことはできない。(1例http://www.youtube.com/watch?v=LZn7hnJ5LKc) 
(もともと、)日本を非難するなら、その立証(挙証)義務は半島側にあったのだ。

その後の97年の経済破綻や最近の問題も、身の丈を越えた国際活動も、地形からくる防衛の重要性の部分も日本の責任ではない。
麻薬患者かギャンブルにはまった息子の母親のように盲目に払ってやれば、いつまでの自立できないで、逆に親に対し「なぜ生んだ」とおどすのと同じである。70年前の併合時の問題だというのも余りにも無理があり、あくまで自己責任で、自力する経済力と防衛力を持ってもらうしかあるまい。

日本が好きだという国々の皆さん

逆に日本が好きだという人たちは、米国でも多い。私の周囲にも友人や知人として、また取引先や日米協会、仏教の活動などを通して多数がいる。嬉しい事に挙げてゆくときりが無い。これは諸先輩の慈善、善意の心と長い友好への努力のお陰であり、心からありがたいと感謝している。

英仏露中米などは、それぞれが日本と戦った時期もあったから、1概にはいえないが、厳しくても仕方のない部分もある。英系は『こういう部分は』という条件付で、自分の価値判断で批判する部分もしっかり持っているようだ。インド人もガンジーやネルーなどは英国の教育を受けており、著書を通して似た部分を感じる。社員にインド人がおり穏やかで優秀である。以前仏人マネジャーもいたがフランス人は日本文化に詳しく、特に浮世絵の影響を強く受けているので、米国でも概して親日である。

150年の誇れる歴史

少なくとも日本の近代史でみた各国との付き合いは、日本人としては誇れる理由はそれぞれに違っていて、昔からの先人の努力やお付き合いが理由なのだが、いくつかあげてみたい。       
  •  自国の船が難破したとき、貧しくても食物を分けてくれた(トルコ、メキシコなど)
  •  昔大国ロシアと戦った同盟国で、孤児を700人以上も引き受けて健康にして戻した国        (http://www.youtube.com/watch?v=4ZI6EwX5c80
  •  植民地にならぬよう、150年間には英、仏、清、露、米などの大国と戦った歴史に見える自立心
  •  武士の忠信と家族への自己犠牲になる勇気
  •  大国の周辺で苦労してきた共通する経験や歴史がある
  •  規律が正しく、勇気がある、
  •  自国を含めたアジアを植民地からの自立を助けてくれた
  • 昔から日本との付き合いが長い
  •  同じく自国の難破船を救ってくれた
  •  シルクロードの終点としての交易があった
  •  自国の朋友を本国の命令に違反してまで何千人も特別ビザで助けた人がいた
  •  清潔さと礼儀正しい文化をもつ
  •  映画「おしん」の貧困から脱する努力
  •  戦後の苦難を乗り越えて、目覚しい経済発展をとげた
様々な理由があるが、多くは大国の周辺国であるが、めげずに自立する勇気を持つ文化と礼儀、それに最近ではアニメが好きだという若者たち、と纏められるだろうか。つまり今の日本はアニメが代表する部分もあるが、過去の日本文化そのものとも言えるのだろう。

経済発展への敬意は日本人全体に対してであり、東北大震災のあとの日本人の態度に対してであるが、多くが文化と個人の規律、訓練、命を犠牲にする勇気へであろう。
これからも過去の歴史に恥ずかしくないように、先人たちの努力を見習い、さらに新たな記念すべき友好な行為をできるよう頑張るよう期待したい。

中東の人達や1党独裁国の人たち

日本人の若者にほれ込む人たちがいるかもしれないが、あなたがイスラム教の厳しい日常の礼拝(1日5回)や習慣に従う覚悟がなければ、はっきりと断るほうがよいのではと思う。
私見だがイスラム教では神はすべての人間の上にあり、少ない例外の国を除いて、民主主義で政治のリーダーを選んでも、その上に宗教のリーダーが最終権限をもつことが多い。いざという非常時には誰の指導の下に行動をするかである。

その意味では中国の共産党支配も憲法の上位での指導権を持つから同じであるが。
多くの日本人には、宗教は冠婚葬祭の時にどの儀式を行うかというような気軽な存在であるが、米国で見る宗教は個人の生活態度を指導し、律する人間の上の存在である。これは軽くは扱えない存在で、そこに礼を払わないと軽蔑される場合も多い。

基本的な立ち位置

現在の中国は、アジアでの指導的な立場に立ちたいという指導層の意思が現れているが、送り込んでくる個人の中には、犯罪者も多い。また自治体レベルでは小笠原諸島での海賊行為にも似た領土侵略と海産物の略奪的活動を許している(200隻を超える大型漁船の存在は、日本は犯罪者として日本法での刑罰を執行すべきである)。(5百年前の日本はいくつもの独立国に近い状態で、倭寇という族がいたが、近代の日本では、そうした違法行為は許されていない。)
巨大人口を武器とする南海諸島での領土侵略や、資質の低い個々人の教育(しつけ)を見るに、ぜひともレベル向上を願いたいと感じるし、取引量を武器にされないよう、他国との取引にシフトせざるをえない周辺国を理解してほしい。

人が好きか嫌いかは個々人の好みや、それぞれの体験で形つくられているから、あまり一般化して考えないほうがよいと感じる。どこの国にも刑務所はあり、その意味では善人も悪人もいると考えたら、間違いはないだろう。
人は何かの価値観により、正しいことと間違っていることの判断の軸をもち、その上に生き方や、好き嫌いなどの体験的な部分が重なっていると考えるから、どこの国は嫌いだという一般論な表現は避けたい。(私の隣国人・半島人への厳しい見方は、過去の事例からの行動パターンや捏造なども含め、多様性を認めない教育、法治・人権の欠如への評価からである。)

若い人達は、これから過去のそれらの国と日本との歴史的な関係を学び体験しながら、それぞれが自分の考え方に基づいたかかわり方をしてゆくほかはないと思う。

日本人の指導者には、「和をもって」という和平の言葉を大切にしながらも、明治時代人が1目を置かれた武道・武士の精神を鍛え直し、精神面での指導的な役割を担ってほしいと思う。海外でいざという時に役立つのは、孤独に慣れること、精神面の鍛錬であると思う。

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