2014年11月11日火曜日

15148 自由な発想が足りないと、選択肢が狭まる(2)

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自由な発想が足りないと、選択肢が狭まる(2)
(細分化を逆転させるには)

組織・制度からの思考の解放

(14145章の表は概念図、14132参照;それぞれの2本の破線の幅が同一業種内、あるいは社内の人数増減を表わす)

エリート層(異動グループ)と考えていた集団が、40歳を過ぎると急に人数がポスト数で減る。一般論として、40過ぎたらポストが削られ課長以上になれるかどうか分からないし、なれば自由な発想は許されず、ますますミスが許されなくなる。ならねば、どこに行くか分からないから、『役に立たないことを考えても仕方がない』とその前から発展的に考えなくなるように見える思考停止の理由は、他人に人事を預けているからだ。
これは考えが逆で、自分の自由なチョイスを増やすために、考えようといいたいのだ。

① 狭い社内での競争はしない

米国で産業機械の販売網をつくる必要性を確信したのは、米国に赴任して2~3年のことだった。日本で量産された機器を、米国の競争相手で販売網を持つ会社のブランドで大手に買ってもらうのは、金額も纏まるから魅力はある。だが良く見ると価格だけで叩かれて、自分には何も機能がなく、安いメーカー品に取り替えられるリスクにさらされる。それなら時間はかかっても自社のブランドでやるべきだ、というのは誰もがわかる。

そこから後の苦労は昨年9月後半からのブログでも失敗例を色々述べた。
要するに社内での前例のないことにチャレンジすることであった。チャンスをやるから新規プロジェクトをやってみろと言われた。(その前に自分のノルマを滞在期間中はまかなえるまで達成できた幸運もあるが)。すると社内での競争などは関係ない、競争は社外の米国企業であった。

自分の入社年次も年齢も関係なく、丸裸で自分の能力とポジションが外気にふれると、何が起きるか。普通の米人なら自分の得意な分野で、生涯それを継続し拡大して行くことになる。つまりはビル・ゲーツでもタイガー・ウッヅでなくても構わない。何かの職種あるいは関連する場所で生涯を生きる。そういう人たちを雇ってやらせることができないとだめだ。(私はプロジェクトが採算分岐点にのせたので退職した)

その間に、米人から新らしい会社をやらないか、と随分沢山の誘いも受けた。
自分では機械産業に属していると思ったが、米国の大手に勤める人が中米のアボガド大農場を相続して持っているから、これを1諸にやらぬかという変わった話もあった。

② 選択肢が増えるが的は絞る方がよい

江戸時代の職人とは違い、情報が加わった専門職のプロとして伸びてゆき、地元に永く住む。大事なことは仕事の始めから終りまで総てを理解することだ
大会社のように3年ごとに地位と昇給のために、国内や海外の拠点をめぐる渡り鳥のような異動組みから、広域定住者に近い生活になる。多分生涯に2~3回の引越しで終る。私の場合は、いきなり何社もが1緒にやろうという話を持ち込んできた。それを欲張って幾つも立ち上げて、40代は土日もなく働いた。これをやめて、家族旅行や地域社会との交流に当てたらよかったと気付き、60代にそうしたが、もっと早くやれば良かった。

何れにせよ、雇われてサラリーマンを続けるという人もいれば、少人数の気のあった仲間と起業する人、フリーランスのような、データをグラフ化させたら東北1というような人などが、自宅から通勤15分の事務所で開業する

毎日1.5時間の節約になれば1年に200日通勤(50日は出張)するとして、300時間、約15%以上の時間の節約になる。たとえその分給料が減っても、自由な時間が増えてより豊かな生活ができる。これについては米国の通勤時間などに触れた。
通勤時間で節約された時間が自治体にとっても個人の自立にも欠かせない(14132参照)

その時間を何に活かすかは個人の才覚である。得られるものは大会社の細分化された組織という枠内の思考からの解放であり、1人立ちしたとたんに求められる自己ブランド、個性だと気付く。それはシカゴ郊外に永く住み外を眺めると、多くの米人の生き方だと分かる。週末は残業(あるいはゴルフ)でヘトヘトに疲れて寝るばかりでなく、子供と1緒にスポーツや娯楽、でなければ新事業を考える。すると時間のゆとりによる発想の豊かさの違いが良くみえてくる。

信用できるメカニズムとコミュニケーションの向上のために

くり返しだが、ゆとり世代の調査能力があるが行動力が足りない分は、やる気で補える。
地方都市や田舎での生活で、地域活動への参加や頼りになる単身赴任しないお父さんとのコミュニケーションが増え、行動面での経験が増せば、相当に改善される
残業をなくし、短期の人事異動をやめれば、地方にも特色ある人材が育つ。自分が見ている範囲の人しか任せられないと、人事異動は延々と続くように思える。

これは米国でもいえるが、3年や5年で交替するから、現地の人達とのパイプが出来ないのだ。1番重要な部分として、日本企業は極度に訴訟を(悪として)怖れるから、日本人も外国人も信用できないのかもしれない。そのため現地での癒着をおそれて、短期交替人事をするのではないか。米国では新法ができると司法判断が公式回答だから、1度訴訟をして裁判所の判決をみたいというのが常識である。
海外で現地の人間に任せるには、銀行や弁護士に相談して、小切手支払い限度額、支払い先、署名者の変更は本社の承認を条件にも出来る。それで透明度が維持でき、かなり解決できるはず。)

東北の沿岸被災地の再建も、土地に執着した高齢者だけでは纏まらない。やはり若手の体育会系のスポーツマンやボランティアが(文書による伝達だけでなく)、体を運びながらの世代をこえた交流を通じて、活気ある地方都市が再生できるものと期待している。
行動の前に、体を鍛えなおそうとすればすぐ気付くのは、早寝早や起き・規則正しい生活だ。

組織が大きいままだと全員が無責任になる

なぜ今の日本では誰もが責任を取れなくなったのか。いや、責任を避けるような仕事の仕方をするようになっているのか。それは、仕事を縦割りと横割りで細分化しすぎて、境界線の数だけが増えて、中味よりは境界線の範囲ばかりのエキスパートになっていないか。かつ境界の外の知識や経験には極端に弱い人が多くなったから、そう感じるのだが。

もう1つは、下請けに丸投げし過ぎで自分のコントロールが効かず、ただいう事を聞いてくれる(弱そうな)ところに責任だけを押し付ける習慣が多すぎるのではないか。
もう1度日本株式会社のGDPの内300兆円の半分を、50万社くらいに割り振り、1社3億円の売上げで従業員数20~30人で分担し再出発したと考えたらよい。透明度も上がるし、1社に必ず2~3人の責任者が出来る。50万社で100~200万人しっかりしていれば、世の中はまわる。ブル下がりは最大1割で済む。
無論GDPの半分の巨大企業は別としての話であるが。

3大都市の生残りで、少子高齢化による過疎化をすすめるか

残業を諸悪の根源のように書いてきたのはなぜか。それは残業なして経営するのが経営者の務めだと考えるからである。仕事の増減を勤務時間の増減で置き換えるのは経営とはいえないのだ。残業ゼロになれば、作業効率を考えるのは経営者の仕事になる。
そして、部下の残業に甘えなくなれば、通勤時間の最も短い場所に事務所をおくことが、従業員にとっては1番効率のよい労働になるからだ。世界の常識のように通勤費を会社支給でなくすれば、すぐ分かることでもある。

極端な例を考えてみればすぐわかるが、地方が無人になり3大都市だけになって、日本国は維持出来るかと考えてみよう。小笠原諸島に隣国の漁船が200隻あまり侵入し、サンゴを密猟しているが、どうするのか。地方の領土を守るためだけの人を派遣するのは、国の税金で雇われた公務員ばかりになる。補助金や交付金なしに自立し納税できない職種は、やはり準公務員と呼ぶしかない。(捕まえても痛みのある罰金もとれず、もぐら叩きでは効果がない)

(飛躍するが、米国だったら、退役軍人がチームをつくり、外国船を追い払うというサービス事業をする会社を作って出来高でビジネス化するだろう。相手は1種の海賊で違法に商行為ができるなら、違法か合法か不明な追い払いサービス業もありだろう。もっとも、中国の侵入漁船団が法を遵守する方向に向いたようで、それはアジアにとってはよい事だが、アセアン会議があるからか、注目はすべきだろう。)

その給与をそれぞれの自治体の民間産業が稼ぎ出せねば、自治体には財源が残らず、若者は都市に吸収され、大都市で疲弊して子供も作れない非正規の収入では全体の収支が廻らない。
農業も半世紀たち代替わりするに合わせ、自由化して海外にも製品を売り、付加価値で稼ぐ時期が来ているのだろう。大企業にあつまる新卒や、すでに10年くらいの職場経験者は、それを分社化して、地元や環境の良い全国の各地に移り、そこでの地元の成長を助ける時代であろう。

その意味で天災地変の多い日本では、地元とは全く違った気候風土の場所に住む人たちがご縁を結んでおき、いざとなれば離れた場所に避難拠点があると安心だ。これは戦後の都会の日本人がみな行った生き方だったのだ。


結論だけ述べれば、《行動には規律を、思考はできる限りの自由を》がこれからの時代だ。日本ではその逆で、行動は勝手にやりたい、考えるほうは不自由でも構わないという、従来の労働者のメンタリティーの人が多すぎるのである。

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