2014年11月19日水曜日

14150    出て行き帰ってくる自由は、入ってくる自由とは違うか


14150
  
出て行き帰ってくる自由は、入ってくる自由とは違うか
(住民にとって日本は世界1のよい国だが、移民を入れないで済むか)

太陽の磁力線は従来の南北2重構造が11年周期できちんと反転していたが、北の反転は11年 のままだが、南は12.6年周期にずれて、北のマイナス極にはいるという。南のプラス極から北へも南へもむかう4極構造になるだろうという。

磁場が散ることで弱まると、磁力線で妨げられていた宇宙線が妨げられない量がふえ、それが雲の核をつくる量が増えるという。実際のCERNの実験で確認されたと立花隆は「4次元時計は狂わない」で述べている。(ネイチャー2011年8月号)
そうならないことを願いたいが、ここ1~2年の豪雨や北米大陸での異変ぶりをみると、人間も1ヶ所に安住することはできないかも知れないのだ

出てゆく自由=帰ってくる自由は、入ってくる自由とは違うのか
これは人の出入りだけの話しではない。輸出をしたら同額を買わねば(ドルを発行できる米国以外は)相手が困る。これを考えないですむ人は、営業課長や工場の部長までだろう。
日本人が買わない理由は『品質がよければ買うが、良くないから買わない』だ。メーカーとしての自分たちの生きてきた苦労と自信の表れでもあるが、自分中心の考えでもある。
2番目は安ければ買うというのは日用品だが、価格が安いほうに乗り換える消費者の立場だ。末永く取引する気のない人よりましか。
第3として理屈ぬきで付き合ってください、満足できるものを必ず作りますというのは無理だろうか。外国との取り引きをする人は、少なくとも、相手の支払い能力と同時に、その国の経済がどうかという程度の広域の管理職の視点が求められると考えるべきではないか。

今の都会の人たちは、一昔まえの田舎生活をしたことのない、という意味での都会人が増えた。稼いだ給料と支出の間でお金を払って済み・オシマイという考えだ。間に金が無いと関係を作ることができない。それでホームレスになるしかないか。
近所付き合いで、お隣さんとのミソやしょう油の貸し借りや、野菜を貰ったから魚を大目に買って、それでお返しするという生活。米国でも日常茶飯で、一寸ミルクや砂糖が切れた、とアパートのお隣さんに借りるというのが、お付き合いの道具になっているのに。貸し借りは煩わしいと感じる人達には、分かり合えない感覚、近所つきあいの仕方が分からないとも言えないか。

仕事に話を戻すと、自社品だけを買い続けられるためには、相手も日本に1定量のモノやサービスを輸出して円を稼いでおくか、第3国への輸出があって、貿易収支がバランスできる必要がある。『それは相手国の問題で、相手が考えれば良いでしょう』というのが、メーカー人のメンタリティーだと言えば、これは言い過ぎであろうが、そういう人が多いのが大会社や大都会なのである。

ブラジルや満州に移民で出て行った日本人
日本の人口が減り始めたから、ブラジルから移民を戻そうという話にも同様な近所付き合いのなさが垣間見えるのが、今の日本人の問題点なのではないかと思える。同じ人種だから、お返しに受け入れるというような人情話をしているのではない。
(世界的な株式暴落が起きた1929年からあと満州には短期間で多数の移民で出たが、それ以前からハワイ・北米へ、そして南米へと増えブラジル以外にも移民も多かった。http://www.gialinks.jp/nanbei.html)

日系でもポルトガル語しか話せない人達は、異文化の人たちだから、日本国内の多少の差別や無理、不都合はある程度は我慢してくれるだろうという甘さを感じるのだ。
「日本人なら和を尊ぶから我慢するはず」という意味なら、和をもって尊しとする努力や面倒くささが、工場周辺の人達にも求められており、今の日本人が学び直すチャンスだという話である。

労働者を受け入れる場合、それが成人なら、親ばかりではなく、生まれる子供にもキチンと日本語を教えるのは当然だと考える必要があるし、不況になったらレイオフするというなら、ブラジルへ戻っても困らないようにブラジルの言葉や文化も教えておく必要がある。輸出入をするということは、そういう面倒なことで、誰かがそれをやる他ないのだ。売って、買って、オシマイではない。

だから輸出する人は、輸入に文句を言えないのと同様、移民で出て行った人がいる日本でも、今となっては入れると厄介などと言える立場にはないと思った方がよいだろう。
無論、契約で決めた品質に見合わない粗悪品を少しずつ混ぜて増やしてくるような国の場合は、永い付き合いはできない。そういう問題を理解しない国内の人たちはもっと困るということになる。国内のわからずやが多いから、消費地生産にすれば、問題が防げるという訳で、工場がどんどん出て行くと国内の雇用が減ってしまうケースも多い。

そこまで考る人であれば、米人に限らず私もそういう人を理解できるし、外国人とも長期にお付き合いできる人であろう。TPP交渉でも、そのあたりにずれが感じられるのだ。
「石油や資源がないから進出したし、買う権利がある」とか、「売れるのは品質がよいからだ」とか相手が言うのはよいが、自分の都合のよいことを言い出すとギクシャクするのは、いつも感じる島国根性ではないかなと。もう一度田舎モノに戻って貸し借りをつくるのも知恵であろう。

製造業は地元を持たない人には向かない
米国では80年ころBIG3の1社のCEOに会計士が選ばれてから、利益ばかりに目が行き、部品メーカーのA社の図面をB社に渡し、それより安く作れないかというアンフェアなことが始まり、製造業者としての信頼性を失ったようだと述べたことがある。
製造業で長続きして大企業になった会社のCEO(社長や会長)は、全国区の代表的な大学の卒業生よりは、その会社の本社のある州にいる人たちを優先して採用し続けている健全経営の会社が多いように見える。それは地場の社会とともに発展しようという気持ちが伝わるのだ。

地元への忠誠心はそういうものであり、そういう人の方が国際人としても信用できる気がするのは、私自身が永遠の田舎者であるからに違いない。むろんそれが理由で商社を辞めた訳でもなく、誰もが古里が必要なのだと気づいたからである。
日本人はどうもルールによる差別化が苦手で、それが問題になっていると感じるので、別に私見として述べたい。

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