2014年12月19日金曜日

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大学で教えない人間力(1)
(その他大勢と一緒にされない抜き出る方法)
                              

何かでダントツの人は別だが、正直さ、人の心を動かせるかに加え、ユニークさ、体験、それにあきらめないで続けること。これは理系や科学の世界でも不可欠ではないか。(関連は13510、14050)
スポーツの世界で教えているが、プロとしては食えない種目で、そこまでの時間を費やすことの意味を疑問に思う人に言いたいこと。

人間力とは言えないかも知れないが大事なこと

① 人のやらないこと
いわゆる”米国人”もアジアからの移民によって変わってきたので、どの程度が一般論として統計的に言えるかは難しいが、1部の日本人のように明らかに心構えが足りない場合、それをどう補いビジネス社会で生きてゆけるか。

現在やっていることで、販売や地域をふやすなら、M&Aにより会社の1部を買って、自社に持たないモノや機能を吸収するのも手っ取り早い方法だが、現在の商品技術の境界にあるものとの融合や、異分野への参入なども方法だ。これらはそれほど難しくないだろう。苦労するが長く伸びるのは、新たな機能を開発したり、持ち込むことだ。

小売でいえばセブン・イレブンがチェーン化したコンビニ、同じ輸送でも宅配などは米国で開発されたすばらしいビジネスモデルである。いずれも流通で限りなく消費者に近づくもの。日本にも古くから台所まで入り込む米屋があったが、コメに縛られて商品間口が広がらなかった業態機能だ。ネット販売も伸びているが、トラック運転手の人数が天井だ。

② 米国で大学でも教えないことを体験する
いままで何年も英語や外人は苦手だからと逃げ回る若者がいる。よく見ると、米人に対し相手がわかる話し方を知らないだけだ。調査などをやるには、プロなら最低知らないければ相手にされない言葉など初歩を一寸教われば、結構やれるのだ。
例えばインターン生が、飲み会で先日も初めて会った米人から『How did you find it?』と言われて、きょとん。(米国は初めてなら)『米国をどう感じたか』という質問。

こういう英語は大学で教わることはなく経験しかない。その原因は何かといえば、日本人の教師では無理な生活体験なのだ。
輸出入の手続きを英語で覚えたいということで、幾つかの大学が始めているが、雑貨のサンプルを買うレベルから脱皮するには、手続きも大事だが、経験がいるということ。

女性に話しかける例;(http://www.wikihow.com/Talk-to-Strangers)、誰にでも話しかける例;(http://www.uncommonhelp.me/articles/conversation-starter-talk-to-strangers-with-ease/)
無難と思う人から始めたらよい。この2件はスーパーでの買い物の場で会話を始めている。

③未知の人に平気で話せるようになる米国
日本人でも幼稚園や小学生でも、だれ彼かまわず、『おじちゃん遊ぼう』というような例外がいるが、『知らない人には話をしないで』と犯罪を恐れる親が妨害する。この国では殆どが銃をもっているが、子供ながらどういう人や地域は危ないかも、感じたり教わる。
子供だけのグループになりボランティアで『野球チームのグローブやミットを買いたいから、このキャンデーを1ドル以上で買って』とか近所を回ってくる。
ハロウィーンも似ている。そうして、子供は知らぬ人を見る目、人に話しかける度胸と経験をつんでいる。家の中でゲームばかりさせても、どうだろうか。

④ 生活の仕方が分からないと、会社に出勤しても使えない
このレベルだと、米人の小学生を相手に議論しても勝てない。大体の米人はオープンだから誰にでも挨拶はするし、何かを話しかけようとする。最近は日本の国内も変わってきて、少し観察して様子を見ようと用心深くなったが、積極的に話しかけて、相手に納得させ、熱意があれば、かなり早くから初歩のビジネスが理解できる。

だから、インターンの学生がまず学べる体験は、こうした米人に接して、色々なトラブルをどう処理しているかを学べるし、何より失敗を恐れなくなることだ。

他人からみた「商品としての自分」は何が売り物にできるか、生涯の財産か

先述したが、人間としてのユニークさは、学生時代に選択した学科の組み合わせのユニークさ、米国なら更に6回くらいの転職による職場経験が重なるとかなりユニークである。

スポーツや文化活動の違いが、ビジネス面でも相当の大きな信頼性につながる。
それはレギュラーになっての経験でなくても、真夏の炎天下での中距離マラソンやボート漕ぎ、山歩きなどで、汗だくの中でアゴを出しそうになりながらの体験などが、忍耐力、精神力、早朝トレーニングなど、さまざまな個人努力の積み重ねが求められる。

その何がつらかったのか、耐えられたか。どこまで頑張って、自分は何を得たと考えるかで実体験のある人は、それなりの説得力や共感をあたえる力になるだろう。ラグビーをやった人たちは、大学を超えてのグループの飲み会などを世界の各地でやっており、横目で眺めたり参加して、これもクレージーな集団だなと羨ましく感じる時がある。
1こといわせて貰えば、言葉の要らない共有体験があるからなのだろうが、やはりそれぞれを尊重する言葉をもつ必要があり、外国人をいれて何が人と違い自立できる自信はどこにあるかであろう。

長くなるので、あとは次章で。





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