2015年4月13日月曜日

15197 金沢で考えた日本の将来と鈴木大拙師

15197


金沢で考える日本の将来
アジア思想の再発信

東洋の知;世界の巨人
時間もかぎられていたため、世界的に有名な哲学者である鈴木大拙館ほか2~3のスポットを選んで訪れた。江戸時代の有力家老の屋敷、現在の市役所など行政の中心の外れに記念館がある。HP)
     
鈴木大拙館の写真
大拙先生は27歳で米国にわたりオープン・コート出版社編集員として11年間もイリノイ州ラサールに滞在した。論語、儒学をはじめ、仏教の禅を深く研究され、50年前まで欧米で講演や著述で活躍された方である(1870~1966年)
日本語での著書などは40巻、英語での著述も膨大で、全体をよむのは生涯の時間がかかる大作で圧倒されるが、現代アジア思想として、若い方々が学ぶべき人と感じる。欲をいえば、せめて要点だけでも、若い人むけに3冊くらいの解説書が出されたらと思う。

記念館で頂いたコピーによるとアメリカ人の精神科医が「禅により他人の心が分かるに違いない」と考え、執拗に質問されたとある。

それに対して「他人の心を知ってどうしようというのか。
大切なのは、自分の心を知ることだ」とある。
自分の心を知ることについては、また私見をまとめて発信する予定なのでお待ちいただきたい。
陳列されている直筆のメモのコピーを頂いた;

    (荘子)無用、無形、無為、無有、無名、無窮、無極、無事、
    無意、無私、無道、無思、無生、無相、無心、無述
とある。
すべてが荘子の引用かは分からないが、無とは何かについて、あらゆる思考をめぐらせておられことを感じられる。その内の無心、無相が仏教の世界だということらしい。
東洋思想では”無”が核にあると感じるので、(般若心経にも無色、無受想行識、無限界ないし無意識界、無無明亦(やく)云々とある)、インドの釈迦の教えと道教の関係を説明したものがあればご教授や発信を頂きたいと思う。(小生のイーメールsk@itaoffice.comまで)

記念館は低い山腹にある印象を受けるが、まったく静寂な立体空間が切り取られている。

禅寺の廊下のような腰掛からみる裏庭には、池というより水をはった広めの見事な空間がある。風のながれによるさざ波と白壁のなかに、自然と無とを表そうとしている様に見える。そこへ、ときどきポコンと泡がでて、別な波紋を起こし、2元でない3元の世界に生きているのだよと、無言で教えておられる。変化、諸行無常ということか。これらが周囲の山の樹木と渾然とマッチしている。

”ただあるがままに”の1部だけを引用する;
月をみるとき「誰かが月を見つけると、月を指すでしょう。
私たちは指から指の先へと眼を向けます。そうして月を
まっすぐに眺めることができます。

「指がなければ月を指すわけには行かぬが、指を月と間違
えては大変である」と大拙は警告します。
一般的には指を月と思う人はいないと思うでしょう。しかし、
「月をさす指はどこまでも指であって、どうしても月自体に
変ずるものでないことを忘れてはならぬ」と述べます。

あるがままに見る難しさは、15193、15194に先述したが、私の舌足らずな説明とちがい、先生の教えは具体的で且つ明白である。『指差すものとその対象となる月とを混同するな』という警告は今の日本でも生かしてゆかねばなるまいと思われる。

是非、ご自身で記念館を訪れ、体験されることをお勧めしたい。
最近の隣国と議論されているつくられた”歴史解釈”や”反省”がいかに矮小で狭く、広大で深いアジアの世界観とかけ離れたものかと感じさせられます。こんな歴史はその専門にまかせよう。
将来をになう若者を解き放ち、50年前までの大拙の教えを学ぶ時であり、松下村塾のような将来をどう考えるか、大拙論を軸に考え方といき方を示して頂けたらと、更に夢が広がったひと時であった。

金沢の魅力
開通したばかりの新幹線で2日の短い旅をした。京都に彼岸回向、甥の結婚式、シカゴにきてくれてこの春就職の決まったインターンの皆さんとの祝賀会、その間に欲張って金沢へ。30年あまり昔、同市の大学で教えていた父の想い出の地でもある。
最新の新幹線はすべるように静かで、振動や騒音もすくなく、開通の祭りもおわりサービス従業員も少しなれている。そのむかし東海道から名古屋まわりで北上したのとは違い、数時間かかったものだが、いまや栃木・群馬・長野・富山をとおり東京から片道2時間半である。
全体を見て歩いたわけではないが、人口45万人で34位、北陸の代表的な都市の1つであるのに、町ぜんたいが大きすぎない。
北東から南西にはしる新幹線の駅を東口にでると、広場に3本の道路が扇状にひろがるが、ヨーロッパ中核都市とは少しちがう大きなドームがある。

駅正面にはしる真ん中の大路を、自然と歩きだす。おなじ方向へ行くお婆さんと少しの間おしゃべりしながら歩いたが、『毎日健康のために散歩してますが、いい町ですよ』という。冬の積雪のためだろうが、この道路の地下にはずーっと駐車場があるらしく、1キロたらずで近江(魚)市場にぶつかり、そこからは左右に大きく曲がるバス路が金沢城を1周している。そういえば甘えびをさんざん食べさせてもらったが、天下1品でったなどと思い出す。

加賀百万石の兼六公園には、5~600年の樹齢とおもわれる巨木の松が多数ある。そのあちらこちらに、負けない数の桜が満開である。むかし丸の内という場所に住んでいた両親からも、話には聞いていたが息をのむ見事さで、週日なのにアジアからの観光客もかなりの人数だった。健脚でなくてもバスルートの両側にはゆとりのある歩道があり、20分もしないでバスがくる。兼六園の中を通って歩くのもよいが、500円の終日券で武家屋敷、美術館なども徒歩でまわれる距離にあり、疲れたらバスに戻ればよいから気楽と言われたとおりであった。 
金沢城と兼六園の南に位置する県立美術館、加賀友禅や茶道などの美術館などもある。

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