2016年9月9日金曜日
16030 米国の市民レベルのゆとりは健在
16030
米国の市民レベルのゆとりは健在
「ゆとり」は時間が余ればできることか
皆が手をつないで走るというのは、現実の競争社会を無視した指導だ,日本から外に出たビジネスマンたちは、みなが実感として主張する。
私もその1人だったが、最近は別のゆとりを考えさせられている。明治電機の杉脇社長から今朝一寸よい話をお聞きした。
8月もあと5日7:45AMのシカゴ郊外、オヘア空港西北、高速道路でのことである。混んではいるが金曜の朝で通勤ラッシュにちかい。 その片側4車線の右レーンに大型コンテナートラックがハザードライトと発炎筒をたいて停車しているのを見て、後続車は60マイル(100Km)近いスピードから急ブレーキで減速し、かなり手前から左車線に変えてすりぬけている。 『忙しい朝っぱら、なんだい?』 という感じだ。
通りすがりに見ると、この大型トラックのまえには、もう1台のトラックが停まっており、運転手は荷台から落ちた路上の荷物をもちあげ戻そうと懸命である。要するに、大型の運転手は、前で荷物を落としたトラックがいて、彼のために、自発的に協力したのだ。
『それは彼の小型トラックだけでしたら、停車中と気づかれず、追突されると感じたからでしょう 。 この心のゆとりは良いですね。この判断をしたのは大型トラックの運転手の1存なのか、会社の指導か、協会とかの申し合わせか分かりませんが。』
生産性の要求と各人の判断
ついこの前4K時代と騒いでいたら、何と2018年には8Kテレビが登場すると日経は言う。
我々の世代の「日本人の家はウサギ小屋」といわれた30年まえに比べ、集合住宅は確かにかなり広くなった。あわせて30~40インチ級のテレビが現れた。
ホテルだけでなく一般家庭で、これからはインターネットでの世界のニュースが同時に見られるだけで夢の世界が来つつある。
脱ゆとりの2010年からはますます情報量がふえ、あふれる量の情報が家庭に侵入し、置き場のない商品、仕事でも効率アップの要求がある。
こうした進歩へのストレスから、ゆとりが叫ばれた80年代から30年。日本は少しゆったりした社会になった筈だ。だが東京駅の周辺や通勤電車は混雑し、GDPで一人あたりの生産性はほぼ横ばいといえる。2010年から再び一転し、脱ゆとりに戻った。(ガベージニュース;グラフhttp://www.garbagenews.net/archives/1335765.html)
GDPのグラフはドル表示で比較するから、ここ4年で33%も円安になり、そして20%+に戻った。殆どの貿易に関係しているメーカー・商社・資源関連企業には、1ドル80円の円高が、120円になり1息ついたら、100円まで戻ったのは、激変である。このような通貨不安の時代はドル以外では円が買われるが、米国の連銀が金利を上げたら、また売られる 。
こうした中で、ゆとりによって、各人の判断する範囲は広がったのだろうか。軽井沢では大学生ら夜行スキー客が15人亡くなった大事故では、高齢者の運転手が駆り出されて、経済効率の犠牲になった。少子高齢化の犠牲、あるいは輸入運転手の不足と呼べるだろう。
バスを利用する方も、事故を予防するような下調べはたりなかったのか。結局は各人の持つ時間は1日24時間しかないから、それをどう使うかによるが、その前に一寸でも考えることで大きな差が生まれる。余りにも安いツアは安全かと、、
『急がば回れ』 が万能とはいわないが
ゆとりとは何かと考えるとき、60マイル(100Km)の高速道路を50マイル(80Km)で走るのはゆとりではなく、むしろ事故率は上がるから、なるべく流れに従えとイリノイ州の指導書にはある。ギスギスした人間関係やいじめ社会を作るのは、会社や家の中でも好ましいことではない。
かといって個人情報をガサッと盗まれ、、ハッキングされて、それの横流しのデータで、脅され何百万円もゆすられる。 オレオレ詐欺の企業版でもこまるのだ。
オリンピックの女性コーチがいうように、『怒鳴って叱ったやり方は、褒めて育てろというのが今時の若手育成で』というのは正解だろう。だが道を尋ねられたら、どこまで親切に対応するかも、社会にある常識に従ってほどほどに親切に応じたいというのも、昔とそれほど変わらない筈だ。
この大型トラックのケースに戻ると、多分オーナードライバーで、社会に対するプロとしての責任感と、事故回避の知恵を兼ね備えた人であったろうと私は推測している。
非常時と普段との違いや、世代間でコミュニケーションが通じにくい時代にどうするか
タイヤメーカーの常務Tさんが来社され、自動車タイヤの将来についてのご意見を伺えた。今後については無人化や自動運転はますます進むだろうと聞き喜んでいる。
無人・自動運転のほうが、タイヤにとっては好ましい運転らしい。無駄な回り道や、不必要なアクセルやブレーキ作動も減るというデータにあるようであった。どんなに個別のニーズに対応してみても、得られた情報や時間をどう使うか、シェア(分かち合い共有)してグループでの行動を効率をあげ、生産性をあげるしかないが、10年先を考えたいものだ。
残りはそれを人助けや、楽しい時間にするかは、それぞれがどう生きるかで決まるのだ。それは睡眠と食事の時間をのぞけば、仕事かゆとりのある個人の自由時間のすごしかたで決まるだろう。
その意味で、この大型トラック運転手の生き方は、勤務中の気持ちのよい「ゆとり」を感じた。
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