2016年9月27日火曜日

1493-世界を変えた大陸間の「交換」(チャールズマン著、布施由紀子)(1)


1493-世界を変えた大陸間の「交換」(チャールズ・G・マン著、布施由紀子訳)を読んで(1)

大陸間貿易史といえばシンプル過ぎるだろう。最初にお断りしておくが、この大冊700ページの概要を述べるつもりは無い。日通の読書家T氏に勧められ読み始めたところ、少なくとも私の知ったつもりの歴史とは、かなり違った世界が描かれていた。
アメリカ大陸が発見されて500年あまり、大量の銀が発見され、欧州からの移民が大挙してやってきた。その危険に満ちた背景と、労働力の提供者としての奴隷が加わり、貿易や争いが起こった。それが現在にも大きな影響を与えていることに気づく。

現在のネジレ;新旧大陸間のコロンブスの交換(400~500年前の世界)
異常気候下での大移動   (カッコ内、フォント、着色編者 )
1491年コロンブスのカリブ海の島嶼の発見につづき、アメリカ大陸が発見されてからの100年から200年後の世界は、大量の銀の移動がおこった。それも1因であろうが、欧州そのものが混乱に入った時代だ。いわば銀という通貨の増刷=金融緩和でもある。移動した銀での武力によるバランスの崩れであり、アジアにも起きつつある。     

ひどい時代で自然災害では噴火と地震で、インドネシア、日本、ニューギニア、フィリピン、ペルーなどで噴火が続き数百万人が死亡、また中国だけでも数百万人が死亡した。

 日本だけでも16~7世紀は地震はひんぱんでウイキペディア)、M6を超えるものは、1498年(8.2~)、15867.8~)15967.0~)16116.916497.116627.216777.2~)など多数であった。       欧州ではイタリー、ギリシャ、南米はペルー・チリなど。     

温暖化の現在とは逆で、右の絵の示すテムズ河が凍結する小氷期で、異様な豪雨と寒冷・旱魃が交互に生じた。             (10月になってフロリダと台湾に巨大な台風とハリケーンが上陸するのも異常である。)                                   このため作物の収穫量も減り、アメリカ大陸の発見で、移住を希望するものは、運賃を払える貴族・地主などから、年季奉公人まで多数だったという背景があった。   
 
その頃には、新大陸の産物だったタバコ、トウモロコシ、サツマイモなどは欧州、アジア中国の山間部まで行き渡り、満州には清王朝が現れた(1616~1912年)。                    

そのころは世界の大都市は赤道から南北30度までの帯のなかにあり、北京とインドのヴィジャヤナガルのみが50万人を越える2大都市、次の20万人以上はカイロ、杭州、南京、イランのクブリーズ、イスタンブール、アフリカのガオ(大阪・江戸も入る筈)。これが、1900年までに北緯30度を越える地区に移っていったのは、英国にはじまりドイツや日本でも伝播した産業革命の影響であろう。
ペルー銀はパナマからスペイン本国へ、メキシコの銀は中国へ向かい絹や磁器に交換された。全量の3/4はマニラから中国へ向かったと推測されている。(1/5税はピーク1570年から1700年に、1600~400千ペソへ激減し、本国からの監査開始か?)

中南米からの銀の産出に続き、カリブから砂糖、タバコ、北米からの農産物などが輸出された。欧州からはそれぞれの都市・王国や国々から年季奉公人(移民)が、また労働者が足りずアフリカからは(後述)奴隷が送り込まれた。欧州からは人や土と一緒にミミズや病原菌も運ばれ、中南米では先住民の多数を病死させた。        

(新たな大陸の発見で大きな市場が開拓され、また銀という世界通貨が大きく投入された訳で、その意味では、1990年以降の中国市場の半自由化と先進国からの巨額投資がこれに類似する。これが武力装置として変身したスペインにも似て、アジアの近隣国で起きたことは、後の産業革命にも匹敵する変化をもたらした可能性と、地域の不安定化を高めている。)
入植者を阻んだものと奴隷の活用   

新大陸ヴァージニアに入植したイングランド人は、労働経験の少ないジェントルマン(貴族や地主)で、農耕はおろか、豊富な魚介類をとる方法もよく知らず多くが飢餓や病気で死亡、生存者は1~2割だった。食料を持たずにやってくる者は多くが死滅した
タバコの栽培では、窒素とカリウムを吸収される。イングランド人は、土の栄養素を奪うのを知り、連作をさけて、とうもろこし栽培や放牧など行い、定住できるようになり、先住民を追い払いインディアンの開拓地を手中にしていった。

アメリカ・インディアンは銃こそ持たなかったが、弓矢、乗馬などで身体能力にすぐれ、入植者の持ち物を奪い、全滅させるだけの戦略や知恵をもっていた。そこで各地からの移民は、砦や柵をつくり自己防衛しつつ、食物を購入し、毛皮や産物の輸出を行った。 
1600年ころの欧州で求められたのはタバコだったが、欧州のみならずインドや中国の上流社会にも流行し需要が広がった。広大な農地を開拓したくても病死者の数においつかず、労働者不足で拡大できず、欧州各国との海賊の奪い合いや、先住民との争いもあって、経済的なレベルでの運営に至らない植民地も多かった。       

その原因は欧州から持ち込んだハシカやビールスによる疾病、ことに病名も定かでなかったマラリヤなどで、最初の1年で3分の1が死亡するのが殆どで、互いが協力し合う入植地を作り始めたヴァージニアのような地区では、年々死亡率が下がり10%くらいにまで下がっていった。ジョン・ウエイン演じる西部劇は、そのだいぶ後のことだとしても、入植者の苦労は映画の世界とはほど遠い、命がけなものであったようだ。

当時の欧州から持ち込んだものは3日熱と呼ばれ、旧大陸の湿地帯で流行していたが、初めにひどい悪寒と発熱、それが48時間のサイクルが続くため、体力を消耗して弱いものから死亡した。
(最近はワクチンなど予防薬もできているが、アフリカから奴隷に持ち込まれたのは熱帯熱マラリアと呼ばれ、この予防はいまだに苦労しているようだ。; 感染症情報センター ;)    
(続く)

 

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