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人体は細菌やウイルスが共生する時代(1)
NHKスペシャルで取り上げられた腸内細菌による医療革命(3月2日、2015)
(14153は加筆、14156日本人と近隣国の関係ご参考)
最近のがん治療など医療の進歩は目覚しい。共生の時代とは人類の始めからか近代になってからか、養老孟司著『「自分」の壁』をよみ、どこまでが「自分」か疑問をもち始めた。いわく「自分に有利な特徴、遺伝子をもつ個体が生き残ってゆく」という説である。ダーウインの進化論とは異説だ。福岡伸一「生物と無生物のあいだ」とあわせて読んで、最近のライフサイエンスの進歩に驚いた。
体内ウイルスの違いが人種の違いか?
新たな共生の時代か
「DNAは全部で4種ATCGで、動物、植物、微生物いずれも、AとT、CとGの含有量は等しい」という。体内でカビや菌が生きてゆけるのも納得できる(福岡伸一「生物と無生物のあいだ」)。
体細胞の中には核があり遺伝子が入っているが、その他にミトコンドリアという別の遺伝子をもつものが存在する(酸素を吸い、糖を分解してエネルギーを生む重要な機能をもつ)。
ところが「自前の遺伝子をもつものは、全部が外から入ってきて体内に棲みついたもの」という説があり、40年以上たつうちに専門家の中である程度は認められつつあるという。(神様が人を造ったという宗教を信じる人には、抵抗がある筈だが)
人は心臓が止まると死ぬのと同様、糖を分解できねば死ぬなら、ミトコンドリアは自分の体の1部のはずだ。いつからミトコンドリアが住みついたかは知らないが。ミトコンドリアは長寿菌といわれ、食事を減らしたり断食すると活発化し、体内の糖分を取ってくれやせるので、長寿につながると、友人が教えてくれた。素人ながら図表にしてみたら、もっと丁寧な論文があった。植物でも共生があるという(論文)。
サバイバル(生き残り)がかかった時には、これからも入ってくる可能性は否定できない。「自分」とはどこまでを言うのだろうか。
体内にある遺伝子のうち、たんぱく質を設計するものは1.5%で、残り98.5%は設計に係わっていないが、何に係わっているのかはまだ分かっていない。
ショッキングなのは、人の体内の遺伝子の30%くらいは、外部から棲みついたウイルスらしいという点だ。人の遺伝子の違いを調べることは医学の世界、祖先の人骨からミトコンドリアやDNAを調べるのは、法医学や考古学だと思っていたら、境界線がファジーになって、今後は各人の体内ウイルスの違いを調べることになるのかも知れない。
外国人をウイルスか
外国人をウイルスだというつもりは全くない。ライフサイエンスと社会科学を混同するようなことを言えば、この思考をもっと拡大して、日本の領土の中に住む外国人も含めた日本人も、同じように国にとって重要な役割を担う者もいれば、害をなす者がいても不思議ではない。
だいたい自分の体内にウイルスや何やらが住んでいるのに、他の人達と共生できないはずがないという理屈もなりたつだろう。
宗教の違いや、経済的な争いは国境の外とのものに限らない。人間はたった4種のDNAの組み合わせでできているなら、争いをおこす人の治療も医学的に解決できるのかも知れない。これは別な機会に触れたい。
人体には腸内細菌は100兆すみ重要なしごとをする共生体
『すましてきれいに着装っている皆さんには、ビロウな話だが、腸の1皮むいて腸内を調べると、糞になる食物には100兆くらいの細菌がすんでいて、重さにすると1.5Kgもいるというからバカにならない数の住民がいる』という。
その細菌のなかには、発がん性のDCAをつくるアリアケ菌、肥満菌・痩せる菌、短鎖脂肪酸、糖尿予防、老化防止(エクオール)、脳に影響をあたえる臆病菌・活発菌、コミュニケーション高・低菌とか、かなりの病気の予防になるらしい。
「人の食べてはいけない(嫌がる)ものを食べる習慣」の続きで、生物学(遺伝やバイオ)の専門家のS博士との話を紹介しよう。この人は永年マウスを育ててきた人で、太平洋の孤島の(純粋培養されたような)マウスに興味を持っている点、変わった人ではあるが。
私もそうだったが、減量のためにとコーヒーに砂糖もミルクもつかわず、人口甘味料を使う人も多い。成人病の3役という糖尿病の人達は、血糖値を下げるために涙ぐましい努力をしている。ところが最近、人口甘味料は体重をへらすどころか、ある種の細菌を殺してしまうため、逆に血糖値を上げてしまうという。こうなると食物と医療の境界も非常にファジーになる。
菓子や清涼飲料に広く使われているサッカリンなどの人工甘味料には、代謝に関わる腸内細菌のバランスを崩して血糖値が下がりにくい状態にする作用があるとする研究結果を、イスラエルの研究チームが英科学誌ネイチャー電子版に17日発表した。(甘味料関連)(WSJ記事)
『人はどんな腸内細菌をもっているかは、出てくる人糞を調べればわかる。それは当然ながら食事によって変わる。摂取した蛋白質などによっても変わるから、前に述べた宗教上の教えで食べるものに制限が加えられているため、腸内細菌も違ってくる。それは正確には宗教の違いというよりは、食物により腸内に棲む細菌のバランスがかわるということになる』。
気分の悪くなる人もいるかもしれないが、上に述べた肥満とやせ型、高低や増減を左右するものは、好ましい人の腸内菌を移植すればすぐに変わるという。すでに人糞の効力はMITなどでも注目しており、それを錠剤にして売り始めた会社が起業されたというからバカにはできない。便生物移植というらしいが、詳しく知りたい人(糞便譚)。一寸話がうますぎるが、要するにセールスに向いている明るい人になるには、そういう人の便(細菌)を自分の腸に移せばよいらしい。
この博士は澱粉を加工処理した物質が大腸菌のえさになり、それが人体の肥満を押さえることで注目される製品の開発に関わっているそうで、人に食べさせるのか、中に住む腸内細菌に食べさせるのか境界線を検査したり臨床試験をして居られる。
人体には様々な病原菌が入り込むが、同時にそれに対抗できる菌も入ってくる可能性もあるから、そういう混合というか共生としての方向が興味深い。
清潔病というのはあるのか
親しい米人の話であるが、今の日本もそっくり似ている気がする。彼の父親は何のアレルギーもなく、子供の頃はピーナツバターが大好きで、草の中で寝そべって友達とじゃれたり、転んで土をかぶったりして育った。今から考えると「あれで良く何の病気にならなかったものだ」という。日本人で米国に帰化した知人は、インドの川や海で潜り(潜水中は海水を口の中に入れたり出したりする)、まったく病気になることも無かったという。
社会が進歩して、アレルギーに敏感な親たちが、愛する子供を病気から守るために、動物が糞をおとし、飛びはねる裏の草原に連れ出すのをためらい、靴をはかせ、靴下も長目にして、転ばないように大事に育てていた。それでもその子は両親のどちらももっていないアレルギーになった。
『外から帰ったら手を洗いなさい』が、いまでは殺菌石鹸で手を洗わせたり、強い抗生物質の薬で大事な菌を殺してしまい、子供を弱くしているかもしれない。清潔に育てすぎて、抗体を持たないため、反って病気になり易くしていないか。(エボラウイルスのような強力な菌が流行する時には手洗いやウガイは欠かせないが。北大の高田礼人教授が抗体を見つけているらしく、製薬されれば効くという報道がある。)
酵素という物質
余談だが、こうしたウイルスや腸内細菌とは別に、1種の触媒の役目をする酵素という蛋白質で構成されるモノがある。興味あるかたはそちらを参考にされたい。どこまでが食物か、ウイルスか、細菌か、酵素かがこれから有望なビジネス分野のように見える。DNAについては、「生物と無生物のあいだ」福岡伸一氏の解説が面白い。
日本では糀、麹と2種のこうじ菌があり酵素がつくられるというが、これはベジタリアンでもたべて宜しいのではないかと思うが、ベジタリアンやイスラム教徒の旅行者のためには調べておく方が良い。”隠し味”のカツオだしやラードが一寸入っても大騒ぎになるからだ。
ウイキペディアでは次のように纏めている。
細菌とはちがう酵素(こうそ)とは、生体で起こる化学反応に対して触媒として機能する分子である。酵素によって触媒される反応を“酵素的”反応という。(ウイキペディア)
酵素は生物が物質を消化する段階から吸収・輸送・代謝・排泄に至るまでのあらゆる過程に関係しており、生体が物質を変化させて利用するのに欠かせない。したがって、酵素は生化学研究における1大分野であり、早い段階から研究対象になっている。(略)
多くの酵素は生体内で作り出されるタンパク質を基にして構成されている。したがって、生体内での生成や分布の特性、熱や pH によって変性して活性を失う(失活)といった特性などは、他のタンパク質と同様である。(略)
生体を機関に例えると、核酸塩基配列が表すゲノムが設計図に相当するのに対して、生体内における酵素は組立て工具に相当する。酵素の特徴である作用する物質(基質)をえり好みする性質(基質特異性)と目的の反応だけを進行させる性質(反応選択性)などによって、生命維持に必要なさまざまな化学変化を起こさせるのである。(略)
古来から人類は発酵という形で酵素を利用してきた。今日では、酵素の利用は食品製造だけにとどまらず、化学工業製品の製造や日用品の機能向上など、広い分野に応用されている。医療においても、酵素量を検査して診断したり、酵素作用を調節する治療薬を用いるなど、酵素が深く関っている。
人体は細菌やウイルスが共生する時代(1)
NHKスペシャルで取り上げられた腸内細菌による医療革命(3月2日、2015)
(14153は加筆、14156日本人と近隣国の関係ご参考)
最近のがん治療など医療の進歩は目覚しい。共生の時代とは人類の始めからか近代になってからか、養老孟司著『「自分」の壁』をよみ、どこまでが「自分」か疑問をもち始めた。いわく「自分に有利な特徴、遺伝子をもつ個体が生き残ってゆく」という説である。ダーウインの進化論とは異説だ。福岡伸一「生物と無生物のあいだ」とあわせて読んで、最近のライフサイエンスの進歩に驚いた。
体内ウイルスの違いが人種の違いか?
新たな共生の時代か
「DNAは全部で4種ATCGで、動物、植物、微生物いずれも、AとT、CとGの含有量は等しい」という。体内でカビや菌が生きてゆけるのも納得できる(福岡伸一「生物と無生物のあいだ」)。
体細胞の中には核があり遺伝子が入っているが、その他にミトコンドリアという別の遺伝子をもつものが存在する(酸素を吸い、糖を分解してエネルギーを生む重要な機能をもつ)。
ところが「自前の遺伝子をもつものは、全部が外から入ってきて体内に棲みついたもの」という説があり、40年以上たつうちに専門家の中である程度は認められつつあるという。(神様が人を造ったという宗教を信じる人には、抵抗がある筈だが)
人は心臓が止まると死ぬのと同様、糖を分解できねば死ぬなら、ミトコンドリアは自分の体の1部のはずだ。いつからミトコンドリアが住みついたかは知らないが。ミトコンドリアは長寿菌といわれ、食事を減らしたり断食すると活発化し、体内の糖分を取ってくれやせるので、長寿につながると、友人が教えてくれた。素人ながら図表にしてみたら、もっと丁寧な論文があった。植物でも共生があるという(論文)。
サバイバル(生き残り)がかかった時には、これからも入ってくる可能性は否定できない。「自分」とはどこまでを言うのだろうか。
体内にある遺伝子のうち、たんぱく質を設計するものは1.5%で、残り98.5%は設計に係わっていないが、何に係わっているのかはまだ分かっていない。
ショッキングなのは、人の体内の遺伝子の30%くらいは、外部から棲みついたウイルスらしいという点だ。人の遺伝子の違いを調べることは医学の世界、祖先の人骨からミトコンドリアやDNAを調べるのは、法医学や考古学だと思っていたら、境界線がファジーになって、今後は各人の体内ウイルスの違いを調べることになるのかも知れない。
外国人をウイルスか
外国人をウイルスだというつもりは全くない。ライフサイエンスと社会科学を混同するようなことを言えば、この思考をもっと拡大して、日本の領土の中に住む外国人も含めた日本人も、同じように国にとって重要な役割を担う者もいれば、害をなす者がいても不思議ではない。
だいたい自分の体内にウイルスや何やらが住んでいるのに、他の人達と共生できないはずがないという理屈もなりたつだろう。
宗教の違いや、経済的な争いは国境の外とのものに限らない。人間はたった4種のDNAの組み合わせでできているなら、争いをおこす人の治療も医学的に解決できるのかも知れない。これは別な機会に触れたい。
人体には腸内細菌は100兆すみ重要なしごとをする共生体
『すましてきれいに着装っている皆さんには、ビロウな話だが、腸の1皮むいて腸内を調べると、糞になる食物には100兆くらいの細菌がすんでいて、重さにすると1.5Kgもいるというからバカにならない数の住民がいる』という。
その細菌のなかには、発がん性のDCAをつくるアリアケ菌、肥満菌・痩せる菌、短鎖脂肪酸、糖尿予防、老化防止(エクオール)、脳に影響をあたえる臆病菌・活発菌、コミュニケーション高・低菌とか、かなりの病気の予防になるらしい。
「人の食べてはいけない(嫌がる)ものを食べる習慣」の続きで、生物学(遺伝やバイオ)の専門家のS博士との話を紹介しよう。この人は永年マウスを育ててきた人で、太平洋の孤島の(純粋培養されたような)マウスに興味を持っている点、変わった人ではあるが。
私もそうだったが、減量のためにとコーヒーに砂糖もミルクもつかわず、人口甘味料を使う人も多い。成人病の3役という糖尿病の人達は、血糖値を下げるために涙ぐましい努力をしている。ところが最近、人口甘味料は体重をへらすどころか、ある種の細菌を殺してしまうため、逆に血糖値を上げてしまうという。こうなると食物と医療の境界も非常にファジーになる。
菓子や清涼飲料に広く使われているサッカリンなどの人工甘味料には、代謝に関わる腸内細菌のバランスを崩して血糖値が下がりにくい状態にする作用があるとする研究結果を、イスラエルの研究チームが英科学誌ネイチャー電子版に17日発表した。(甘味料関連)(WSJ記事)
『人はどんな腸内細菌をもっているかは、出てくる人糞を調べればわかる。それは当然ながら食事によって変わる。摂取した蛋白質などによっても変わるから、前に述べた宗教上の教えで食べるものに制限が加えられているため、腸内細菌も違ってくる。それは正確には宗教の違いというよりは、食物により腸内に棲む細菌のバランスがかわるということになる』。
気分の悪くなる人もいるかもしれないが、上に述べた肥満とやせ型、高低や増減を左右するものは、好ましい人の腸内菌を移植すればすぐに変わるという。すでに人糞の効力はMITなどでも注目しており、それを錠剤にして売り始めた会社が起業されたというからバカにはできない。便生物移植というらしいが、詳しく知りたい人(糞便譚)。一寸話がうますぎるが、要するにセールスに向いている明るい人になるには、そういう人の便(細菌)を自分の腸に移せばよいらしい。
この博士は澱粉を加工処理した物質が大腸菌のえさになり、それが人体の肥満を押さえることで注目される製品の開発に関わっているそうで、人に食べさせるのか、中に住む腸内細菌に食べさせるのか境界線を検査したり臨床試験をして居られる。
人体には様々な病原菌が入り込むが、同時にそれに対抗できる菌も入ってくる可能性もあるから、そういう混合というか共生としての方向が興味深い。
清潔病というのはあるのか
親しい米人の話であるが、今の日本もそっくり似ている気がする。彼の父親は何のアレルギーもなく、子供の頃はピーナツバターが大好きで、草の中で寝そべって友達とじゃれたり、転んで土をかぶったりして育った。今から考えると「あれで良く何の病気にならなかったものだ」という。日本人で米国に帰化した知人は、インドの川や海で潜り(潜水中は海水を口の中に入れたり出したりする)、まったく病気になることも無かったという。
社会が進歩して、アレルギーに敏感な親たちが、愛する子供を病気から守るために、動物が糞をおとし、飛びはねる裏の草原に連れ出すのをためらい、靴をはかせ、靴下も長目にして、転ばないように大事に育てていた。それでもその子は両親のどちらももっていないアレルギーになった。
『外から帰ったら手を洗いなさい』が、いまでは殺菌石鹸で手を洗わせたり、強い抗生物質の薬で大事な菌を殺してしまい、子供を弱くしているかもしれない。清潔に育てすぎて、抗体を持たないため、反って病気になり易くしていないか。(エボラウイルスのような強力な菌が流行する時には手洗いやウガイは欠かせないが。北大の高田礼人教授が抗体を見つけているらしく、製薬されれば効くという報道がある。)
酵素という物質
余談だが、こうしたウイルスや腸内細菌とは別に、1種の触媒の役目をする酵素という蛋白質で構成されるモノがある。興味あるかたはそちらを参考にされたい。どこまでが食物か、ウイルスか、細菌か、酵素かがこれから有望なビジネス分野のように見える。DNAについては、「生物と無生物のあいだ」福岡伸一氏の解説が面白い。
日本では糀、麹と2種のこうじ菌があり酵素がつくられるというが、これはベジタリアンでもたべて宜しいのではないかと思うが、ベジタリアンやイスラム教徒の旅行者のためには調べておく方が良い。”隠し味”のカツオだしやラードが一寸入っても大騒ぎになるからだ。
ウイキペディアでは次のように纏めている。
細菌とはちがう酵素(こうそ)とは、生体で起こる化学反応に対して触媒として機能する分子である。酵素によって触媒される反応を“酵素的”反応という。(ウイキペディア)
酵素は生物が物質を消化する段階から吸収・輸送・代謝・排泄に至るまでのあらゆる過程に関係しており、生体が物質を変化させて利用するのに欠かせない。したがって、酵素は生化学研究における1大分野であり、早い段階から研究対象になっている。(略)
多くの酵素は生体内で作り出されるタンパク質を基にして構成されている。したがって、生体内での生成や分布の特性、熱や pH によって変性して活性を失う(失活)といった特性などは、他のタンパク質と同様である。(略)
生体を機関に例えると、核酸塩基配列が表すゲノムが設計図に相当するのに対して、生体内における酵素は組立て工具に相当する。酵素の特徴である作用する物質(基質)をえり好みする性質(基質特異性)と目的の反応だけを進行させる性質(反応選択性)などによって、生命維持に必要なさまざまな化学変化を起こさせるのである。(略)
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