2015年2月6日金曜日

15179 マルクス主義の限界は崩壊になるか(1)

15179

マルクス主義の限界は崩壊になるか(1)
これからの価値と生きる目的


 マルクスと出光佐三氏は非常に似た入り口と出口を持っていた。言い換えれば資本家の搾取にたいする労働者、金持ちに対する貧乏人の反発からスタートしていた。
だが人間らしく生活できる社会をどう達成するかでは、欧州のマルクスと日本では大きな違いがあった。マルクスの視点は労働者の救済であるが、出光は社員全員を経営の業務分担として捉えているため、経営者と労働者の対立は消えているように見える。

1.労働者の社会的な違い

手段の比較
マルクス時代の雇用
出光 佐三
労働の価値
金が生活を支配する

金は目的ではない
(仲良く生活できる社会が目的)
賃金を上げる
手段
階級闘争;賃金の1部が利益だから、単価を上げる取り合い
全員が経営者であり、必要な業務も、その結果も分け合う
裏づけとなる
理論
理論(弁証法)は社会そのもの
労働を商品ととらえ売る
それぞれの職務での労働ができることが第1目的、金は付属するもの、
社会は理論でなく人情が加わる
労働の位置づけ
資本家に雇われた経営者の管理下で労働する
職務により賃金は決まる
全員が持ち場で最善を尽くす、

人材の養成も兼ねる職場
組織の構成
資本家の支配する、ピラミッド構造で、責任範囲は隙間なく
役割分担であり、最小限の人員で隙間は各人の能力・才覚で埋める
就労の原則
必要に応じて人材は雇用・解雇、勤務時間管理
解雇はしないで終身雇用、
出勤簿不要
モノと人
モノの国
人の心の国
制度のあり方
自然現象で社会を変え、社会の仕組みも変える、
社会の矛盾が人の矛盾になる
人間が変われば社会も変わる
人の矛盾はエゴ、その矛盾が社会の矛盾を生む
剰余価値
資本家は剰余は私物化し搾取する
剰余は生まずとも分け合えばよい
賃金でなく報酬
人間の立場
欲と享楽は人間そのものに不可欠
平和と福祉が社会目的で
贅沢と享楽はつつしむ

日本の出光は職場に住みついたような、仕事そのものが人生である男社会を考えており、他方マルクスにとっては労働は職場での売り渡した勤務時間であった。

2.自由な社会と市場競争が普通になったあと

出光は石油を輸入販売する流通業者であり、これをマルクスが対象としていた1世代前の欧州の製造業者と比較することに無理が感じられる。
単純化してしまえば、原材料のコストに、加工人件費やスクラップ、エネルギーコスト、生産設備の償却費などを加えた複雑なメーカーの原価の捉え方が、購入コストに人件費や在庫管理コスト(備蓄タンクほか)などの経費を加えただけの流通業との違いもある。

いずれにせよ、労働賃金の1部が利益と考えるマルクスの時代と、製造ないし流通コストとの利益の源泉をどこに求めるかというところに行き着く。
出光は「2割、3割という配当が高すぎる。それを1割か8分にすべきだ」というのだが、メーカーの場合は配当ではなく経常利益との比較ではないか。いまどきは2、3割の利益などは夢である。


1914年から45年までの第1次、第2次大戦、その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争など戦いが頻繁だった時代には、その準備金が必要だったが、1945年以降の日本は防衛のための準備金はGDPの1%としてこれた。すると自由な経済活動は競争をうむ。

資本には当然それに期待された投資利益がつきものだが、出光は利益は剰余という考えである。その利益を人のもつ欲あるいは矛盾と呼ぶのにも、現代人には抵抗があるだろう。
利益がないと上場企業はやってゆけないため、しわ寄せが中小企業など下請けや非正規の低賃金での負担になっている。米国では景気の波は、レイオフが簡単な労働条件にして就労者がかなりのリスクを負担している。

競争に勝つためには、より高い生産性と品質追求を求められ、それに必要な設備資金が投資されてきた。投資効率を維持しながら、競争にも生き残るには、業種別に1定の利益率をまもる業種別の枠をつくるしか無いだろうと思う。
カルテルは国際協定に反するから、なにか別な仕組みが求められているのだろう。為替を自由化して1~2年で15%も変動する時代なので、もう少しましな仕組みが可能なはずだと考える。

あとは後述で。

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