2014年2月12日水曜日

14056 外国人との共存生活のしくみつくり


(14056)

外国人との共同生活のしくみつくりを

中国では公式には紀元前の儒学にもう一度注目して、民衆の求めるものに妥協する動きが2007年から始まった、というNHKスペシャル『さまよえる人民の心』で報道があった。

外国人を入れるとどこが変わるか

少子化で人口減少がハッキリしている。   
税収がへる地区の面倒は他の地域が見てやろうということにでもならない限りは、減少地域に外国人が入ってきても違和感なく住める町村の形が望ましい。東南アジアの人たちが多い地域では、その香りがあってもよいし、欧米人が多ければもう少し法治のルールがハッキリするだろう。その意味でも東北地方に外国人が戻ってきつつあるのは嬉しいことで、日本が本当に国際的になりつつあると嬉しく思っている。   

共同生活のための共同ルールがあるべきで、誰でも良いから住民になって下さいという便宜だけのものではない。今までどおり多神教の国で良いとするなら、最小限の生活上の道徳・習慣という共同規範はあるべきで、そこは自治体ごとに話し合いで決めてゆけば良い。
地方自治に委ねるのかどうか、議論されるべきである。昔は農家と漁村が中心の田舎でも、その人口もへり高齢化した現在、勤め人の共同体としてのあるべき姿を作りなおす時期である。

しかし、同時にその地域の文化と、最低限の共通ルールは確立しておくべきである。これができないから締め出すというのでは、自分が滅亡する。
ゴミは分別してだす。汚れ物は川に捨てない。毒物は廃棄しない。水源のある土地は売らない、賃貸のみ。けばけばしい色の広告や建物は許可がいる宗教は統一できないから、行動の最低ルールとしてのマナーと道徳を共有するのだ。それは自治体の地方のお祭りとは別の話だ。年に何回も集会を開いて、議論し、ルールを納得させるのだ。   

中国人も生きる拠りどころは必要なはずだ  
共産党独裁で世界第2位のGDPという国だが、その恩恵を享受しているのは、1割いかの党員と1部の都市戸籍所有民だけである。昔よりはましな生活だが、9億の農民は食うもやっとの貧困な生活にある。1人っ子を大学に入れるために、両親のいずれかは出稼ぎにでて別居。大学は出ても5割は職がないのに、農民の土地をとりあげ高層住宅で都市戸籍に変えれば皆が職につけるという思い込みで、売れない住宅が溢れる。土地は証券に替え、利回りどころか不履行債権。水は飲めないほど汚染され、食物には毒物混入もあり。不満は爆発寸前。

こういう国から70万とも100万人ともいう留学生や移民がくれば、それぞれの地域できちんとしたルールが無いと、無法地帯になるだろう。
文化大革命にも耐えて、かって山東省を中心に、《親孝行をせよ、目上の人を敬愛せよ、人には思いやりを持て》という儒教(哲学)が細々と続いていたというが、殆どは無宗教である。中国人の上層部は、統治の手段としての宗教を考えているが、国内に複数が許されるなら有効かもしれない。

日本の自治・自律の根本としての道徳

日本でも数年前から道徳教育の復活が叫ばれ、国としての統一教科書の提案が出された。宗教の中味を教えるのでなく、何を信じるかは自由であると教えるのは現行憲法でも問題ないはずだ
。すでに述べてきたが、国営教会が憲法の上にあるなら信教の自由はなく、それは宗教家を利用した政治が行われるから、好ましい民主主義の形ではありえない。

地方自治の大本の自律が各人(家庭)にあるという理由なら、生きる規範、道徳として《如何に生きるか》の最低規準を作るのは理解できる。神道は自然崇拝の生活習慣とするなら、それとは別に個人としては《何かを信じるから、こう生きる=行動する》という部分があるべきだろう。









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