2014年9月4日木曜日

14129 先行きを不透明にしているのは日本人(2)



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先行きを不透明にしているのは日本人(2)

真理は間違いから逆算される。そのためには間違いを記憶し続けなければならない。これは消極的能力であって積極的能力ではない』鶴見俊輔「思想の科学」でこういう考えがあったとNHK報道で知り感心した。実は自分の過去の様々な失敗例をまとめて、日本からの学生達に説明していたからである。

真理は何かは具体的でないと姿を現さない                     最近はものを具体的に話さないと伝わらないが、これは科学的になっている面ではよいことだ。早い話が、レーザーという光の波を利用した光波があるが、これを2点から当てると、そこに被写体があると、それぞれの波が邪魔しあって、そこだけが空洞になる。つまりそのものを除いた部分だけが浮かんで3Dに見える。あなたを見るのではなく、あなたの外側だけをみるといったほうがよいのだろう。
つまり、正確にものごとを理解するには、最低でも2点から見たほうがよく理解できる証拠だと思う。具体的な事例を見たい人はクリックしてみてください(最新のホログラム技術https://bae.dentsutec.co.jp/articles/hologram/
『これは消極的能力であって積極的能力ではない』という補足がついている様に、鶴見俊輔氏は、間違いの過去を研究すればプラスの価値が生まれるとは言っていないのでも明らかだ。
私は実際の撮影を見たこともあり、20年以上まえから、ビルまで買って原版の製作を行った経験のあるホログラムという(立体映像を2Dの中に取り込んで表現する)技術を思い出したから。

シンプルに言えば2つの光源に分けて被写体に別々の角度からレーザー光を当てると、それが立体像を照らすときは、それぞれの光がぶつかり合う部分を除いて、光が反射してきた物の形の立体空間ができるというもの。(https://www.google.com/webhp?hl=ja&gws_rd
=ssl#hl=ja-S&q=hologram+mechanism) 

X線の代わりにミューオンという宇宙線を使って、福島原発の溶解した燃料の位置を映し出すというのも、こうした考えの延長にある気がする。

両眼で見れば立体に見える原理を再現したものである。つまりはその干渉空間が立体そのものなのだが、それは被写体があるから出来るのである。だから、図の物体のない全くの空は姿をあらわすことはできないのだ。

光の世界と思考の世界とは違うという反論もあるだろうが、どう違うかの証明が出来るのだろうか。失敗を続ければ、同じ失敗は避けられようになる。しかし複眼でみなければ、立体には見えないのだという点が、日本の識者の論点で、いつも偏っていると感じるのだ。

真実を述べる勇気があるか

仮に自分が真理を掴んだと信じても、それを述べるのは勇気と覚悟がいることである。なぜかといえば、それを証明するだけの事例がないからであろう。しかし誰が見ても分かるような真理となっている事柄をいう必要はない。

慰安婦がいたとしても強制連行があったのか無かったのか、論点の鍵である。
それについて、日本の主力新聞がなぜ意図的に虚偽報道を続けたのか。それに反対できる社員は居なかったのか。こうした加害行為をどう裁くのか、日本人の意志が問われている。こうした胆力と勇気のない人は、米国などの大国では影響力をもつことはできないと考えている。

『真理は間違いから逆算される』という思想家たちが、『慰安婦の強制連行があると証明できなかった』という朝日新聞の発表から、どう逆算して何が立証出来るのだろうか。逆算しても出てこないものは無かったというしかない場合も多い。

日韓で将来のためにこの辺で妥協しましょうという政治的合意で、河野談話が出されたが、それを融和のために使うどころか、悪用して”強制”の枠を拡大し挺身隊と慰安婦をつなぎ合わせたのは韓国である。(それで更に日本への攻撃材料にして、バブル崩壊で弱っている日本をたたくチャンスとみたのだ)

慰安婦の強制連行という捏造は吉田清次であれば、それをプロモートしたのは朝日新聞だったが、それに基づいての河野談話に仕上げたのも日本人である。
国連に第3者の観点として売り込みクマラスワミにまで持っていったのは、日本側でなければ韓国側だという思考が欠けていたのだ。ここまでの流れをみれば、韓国側の対日ネガティブ・マーケッティング戦略がハッキリする筈だ。脇役に足をすくわれて、大舞台の米国で主役から下ろされそうになっているのだから。

「優しい」というのは妥協に生きるということ

いまだに、「お隣さんだから韓国人には優しく」とかいう意見があり、こうした批判的な複眼の欠けた人がメディアに多数いる点が、日本の脆弱さと考えて、常に疑ってみることが必要だ。
隣国がどのような言葉を使い「優しく」「友好的で」といいながら、領土問題をおこし、経済支援をもぎとり、主要市場でのシェアを握ろうとする戦略に気付かぬ人は、国際舞台には無理ではないか。

すこし話しが跳ぶが、日本にも思想科学者や知の巨人は数多いが、戦前の軍国主義これに反対した人はわずかである。戦前は思想統一が行われていた国であり、政治関係者は身の危険を感じさせられた軍の独裁があったと言えるからだ。そこで自由な発言ができたのは海外に居住先をもっていた人達だけであったと思う。

戦後になってそうした軍の暴走を止めるべき制度的な歯止めを用意した人も聞こえてこない。たとえば軍事裁判所がなくて、平時法を否定する軍人の行動をどう非公開で裁くのか。こうした法制度の不備を正すのを放置することは、今後も自国民による加害を続けることになる。

自分の真似をしてどうするのか

現政権は少ない例外だろうが、現政権の前の日本人のリーダー層が、残念ながら米人から見て余り信用されていないのは、米国の政策に対しては、総じて批判的な声は高いが、自分の意見を米国で表明する政治家が非常に限られているからである。その1点だけでも、現在の指導者で本当に幸いだったと思う。悪いことは総て米国のせいだという中国のくせをマネをするのもやめにしたら良い。自分の力を信じて、一緒になにをできるかを考えるのだ。中国人は乗っ取りに来るが、米人は共生を考える。

これから韓国にはどう対処すべきか、何を学ぶのかという議論があるが、日本のマネをしてきた国に学ぶものなどないと思う。傲慢にみくだす気はなく、すぐれた人もいるとは思うが、1口でいえば、自分が自分の真似をしてどうするのかということ

その意味で、日本のジャーナリストで親韓派がいかに脆弱か、安易な妥協でいかに自国を危うくするか、自国の中にも加害者を抱えているかを認識できたのである。その意味で慰安婦問題はそれをハッキリさせてくれた教材であり、今後もそれを正す試練が待っていると受け止めるとよいと思う。でなければ、海外で国民の経済活動を守り、発展することはできないのだから。

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