電気自動車テスラ社のイーロン・マスク氏が訪日
5ヶ月前のブログを再掲載しよう。NHKの大越キャスターには、『日本が発展するには、若者にチャンスの掴める社会、物理が役立つ基本だった。12年後火星にゆくロケットを考えている』と話したが、もう少し大事な条件があるので再掲載します。その彼の夢である宇宙飛行会社はボーイングと並んで、その6割にあたる開発受注をした。
NASA「宇宙タクシー」、ボーイングと並びスペースX(創業12年)が68億ドル受注
彼がパソコンの基になるソフトで西海岸で活躍を始めた頃、商社での《最後のプロジェクトを軌道に乗せてからでも良いではないか》との説得に乗って、それを軌道に乗せるべく熱中していたのだ。
残念なことだが、周囲の変化を注目していないと、よほど大きな変化が起きていても気付かない。
独断をいえば、ソフトウエアはプログラミングによりできているが、それは業務のスピードを上げるために作られている。スピードは経営そのものだが、業務手順が分からないと書けないのだ。
ハード・ソフト・ネットの3人の極端な例だが、70年代にスティーブ・ジョブズがゼロックスのパロアルト研究所でみたパソコンの可能性から、それを実現しようとするころ、パソコンのソフトの需要を信じてそれに賭けたリーダーがビル・ゲーツだ。そしてハードにつけてソフトを開発したアップルと、万人にソフトをというマイクロソフトの販売の基本戦略は違っていたが、パソコンのソフトが急成長した原因は、やはりゲーツだったと思う。IBMに使わせたからだ。
パソコンが会社の事務処理機として標準化する94年ころ、イリノイ大のM.アンドリーセンがインターネットへのアクセスを簡略化して、パソコンは通信機としても拡大した。
ここでもう1人の南アフリカ生まれ米国に帰化したイーロン・マスク(Elon Musk;1981生)という技術系をご紹介しよう。『いや知っているよテスラ社のCEOだろう』という皆さんも多いだろうが。
ウイキドペディアによると;
12歳最初の商業ソフトウェアBlasterを販売。
88年17歳に大学入学資格を得た後、米国移住を希望しながら、89年に母親の生地カナダに移住。農場で貯蔵所の清掃や野菜畑、製材所でのボイラー清掃や丸木を切断。
大学で夏に銀行のコンピューター部門でバイト。米国のPA大学ウォートン・スクールへの奨学金を受け、同校で学位取得。
大学で夏に銀行のコンピューター部門でバイト。米国のPA大学ウォートン・スクールへの奨学金を受け、同校で学位取得。
「インターネット」「クリーン・エネルギー」「宇宙」の3つの分野に従事を希望。後に全て達成した。 95年(14歳)で兄弟のKimbal Muskと、オンラインコンテンツ出版ソフトを提供するZip2社を起業。のちにコンパック社AltaVista部門に買収され、マスクは3億700万USドルの現金と、ストックオプションで3400万ドルを手中にする。99年(18歳)にはオンライン金融サービスと電子メールでの支払いサービスを行うX.com社の共同設立者。X.com社は1年後Confinity社と合併し、2001年PayPal社となる。
06年太陽光発電会社ソーラーシティを従兄弟リンドン·リーブと共同創業、現在は同社会長に就任。
13年には時速約800マイル(約1287キロ)の輸送機関ハイパーループ構想を公表。マスクの資産は、05年時点において3億2,800万ドルとされている[1]。》(編集・カット・着色は筆者)
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