2013年12月31日火曜日

13042 性善説は自衛と矛盾 子供を守らない母親を許せますか

13042ー改1(*)

子供を守らない母親を許せますか
(性善説では自衛は出来ない)

核兵器も抑止力として必要かについて、読者の関心が非常に高いことが分かった。これに関しては、憲法改正にも関連するので様々な意見が交わされている。 

私の考え方を補足しておきたい。再度お断りしておくが、私は広島で被爆した80代後半でもシッカリと息子さんと生きている婦人をシカゴでの知人として誇りにしていることでもあり、基本的には核兵器には反対である。


では「何故、核兵器もオプションだ」と考えるようになったかと言えば、何年もかけた6ヶ国会議の努力もかかわらず、米露中の3大核大国の圧力にも拘らず、北朝鮮が核兵器を保有する結果になったからだ。(*改1;2017年4月)

つまり世界の強大な武力をもつ国でも、核兵器をつくることを抑えきれない(意図的に見ぬふりをしたかどうかは関係なく)ならばそれを使わせない約束などはさせられる筈がないと考えたのだ。また彼らが核兵器で脅し、集団でそれを抑止できぬなら、せめて日本が自衛し生き残る権利は否定できないからである。

自衛を否定する考え

ある座談会の議論で、「憲法9条では明白でない自衛ための武装についても、これを放棄して、永久に他国の日本を生かそうとする人たちの意思に、自分の命を委ねたい」というある婦人の意見がある。インドの指導者のガンジーの非暴力・無抵抗の思想に近い。
しかしガンジーの場合は、当時インドを植民地としていた英国から独立する手段として、インドの宗教的な背景もあり、とった抵抗手段であり、英国で学んで英国人に効果のある抵抗であると知っていた。独立してからのインドは、核兵器も持ち、近隣国とも対立する武装をしている。

育ちのよい家庭で育った方であろうが、私にはそのような性善説はとれないのだ。それは、どれほどの戦争が行,れてきたかを歴史で学び、国内では自国民を武器をもって大量殺戮した過去のある国も、少なくないことを学んでいるからである。ましてや自国民を大量虐殺した歴史をもつ国に命を預けるなどは、ありえないし無責任すぎるといえないか。


このような意見の持ち主には、次の2つの厳しすぎる質問が待っている。

  • 貴方が母親である場合、自分の子の命を危める人に子供を差し出せますか?
  • 貴方が政治や行政の責任者である場合、市民を助けず見殺しにしますか?
家庭では子供の命を守らない母親(父親でもいい)を、許すことができますか。それで家庭は成り立ちますかということである。高齢になってから、『自分だけは死ねます』などという人は、勝手すぎる偽善者というほかはないからだ。
『これから生きる若者や子供を、どう生かすかを考えなければ、何でも言えるワイ』と思うのだ。憲法の保障する人権を守るには、12、13条にある国民の生命、自由と幸福を追求する権利を守ることが、国としての責任ではないのですか。
国防もなく国を乗っ取られたら、人権も何もあったものではないのだ。それには自国民の命を守るしかなく、それを放棄するこのような意見は、反社会なアナーキストやテロリストの考えと近いものを感じるのだ。



自衛に核を持たないか

現在の日本の首相は、あらゆる努力を払って経済を成長させつつ、危険度の増してきた隣国との間で国防にも努力を傾けていることに深く敬意をはらうものだからである。

このような日本の政治家を北朝鮮の独裁者とは比べようもないと考える。

しかし、北が核を使わないという保証もないのであれば、同盟があってもなくても、「抑止となる武器は持たざるを得ないのかも知れない」と考えるようになった。それは、「同盟国である米国の指導者の発言が明確でなく、核による報復は国内世論を考えれば、できないかも知れない」という可能性がありうると感じるからでもある。

これは日本人が「同盟国を命にかえて守ります」と言えない人が多いのと同じで、だから『同盟国はけしからん』と言えるわけでもない。つまりは自分の国は自分で守り、足りない部分は助け合おう、ということになるのではないか。

有料の衛兵はありえないと日本人は自覚する時期ではないかと感じるのだ。スイスのような永世中立を選んだ国も、その昔は自国民の兵を有料で貸し出し、その送金から銀行業が発展した歴史をもつ。現在は国民全員が武装しシェルターをもち、1~2日で1割を動員できる体制を整えているという。
ジャーナリストは観光地でなく、スイスのインフラを調べ、報道して欲しい。

なお、編者である私は『平時は、性善説でいきたい』と念じて生きたいと考えています。


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