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新たな教育の方向;何を学ぶか
何の仕事をしたいかで決まる(2)(14137の続き)
『何か造る物はありませんか?』という質問は後回しになる
最近私の関係する会社にも、日本からこういう質問が来るが、1社や2社ではない。
『いったい何が出来るんですか』と返すと、『何でもやれます』と答える。『ホームページを見て、想像して欲しい』と云いたいのだろう。こういう無駄なことをさせる会社が増えた。
『何でもいいから、これはという会社に、どんどん当たれ』という上司が後ろで目を光らせて見ているのだろうか。何も答えられない新米のトレーニングだとしても、少しお粗末ではないか。
メーカーの中小企業だと、自社の所有する工作機などをリストにしているので大体は想像できる。だが米国の標準のスチールの板の厚さは何インチかも知らないから、日本の市販の鋼板は米国では販売していない。簡単な計測器の箱を造るのも、思うほど簡単ではないのだ。
それよりも大事なことは、貴方の会社(社員)は何が得意なのかということを聞かれることを想定して、せめてそこまでは、自己紹介の中に含めて欲しい。
何がやりたいから、今の会社に働いているの
学校で教えることを学んできたから、自分が何をしたいかは考えなかったという人は、米国でもかなりいる。有名校に入りたくて、試験科目をただ懸命に勉強した人たちである。その意味では、大学2年になってから理系から文系に移るとかの選択が出来る米国式は、フレキシビリティーの面でも、良いことだ。8月に東大生が10名くらいい海外研修でやってきたが、その中にも理系で入ったが文系に移ったという女性もいて、東大も捨てたものではないなと進化を実感した。
だが、これからの職場環境はそれだけでは足りない。市場での商品寿命が短くなっているし、技術革新なども激しくなっているため、何を学んでおいても、それで終わりという訳にゆかない。
米国のように退職まで40~45年は働く時代、最初の3年ほどで5社くらい替るとしても、その後4~5年毎に1社、転職しながら更に5社を経験すると考えてみれば、少しずつ違った技術や知識を学ぶ必要がある。それは学生時代に実務もわからず頭で学ぶのではない。
商品で縦割りの会社の中で、自分の経験したい順番ではなく異動させられるよりは、社外に出て幾つかの会社の中を横移動しながら経験する方がマイペースで良いと考えるようなことである。
どこか大人になりきれない田舎者が、早く管理職にたどりついて、ドカンと存在感のある年上の部下に『OO君、これを頼むね』などと云っても、相手が動かないとか、いろいろな場面があるのは、想像できるでしょう。むしろ過去の知られていない方が、やり易いことも多く、自分はこの会社ではこういう過去の機能や知識が生かせるなと感じるようになることも多い。
自分が何に向いているか
先に述べた10代から、プログラミングに興味をもって学び、その後も自分の夢が増えて、それに必要な科目を学んだ天才的な人たち(14079参照)を除けば、普通の人は自分が何が得意か気付かないことも多い。私の時代は統計や確率は殆ど学ばなかったが、後で週末にも自分の時間を割いて、かなり複雑なデータを比較したり解析するのに夢中になる自分がいることに気付いた。
そして、そういう分野が好きなのだろうと考えるようになったことから、読者の皆さんも、とにかく経験して一生懸命やっているうちに、好きなものが見えてくるだろうと思う。
日本では東京大学が、異能の子供たちをプロモートするプログラムをスタートさせたのを喜んでいる。何でも1律にしておいて、悪平等のきわみでいながら、新規の発想で事業をなど出来るわけがない。何でも出来る子が、何かに突出しろというのも無理。
なぜ自信をもって言えるかといえば、社会に出て可なり変わった人達とあい、特に米国ではそういう人が優れていたからだ。1つに秀でた才能を持つ子が『私の苦手なところばかり見て(からかい)、良いところは見てくれない』と不登校になった理由を訴えていた。
何かに不得意な人は大いに元気のでる変化だろう。他の大学も変わるだろう。
教育者には申し訳ないが、中身より教え方が私の思考の仕方と合わないで、好きになれなかった学科がある。それを後から実際に仕事で経験し、それが具体的にどう使えるかが分かり、一生懸命やっているうちに好きになることもある。
だから、どうせやるなら、何でも注意を集中して必死でやるとよい。『一体全体、何の役に立つのか』と思ったら、Googleなどで用途はと質問を入れると、驚くほどの答えがでてくる。
そういう中から、段々と自分の向いている分野が見えてくる。その意味では、数学が分かり易い指標になるように感じるのですが。また、どちらといえば独創的な考えを得意とするか、あるいは伝統的な階段式のピラピッド組織で多数の中で居心地がよいと感じるか、いろいろな切り口での検討が要る。それは自分が幼い頃に父親が一所懸命やっていた仕事が好きだとか、あれは嫌だったとかいう感情の部分もありえます。
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