2014年12月21日日曜日

4160 外国人従業員を能力で評価できる人材の育成(1)

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外国人従業員を能力で評価できる人材の育成(1)

(職場関係と近所つきあいのくべつできない日本人がトラブルのもと?

分かりやすい目標をつくりやらせる

すでに述べたが、外国人にも言うことは、今の給与はこの範囲の仕事、ここまでやれる機能が増えて数字が達成できたら、給与もOOまで上げる。基本的にはこれだけである。明治維新から150年ちかくかかって”誰でも平等”というのが日本の社会に根付いている。大事なことが欠けていては外国人は使えない。営業ならば、ノルマ+で出来高コミッションが分かりやすい。但し、ワイロは違法、首だから気をつけろとアジア人には言うべきだ。

実際は会社の仕事も『やりました』という報告が出来るためだけにやっているのか、結果の追求をさけるためだけか。責任回避に追われるようなレポート作りの仕事になり、物事を正面から向き合っておらず、斜めに構えているように感じる。ルールどおりに人をビッシリ配置してしまうと、人員過剰でおたがいに隙間がなく、自由に個人の裁量でできる部分がなく息苦しい。

それは権利だけを主張する悪平等だけでは、自分が努力したことにはならない。資本家が万能な社会では、1人1人が資本家(投資家)にならねば果実は貰えないし、サラリーマンは何かの工夫で各人がやる気を起こす仕掛けがいる。

努力をする人と、しない人がいる以上は、それは差別されても仕方がない。人が見ていようといまいと、それをルール(制度)化することは不可避なのだ。この点は米国でも民主主義に行きずまりが見えるが、『マルクスが日本に生まれていたら』の書評とともに後述したい。

親中派と親米派の違いは、カネが総てか合法かの違いか

近隣国のように『すべてがコネとカネ』つまりは自分の収入が保護される職場は、その鍵を握っている人への賄賂できまる国は、制度化されていないだけに不透明かつ流動的である。合法か違法かは別として、それで国全体が動いていたらどうするか。人治などとごまかすから、相手も改善できない。(『コネとカネ』中国社会と闘った私達」岡田武史・井村雅代対談文芸春秋参照)

親中派と親米派ははっきり言えば、この違いだといえないか。
我々はどうなのかと言えば、日本人同士では米人のようには最終的に司法裁判に従おうとする人は少なく、できれば和解でと考える。これは弱点と見られ付け込まれる。メディアが親中なのは、取材記事の検閲を受け入れた朝日(と共同も?)に関するウイキぺディアに詳しい
日本側も中国の取材には相互主義で、同一条件をつければよい。韓国記者も同じくである。

外人は入れないといいつつ100万人近い中韓出身の学生が今の日本にいるという。どこにいるか管理できていないからザルだという意見もある。すでに心配していたとおり、近隣国の人材を雇ったら、預金者の銀行のパスワードを悪用され、中国への送金が行われていたとの報道があった。

通訳をつけてでもマネージする(英語ができなくても助手に言わせればよい)

外国人を受け入れたら、その人達はどういうルールで働くのかの説明が要るし、評価ができる人材も欠かせない。学生の就職では、条件の1つとして、そういう人たちが法を犯さず、起業して法人をつくり納税できるまでになったら、国籍を与えるというのも、1定の目安にしてはと思う。

東京で結婚する10%が移民だとするなら、外国人との付き合いは異文化とのブレンドを許すことだから、自国での生活の条件やルールをはっきり、しっかり守らせないと、どこの国の人間か訳の分からない人を大量に社会参加させることになる。左派が”人権”の旗で狙う社会混乱に見える。

ごみ捨てのサイクルも、伝言板の回覧も回らなくなるし、雨傘でも何でもパート先の職場から紛失するようになる。気づいたら外国人の方が多くなっているコミュニティーだと、管理能力がないと『私がとった証拠はあるのか。あんたこそ、トラブルの元だ』と言い返されて、黙って引っ越せますか。日本国内のほうが住みにくくなってくる可能性さえある。

① 能力差別のできない日本人はトラブルのもと

左派の政治家によくある話だが、外国人も1諸に扱い、同じ釜の飯を食べて、仲間扱いするが、これは妥当なのかどうか。やたらと『お隣さんとは仲良く』というが、本人が能力による区別の仕方が分からないから、平等主義をいうのだ
そういう日本人の扱いで甘やかされた現地人は、幸せかといえば、次に厳しいボスがくると大概が不平や不満をもつから不幸になる。その最たる例が半島人である。

困るのは自分だけが現地で評判がよければと、(現地のほうが給与が安いので日本の感覚で)理由もなく少し増やして払ったりする。海外の和食の食堂が流行らないのは、よく聞く話だが、もともと調理師の免許も持たない人や、人の使い方も管理もろくに知らぬ人がやっているからだという。(最近はブランド化してのれん代をとるなど、コンサルタントが新たな方法で進化させている)

払った給与の中で、職務中はボーっとさせないだけ、次から次へと仕事を指示するという管理職のあるべき姿への理解も能力にも欠けているのだ。よくある例は、1人よい子になる主婦のメンタリティーで、『誰がさぼろうが自分だけは誠心誠意で働きます』という人。それで良いのだが、年功で昇進して管理者になっても同じでは困るのだ。全員を一定のレベルに上げないと、負け組みになる。

言葉は悪いが、日給なら時間1杯に働かせ、時間給なら終わったら『ご苦労さん』でさっさと帰ってもらう。それが本人のためにもなり、よそで働くときも働き者のままで務まるからだ。
だから、怠けさせるボスは決して貴方の将来のためにはならないと考えてよい。人は苦しいから、何とかもう少しましな方法はないかと頭を使う。これをごまかして手抜きするのはだめだ。 
(続き)
                        

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