人数が足りないと成長できない
(これは今ハッキリしてきたが2013年11月の再掲載)
復興が遅れている理由は、全体の総合計画がないことが原因の1つだが、2つ目は計画を実行する就労者が足りないからである。就労者の頭数が足りないから、主婦を職場復帰させようというアイディアもあるが、それは短期での間に合わせである。
製造業が復活するには基礎の学力が足りないか
日本の国内総生産GDPが500兆円として、消費者の所得が60%300兆円、平均所得400万円として75百万人の就労者が必要になる。2.5~3%の成長をするには、生産性を上げるか、就労者を187.5~~225千人が更に必要になる。
サービス業での人手不足を非正規(バイト)でつなぐような経営だと生産性は上がる訳がなく、学生に勉強させるチャンスも奪っており、将来の彼らの潜在付加価値も先食いしていることになる。
製造業が海外に移っても、海外でその分の労働者をやとうから、海外からの企業の利益の送金があるから安心だというような楽観的な議論もある。しかし中国からの配当をし様とすれば、国外撤退を覚悟するしかなく、投資した額はみぐるみ剥がされると思った方がよい。連結して向こうにある金は自分のものだというが、もって来れないから無いのとおなじだ。
外国人を使える就労者を育てるには英語力は欠かせない
付加価値のたかい製造業は国の内外で人材を工場に派遣する必要があるから、国内に日本人社員をまとめておくだけでは足りないのだ。
ということは、足りなくなる分の就労者を海外から補充する必要がある。雇用が国内なら、その人間の稼いだ所得の20%くらいは所得税として課税できるし、国内での消費量も増えるが、海外ではそうはいかない。つまりは日本人も外国人を呼び込まないと生活できなくなりつつあるから、言葉をおぼえて彼らを使う方法を学ぶしかない。
90%が高卒としても、殆ど半数が携帯でのやり取りに時間を浪費し、暇をもてあましていて、まともに勉強する学生を妨げあっているように見える。これでは国際競争力が身につくとも思えない。
スマホでの交信はどんどん短くなって、最近はそれさえも漫画の絵で答えるようになり、きちんとした言葉による表現能力も欠けてきている。
先週、京都の有名大学で講演してきたマウスを使う遺伝子の専門家(日本人)の話しでは、授業中に半数の学生はスマホをいじっていた。『私たちは京都に永住です。海外に行く気はないし、医学系の職はありますから』という話し。『今時、こういう若い人がいるのが面白い』と珍獣をみたように喜んでいた。こんなことでこれから40年も、本当に平穏な人生を歩けると思っているのだろうか。
学生がせっかく大学に入っても、親の金を使ってバイトをして、スポーツの同好会や飲み会で消費しているだけでは、将来の非正規就労者を増やしているだけではないか。
では、どうするか?
やはり、学生にも、学校経営者にも、国際社会のシビアな競争を体験してもらい、学力差と体力差の違いを身に染みてもらうのも方法であろう。または、先述した長い旅にでて、散々な苦労をしてみるとか、禅寺に長めに滞在して、まったく異質の世界を体験することである。
もうひとつは、創造力を高めるための冒険をすることではないか。若いうちからビジネスで競争をして、失敗や成功で経験を積む。一般に教師は温厚な人が多いから、事業経験をした高齢者や、現役の管理職を教育の場につれ戻し、貿易や製造の実務を体験してもらう他あるまい。これからは教師でもインターラクティブな学生との対話、コーチングなどの力を試されるから、楽な職業ではなくなる筈だ。つまり、世の中に楽な職業などはないと覚悟しよう。
学生達で知的好奇心の少ない者に、むりやり勉強をさせるよりは、会社の中での様々な体験を有料で引き受ける職場学校を増やすのだ。また、英語を身につけ、18、19項に先述した現場と本社をつなげる人材にまでは育成することである。
英語が出来るなら、外国人を雇って、満足に働いてもらうマネージャー役も必要度を増すだろう。
少しはましな事をし様と思えば、図書館でバブル時代の1989~90年頃の新聞記事を読んで見ると役立つと思う。すると当時の社会現象として何が起こったのかが分かる。
私の独断と偏見かも知れないが、”日本の戦後””原油価格の乱高下””経済の弱体化”などで、社会の底が抜けた年であった。それは円や原油価格がどうなるのか、プロもまったく分からなかった時代だ。そこで会社は不動産に走った。
バブル期には、トラックの運転手が足りず、道路標識の日本語が読めない外国人運転手のために、英語標識も加えるという話しもあった。今景気が回復期でこれらは繰返される可能性がある。
そのあとは引き締めでリストラ、失われた20年が始った。同じことが起きるとは思わないが、人手ぶそくと引き締めで、メーカーは海外に移った。ベルリンの壁が開かれ、イラク戦争が起き、その後のバブルの崩壊、無理な引き締めで、下記が起こった。
1980年代後半の円切り上げによるバブルの後遺症;ネット検索の記録によれば;
景気後退、 バブル崩壊、 地価下落・住宅価格下落、
不良債権拡大、 大手金融機関の破綻、 メインバンク喪失、 住専破綻、
ゼネコン問題、会社資産売却、土地の評価方法の変化、
バブルと経済政策、BIS規制、 貸し剥がし・貸し渋り、引当金、 格付け引き下げ、 ジャパン・プレミアム、変額保険、保険会社破綻、
日本国外からの撤退、雇用の抑制、公務員人気、 一時的な雇用情勢回復、
アウトソーシング(業務請負・労働者派遣)、 株持ち合いの解消、
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