2014年5月27日火曜日

(14100) 『私の愛するものは、ゆっくりと私を殺す?』という歌

(14100)

 『私の愛するものは、ゆっくりと私を殺す』という歌
 (生存本能、幸福とマネー離れと)

友の葬儀に日本にゆく私に、妻は穏やかに仏教徒の確信からか、ポツリと言う。
『奥さんのいうことを聞かない人から順番のようね。気をつけて行ってくださいね』と。

戻った私からそれを聞きクリスチャンの米人はいう『私が愛するものは総て私を殺す』とプリントされたTシャツを着た男が、面白い替え歌を唱っていたよと。

『私はベーコンが好きだ。香り、味、歯ごたえ総てだ。体によくないのは分かっている。ベーコンは妻のようだ。私の好きなものをすべて持っているが、それらはゆっくりと私を殺す』そんな唱だったと。(シナトラの元歌はhttps://www.youtube.com/watch?v=unWylC_ENvw)

私は牧師でも僧侶でもない。だが、悪戯の度が過ぎていたのか、ドイツ人牧師のルーテル教会の日曜学校に1年通わされ、それでも足りず三島の禅寺での泊り込みの10日間の1人修行は小学生時代にやらされた。
そのお蔭でか、かなり若い中学頃から、何かで困るとどうすれば東西で争いの少ない世界ができるかなどという途方もないことを考えていた。自分の困ったことがいかに小さなことか、宇宙から見れば、全人類からみれば、しずくの1つである。

話しが跳ぶが、私の知る限られた東洋系の女性たち、とくに高齢者は、減量のためにも体に悪いものは食べないし、その多くは夫にも奨めない。

欧米の男性はその逆で
『好きなものを食べないでは、生きている意味がない』、
『ライオンは草食にはならない』という。
『夕食はお肉とポテトかサラダ。簡単よ』米人と結婚した日本婦人がというのも聞いた。
ロシアのスシは、のりが嫌いなのか、合金の筒に調理した米を入れて、その上にソテーした魚を入れて、筒を外すロシア風ばってららしいし、米国のすしも天ぷらやアボカドで手巻きを作る。

日本で善いと分かっていることが世の中の総てではない。真実と正義に余りむきにならないことだろう。この世は、どう考えてもベーコンも女性もいない世界にはならないことだけは確かだ。
つまり、生活のうえでは、人の欲望は個人では寿命に限りがあり、国単位では社会保障の医療費による上限があるから体によくないかどうかで、財政を圧迫しているといえるなら、どう抑制するかしかないように見える。

愛する人にゆっくり生かされ(殺され)ましょうか。では、それまで



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