14091
『中国化する日本』を読んで
(これは政治的なプロパガンダであると感じた)
奇異に感じる程におかしな議論であると少なくとも私は思っている。
『中国化する日本』與那覇 潤著を読んで、日本の歴史に関する切り口が斬新な面を感じながらも、どうもすっきりしない議論につきあっていると感じつつ読んでしまった。
この著者の唐突な『中国化する』という議論と、時代を何百年も前後しながら比較するその手法は、どう考えても無理があり、これは日本人の発想にはなく、むしろお隣の半島人の独特な議論そのものだと感じ始めた。それは空想の過去と現在を比較するという欺瞞の手法であり、慰安婦議論や、崔監督の議論と同類なのだと気付いた。
武力と消耗品のように扱われる巨大人口国の生命、法治からはほど遠く司法が党の下にある1党独裁、こんな国と1緒にされたくない、とアジア人の多くは思っている筈である。
牢名主と同じ発想か
そして314ページまで待って、ようやく韓国の登場である。それも中国化の3段階目としてIMFの登場の受け皿として、「新自由主義については中国が先進国でしたが、そうなるとIMF管理下に入る経験でも韓国が(97~01年)の方が先進国になるわけで、ここに日本は中華世界のなかで一番未開で遅れた「東夷」の暮らす地域という、古代以来の位置づけへと回帰するするわけです。」という著者の独断と偏見が現われる。これも馬鹿げた議論で、破産宣告される経験が先だから先進国だというに似た考え方も、まともな思考とは言いがたい。
これを読んで、自分の祖国は半島だと信じている人が、漸く正体を顕したと感じた。この人の日本に関する広い知識は何のためなのかを不思議に感じた。米国への帰化人のような愛国心も情熱もない、ただの商売の道具だとしたら惜しいことだ。
昔、韓国の大統領が訪日して、「自国には中国文明を日本に渡したのは自分たちだから、自分たちの方が偉いとか言う馬鹿げた考え方がある」言った。儒教思想の位置づけを忘れられない”中国からの距離”の発想から抜け出られない悲運を未だに背負った半島人への救済は、この同心円のような儒教的教育から解き放つことであろう。
中国という国はあったか
ウイキディペディアでは非漢民族の統治時代が、漢人時代より長かったことでもあり、私個人は漠然と今の中共国のあたりにあった様々な国々が、それぞれの歴史を生き、都合が良い時は過去を引用する習慣があるのが漢民族だと考える。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E6%9C%8D%
E7%8E%8B%E6%9C%9D) つまりは地理的に特定な地域とそこにあった数々の王朝をひっくるめて1つの歴史とすればという主張である。たとえば今のドイツの地域に過去5千年にどんな国があったかという表現でなされれば、納得できるかどうか。
1949年に出来た共産党が独裁する現在の国は、その前の債権債務も歴史も引き継いだ訳でなく、戦争で相手を追い出した点でも、昔からの手法に従ったに過ぎない。
”5000年の歴史”と称するのは、それが他国に対し優位さを持てるからと思い込んでいるからに過ぎない。漢字が統一した言語であったということも主張しているが、上海の言葉と北京語は違うし、それを同じだというのは、EUでいえばアルファベットが共通だから、仏独伊は1つの国だと称するのと同じく、プロパガンダに過ぎない。
過去にも中国などという呼び名の国はないのだから、そう呼ぶのは日本を含めた外国人が勝手につけた怠惰な1つの呼び名を使う惰性だろうと思っている。
宋の科挙制度が近代の象徴?
宗主国の中共国をたたえるには何処まで戻ればよいかを考えて、科挙制度に注目し宋まで遡った。そして一番最初に近代の始った国と位置づけたが、その後が全くの武力と法で統治した元、更に文字まで違う満州族の清になる。その清が日本に破れたから、半島の国はその通路となってしまった。
宋が中国に栄えた国の1つであるのは間違いないとしても、近代化のさきがけかといえば、私はそう思わない。著者は100も承知だろうが世界の常識でいえば、王政かどうかは別として、政治での近代化は議会で立法が行われたか否か、それと独立した司法が存在したかである。
行政官が試験で選ばれたかどうかではない。経済的には蒸気機関やエンジンを持ったかどうか、産業革命による機械的動力を持った時期であであろう。無理な異論を唱えたのは長年の宗主国と現在の中華人民共和国を1つの国とみるPR、あるいは”日本の中国化と呼ぶのは日米の離反工作ではないかというのが、この著者への疑念である。
宋が続かなかったのは信頼という人間として1番重要な価値観の欠如ではないか。
<満州から南下して来た女真族は1115年に金を建国していたが、宋政府は金と共同での遼攻撃を取交し(海上の盟)、1121年に遼を滅ぼした。その後、金を牽制するため遼の残党との協力を画策して金の怒りを買い、1127年に開封を落とされ皇帝・欽宗、太上皇(上皇)・徽宗及び多くの皇族・皇女達が北方へ連れ去られ、皇女達は全員が金人の妾にされるか、洗衣院と呼ばれる売春宿に送られ、韋后一名を除くといずれも死ぬまで帰還することはできなかった[1]。(靖康の変)。一方、たまたま他所にいた欽宗の弟である趙構は、南遷して杭州で皇帝を宣言した。これ以降は南宋と呼ばれる。>(http://ja.wikipedia.org/wiki/宋_王朝)
自由というのは、無法で何をやってもよいという事ではないから、中国地方の国々は自由だったという主張を頻繁に本音をジョークと言い訳する奇妙なくせには同情させられた。
日本は日本人の定義を決めて、その条件にあう人間は帰化を許すとしたらよいが、それは戦後ドサクサでの半島人の行った行動や背信行為などを充分に吟味して日本人が決めることであろう。
この著者に限らないが、色々と日本人の短所をあげつらう技は磨いているが、日本の長所はなにか、逆に中共国の短所はなにか、そちらも研究できていないと、半島人としても日本人としても、バランスの取れた住む国で好まれる人間としての存在ではありにくいだろうと思う。
私が中国化されたくない理由
個々の中国人には素晴らしい才能をもつ人達がいるが、国としてはその一部になりたくない。
法治国のふりをするが、中味は党という営利集団が、国民のものであるべき国有企業や自治体の合鎮企業を私物化し、その利益を個人が収奪や横領を許す機構。それを支える曖昧な法律と政治リーダーにより変化する解釈などに腐敗の可能性や現実をみるからである。
話を戻すと、自分が住む土地の人間と慣習を悪し様にいい、それを許されるのは、言葉ではなく何らかの改善への努力(行動)での貢献が自分にあるかどうかによるのだろう。
それを気長に観察するという日本人の現在の姿勢も、半島人の悪癖、ゆすりとたかりからそろそろお別れする機運が高まっているからであろうか。いやこれはジョークですとは言いませんが。
この書の最後に『約束があったはずだというフィクションを立てることで、初めて現状をその未達成として捉え、もう一度希望を持ちうるといういう技法。それはおそらくは天子による「徳治」の約束を仮定することで生き抜いてきた、「中華」の民にも共通するということも、本書では述べた。』(表向きの用法;脚本家用)(P339)。無かったフィクションの過去を創り、それとの比較で日本を非難し続け飯の種にする手法の暴露ともいえる。(これは裏の用法)
だから、時代の変わり目には焚書や文字の変更で歴史の継続性を断つ必要もあり、日本にある半島の関連書を返せと要求するのも、不都合な事実の隠滅のためでもありうる。返還を拒否するのは当然だ。所有権を立証できた相手にも、長期間の莫大な保管料を払わせずに渡す必要はない。
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