正当化は理論(理系)の世界だけでない(3)
(日本人の甘さのみなもと;14107~09、12に続き)
マルクスが指摘した「持てる者」である資本家が、労働者を下働きに扱う不平等な点については、米国では対等な契約関係のサービス業(者)として発達してきている。命令・服従ではなく対等でなければ、相応の責任も持たせられないからだが。
(それと勘違いするマネジャーがいるが、チームではリーダがいて、きめた職務を手分けして実行させる必要があり、各人を出来高と品質によって評価して当たり前なのだ。)
ファーストフッド、医療、介護、メード、炊事、洗濯、掃除婦、などの作業の多くがチェーン展開され、(昔なら貴族だけが得られた生活が、自宅でのお抱えの専属ではないものの)有料サービスとして誰にも得られ、外注でえられる時代になっている。
(それと勘違いするマネジャーがいるが、チームではリーダがいて、きめた職務を手分けして実行させる必要があり、各人を出来高と品質によって評価して当たり前なのだ。)
ファーストフッド、医療、介護、メード、炊事、洗濯、掃除婦、などの作業の多くがチェーン展開され、(昔なら貴族だけが得られた生活が、自宅でのお抱えの専属ではないものの)有料サービスとして誰にも得られ、外注でえられる時代になっている。
下の表は先述した正当化の理論家を、大胆にシンプルに1覧にしたものである。
代表的正当化理論(哲学)
哲学者
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経緯
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自然科学との協調
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目立った成果
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特徴
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効果
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ソクラテス(ギ)
BC469-399
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ギリシャ学創設者
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善;勇気・正義・節度・敬虔
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辻説法;知行合一論
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(賢人・変人)
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プラトン(ギ)
BC427-327
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イデア論(形)
国家論;統治者、補助者(兵)、生産者
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国と法体系
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アリストテレス(ギ)
BC384-322
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ソクラテス、プラトンに学び集大成
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哲学が総ての上位、原理から枝葉への順位
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演繹法(induction)
分析は3段論法、
論理に帰納法もあり、帰納の利点も承知
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普遍から分析、統治には帰納法の効果を認めた
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トマス・アクイナス(伊)
1225-1274
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カトリック最大の学者
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アリストテレスとカソリックの結合
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存在論;神による創生
感覚は理性に従属
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神が国・家族を認識したから、人はこれに従うべし
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キリスト哲学の体系付けにギリシャ哲学を利用
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フランシス・
ベーコン(英)
1561-1626
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キリスト教の脅威から保身
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帰納法deduction の観察と実験
演繹法に反対
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われ思う、故に我あり
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思考の歪みを脱する考察、次世代ホッブス(英)に影響
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ルネ・デ・カルト
R.DesCartes(仏)
Cartesian派
1596-1650
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キリスト教の圧力の中、自然科学論理を解放
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地動説に合致した理論の集大成
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力学的自然観
2元論;精神と物体
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真実を知りたければ疑え。
人は平等に生まれた
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自然科学的論理
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ジョン・ロックJohn Locke(英)
1631-1704
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英国の自由主義の元祖、
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自然科学を学びベーコンの帰納法をとる
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社会契約説は私有財産起源論から。労働が根源
自然法;自由・平等+他人の権利は不可侵
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生まれた時は白紙と、デカルトの生得観念に反対
内省と反省
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人権の基礎として自然法と反抗権を位置づけた。民
主 |
イマニュエル
カントI.Kant
1724-1804
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ドイツ哲学の代表
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批判哲学による
観念論 |
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W.ヘーゲルHegel (独)
1770-1831
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同上
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観念論;
弁証法;正・反・合による改善
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ドイツ哲学の纏め
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セーレン・
キルケゴール(デ)1813-1855
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孤独な思想家
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独の植民地的なヘーゲル1色の地で育つ
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階級闘争でブルジョアを克服
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カール・マルクス+F.エンゲルス(独)1818-1883
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ドイツから英国に
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ヘーゲルを継ぎ弁証法を完成
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所有対非所有者、
共産党革命
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資本論で世界に影響
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バートランド
・ラッセル他
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他多数
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分析哲学
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体系はない
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論理性の分析
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(プラグマティズムのデューイやサルトル(実在論)は表示紙面の都合で省略)
労働者・階級の紛争や闘争は終ったか
労働者の納得する論理として利益の分配については、各種の専門分野があるので触れない。製造業では、職人の勘の世界に合った品質の要素が分析され、標準化へのプロセスが発達した。統計学・品質管理のデミング氏の推奨で、主だった企業から品質管理のレベルを高め、今やTQCは工業国の標準になっている。
具体的にはPlan・Do・Check・Improveだが、これはヘーゲルの正・反・合を改善し、製造業など工場に持ち込んだとも言える。
具体的にはPlan・Do・Check・Improveだが、これはヘーゲルの正・反・合を改善し、製造業など工場に持ち込んだとも言える。
成果の分配が合理的で納得できる形で、しかも景気の上下の波をしのぐ方法を開発できれば、階級闘争などは起らないといえるか。
むしろ近隣国や中東のイスラム諸国のように、社会の格付けが儒教的に温存されると、国内に持てるものと労働者の溝が消えることがないように見える。
そうした国は危うくなると考えて、対策を講じたほうが良いのではなかろうか。ということは、資本家対労働者階級という社会を2分する割り切りだけでは不十分だったと言えそうである。
分析哲学の概略(編者が大幅に省略)
言葉にこだわるが分析哲学という呼び名、「AIデータ分析学」ではいかがか。
1つのまとまった、1枚岩の哲学は存在しないが、概ね次のように特徴付けることができるだろう。いろいろな命題の論理形式の分析では達成できるほとんど唯一のことで、命題を表現する方法であり、日常言語をどのように論理的に分析するのかの、分析哲学者の間での見解の一致はない。
(要するに)難しい表現はさけ日常言語や常識を擁護する。特に日本では、難しい翻訳の問題の是正に貢献している面もある。
(だが、欲望の部分である性欲や支配欲などは、生い立ちなどでも左右されるとみれば、男女の性別がゆらぐ中で、性欲を結婚制度からきり離す自由化は、キリスト教でも仏教でも禁じている。これらに反する異教徒は安易にみとめるよりは、自国の教育に従うか、もしくは日本法遵守を義務づけ、異教徒でも制度として側室‣第2配偶者として養育義務を伴うものにする必要があるかと思われる。)
人知では纏まらず、神仏の存在、地球という可変物体の存続条件、あるいは“共有できる未来“が不可欠になると考える。人間だけの勝手な"人権”ではないだろう。不可欠な資源が有限であるから、その分配には人類の英知がもとめられる。それは自由という名の人権だけを主張し、結果として赤字を後の世代に付けとして残すのも制約されるべきである。
欲だけで結果に無責任な政治を抑制せねばならない。それと共に求められるのは、生きるもの総てとの共存を考慮する新たな価値観であり、人はそこまで進化せねばならないと考える。
言語分析、概念分析を中心的な道具とする
定義や議論の論理構造をはっきりさせ、できるだけ明瞭な論述を行うことを旨とする(記号論理学を応用する)
言語表現のレベルで問題を設定する
分析の正しさの基準として、しばしば思考実験に訴える
経験科学の知見を取り入れて議論を展開することも多い 帰納法を破る議論(ヘンベルのカラス)があるが、これは後述したい。
人としてあるべき生き方という原点とAI
あるべき生き方とは、武力で囲い込んだ物理的な人口(個人が自立できる市民ではなく、課税対象としてのマスとして国民とよばれる)の数比べでもあるまい。サイズで有利さを誇れば、武力による周辺国への脅しとなるだけだ。
国民の意思が表現されず抑圧された集合では意味がない。最低限の殺し合いをしない条件と、人の金を使い赤字のつけを後世にのこす身勝手な合意体としてのマジョリティーでもあるまいと考える。
その意味で、正当化の道具としての論理は、価値と遊離してはなるまいと思う。特にロボット時代、AI知能のなかに、人の生物としての価値を失えば、人類はゼロからやり直さざるを得ない混沌にの中で衰退するだろうと考える。
正当化論の行き着く終着点
後述するハーバード大学の故クリステンセン教授(注;)のいう産業分析でモジュラー化が進めば、結局は数学を用いた学科ごとの論理になるとみえる。
それを纏めるためには、総ての学科・産業の総括できる論理には、人間の欲望という主観的・非論理な要素の計量化が加わらなければ完成しない。暫くは欲望は需要と捉えビッグデータで代用し、人間の動向を学ぶことになるだろう。(注;2020年没)
(だが、欲望の部分である性欲や支配欲などは、生い立ちなどでも左右されるとみれば、男女の性別がゆらぐ中で、性欲を結婚制度からきり離す自由化は、キリスト教でも仏教でも禁じている。これらに反する異教徒は安易にみとめるよりは、自国の教育に従うか、もしくは日本法遵守を義務づけ、異教徒でも制度として側室‣第2配偶者として養育義務を伴うものにする必要があるかと思われる。)
人知では纏まらず、神仏の存在、地球という可変物体の存続条件、あるいは“共有できる未来“が不可欠になると考える。人間だけの勝手な"人権”ではないだろう。不可欠な資源が有限であるから、その分配には人類の英知がもとめられる。それは自由という名の人権だけを主張し、結果として赤字を後の世代に付けとして残すのも制約されるべきである。
あるべき原点の視点からは、ビッグ・データなどという行動予測の手法が使われはじめているが、それは動物としての人間の生態分析になり、民主主義と同様、単なる考えなしの頭数の集計になる可能性がある。確率と統計だけでの未来予想では、人間社会がカネの亡者にならぬよう歯止めがいるのだ。
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