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人の食べてはいけない(嫌がる)ものを食べる習慣
人の食べてはいけない(嫌がる)ものを食べる習慣
NYのユダヤ(教徒)人から『ユダヤ人は卵と鶏を同時に食べたり、牛肉とミルクを同じ食事では摂らないが、それは特定の動物の種の根絶をしない教えがある』と聞かされた。この組み立て会社の社長にすし屋につれて行かれた時だが、『うろことエラのない魚は禁じられている』ので海老やカニ、イカやタコも食べない。アワビなどは無論たべない。
鮭を食べたからイクラは食べないという。私と同じ物を食べない言い訳の形で、気を使って説明してくれたのだろう。
鮭を食べたからイクラは食べないという。私と同じ物を食べない言い訳の形で、気を使って説明してくれたのだろう。
イスラム教徒、ヒンズー教徒はどうするのか
神様の教えだから食べませんという人が、貴方の会社のお客だった場合は微妙である。日本人は商売第1だからという人は、『私もお付き合いしてやめておきましょう』という人が多いのではないか。インド人の大部分を占めるヒンズー教の人を、わざわざステーキハウスに案内するような非常識な人はいないだろう。だが、種を絶滅させるなという教えをもつユダヤ教や、その流れをくむキリスト教徒を無視してよいだろうか。
『鯨は食べるな』という人達、ニュージーランドを敵に回すのかとまでは言わないが、こういう反対国は、他の何かを求めているのか。相手を大事な仲間だと思うなら、会話の為にも、『歴史的に100年以上食べてきた。増えるまでやめてもいいが、貴方たちも交換に何か止めてくれるか』ぐらいは言い返しても良いだろう。
米人の悪口を言っている和食派の日本人もいるが、今後インドが主要な取引先に加わったら、牛でも豚でも平気で食べる日本人は、インドでは気持ちが悪がられるだろう。食べない4つ足は机と椅子だけという2隣国の方が、余程特異だとわかる。
シカゴの有名大学の著名なジャイナ教の学部長が、講演の主催者たちとの食事には『日本人とは食事はできないと思う』といわれたことがある。ジャイナ教の人達は動物は一切食べないし、植物でも根菜類もだめだという。しょう油や鰹出汁もだめ。『こんなにウマイものを、なぜ?』などというが、美味いかまずいかではない、神に従うかどうかなのだ。
捕鯨反対の欧米州人に対し『我々の食文化への介入だ、余計なお世話だ』という日本人も多い。だが、よく考えて欲しい。神仏の教えにより、食べませんという人の前で、平気で相手が禁じられているものが食べられるかどうかを。それは相手の前で、その人の信じるものを無視する人間だと宣言するようなこと(傲慢だと受け止められかねない)になる。
食事と宗教が密接な文化の国々は、実は世界の殆どの場所に住む大多数なようだ。
この人たちは、日本人が鯨やうなぎなどを絶滅寸前までとりつくすのを、危険な人種と見ているし、そうでなくても奇異の目で見ていると思う。実際のはなし、どれだけ鯨は大事な食材なのだろうか。
アメリカやインド、トルコなどの大国での高速鉄道の入札時に、こういう議論が始ると、売り込みに汗を流している人たちには、国内で無神経に鯨でもウナギでも好きなままに食べる生活している人達が恨めしいと思うだろう。巨大な胃袋をもつ中国人が食べ始めたマグロは、養殖が何とか間に合った。うなぎが絶滅品種になる可能性を指摘されている。
半世紀以上も昔になるが、三島の禅寺に10日ばかり放り込まれ、完全なかゆと野菜の菜食生活をしたが、戦後の生活とあまり違和感はなかった。当時のように常に空腹だと、食べられればありがたかった時代だから、苦行でも何でもなかった。イスラム教徒は豚は食べない。ヒンズー教徒は牛を食べないというが、豚料理も食べない人が殆どらしく、関係会社のインド人はチキンしか食べない。
種の絶滅まで食べ尽くす危険性
憲法で保障される『幸福の追求』があるが、食べたいものをおいしく食べるということも幸福の大きな要素である。しかし、それで特定の動植物の品種を絶滅することで、次世代の子孫に同じ地球(環境)を渡してゆけないのは正しいのかと問われると、それは『ノー』というのが人類全体での知恵の総和と言えるだろう。食べ分けが行われている。
そろそろ日本も他所の国から言われる前に、自分たちの食べている動物の世界での生存数をトレンドで調査しデータを公表し、自制するくらいは始めるべきではないか。
そうでない方は2~3年間は土用のウナギは我慢をして種の絶滅を防ぐことが、日本人としての後の世代への礼儀、いや義務ではないかと思う。人間という種は、他の種を絶滅させる権利は持っていないのだから。
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