他人を憎めば自国は誇れるか
(元インターンmohi k氏より)
《少し前ですが、話題になった記事を紹介させて頂きます。
自国の(捏造した)受難史を訴えて、いかにひどいめにあったかを、国の公共の施設で陳列するメンタリティーは、私には非常に奇異に感じられ、世界でも例が無いのではないかと思う。
ましてやそれが事実からほど遠い捏造のストーリーだと聞けば、めくらを装う物乞いとの違いは何なのだろうか。一体誇りというものは無いのだろうか。
上に述べた福島の不幸な事故を誇張し奇形野菜をネットで発信する人物は、愚かさを超えた悪意の持ち主であり、営業妨害として罰せられるべきではないか。総ての韓国人がこれほど卑劣な国民とは思わないが、それを放置するなら、同類といわれても仕方があるまい。また修学旅行に学生を連れて蝋人形を見せにゆくのは、学童の健全な精神へ適切な行為であろうか。撤去を要求し、実行するまでは、韓国への修学旅行は停止してはいかがかと思う。
なにごとでも事実らしきものは何か、倫理的にどうか、法的にどうか、と考えるのは法律を学んだ人かもしれない。しかし、売春禁止法ができたのは日本では1956年。韓国では2004年でそれを焼身抗議した売春婦もいる国。
余りにも朝鮮人警官の拷問はひどいので1908年に禁止令まで出したのは伊藤博文統監である。それを日本兵士と韓人を入れ替えた拷問人形は得意のなりすましであろう。日本の感覚では付け合えない。
売春婦に話しをもどせば、日韓での1937年ころの平均月収が50円位だった時に300円で募集していた新聞広告があると聞くから、社会学や経済学を持ち出さなくても、強制連行する必要があったのかに疑問が湧いてくる。実際にそうした事実はなかった証言もある。
事実認定には第3者の判断や、紛争当時の相手側の証拠があれば、これは非常に有力な証拠である。くり返しだが、1944年米軍の心理戦争班に捉えられた売春婦の尋問記録がある。これで判断するのがよいだろう。日英の翻訳でも見ることができる。
file:///C:/Documents%20and%20Settings/Shouen%E3%80%80Kishioka/My%20Documents/Downloads/comfortwomen%20(9).html
歴史の意味と個人の信条
歴史から学べるのは、先人たちの素晴らしい知恵と努力であり、また一部の愚かさでもある。どうにも誇れるものがないと、隣国の欠点をあげて喜びがちになる。しかし相手の欠点は、自分の誇れるものを増やすわけでも、価値を増やしてくれるものでもない。
日本の原発によって奇形の作物ができているという内容。
しかし、中をみてみると、 写真は原発の影響が全くなかった長野県白馬町のものであったり、あきらかに2011年以前にとられたものであったり、 とてもみれたものではありません。しかし、それがわかるのは日本人だけで、 記事に対する反応は日本や原発に対するネガティブなもの。(最近、注意書きが加えられた模様。)
こうやって日本に対するネガティブキャンペーンは日本人の知らな いところで行われているのですね。
http://now.msn.com/fukushima-vegetables-mutated-in-viral-photos-possibly-due-to-radiation》
シカゴの勉強会でも従軍慰安婦の議論がある。そこで驚くのは、事実の確認の考え方である。特に女性は『相手がひどい目にあったと言っているし、ソウルの博物館でもそういう蝋人形を沢山みた』という相手の立場だけでの、日本加害者論が多いこと。
相手が見せたいものをみてそれが事実だと考えるなら、中学生レベルの判断力か。少なくとも米国で教える批判的精神が不足してはいないか。マーケッティングで戦略を考えてきた人間としては、ありえない考え方である。まず事実確認が欠けている、一方的に自分が不利になりうる主張なのだ。(事実を確認していないものは意見に過ぎない)シカゴの勉強会でも従軍慰安婦の議論がある。そこで驚くのは、事実の確認の考え方である。特に女性は『相手がひどい目にあったと言っているし、ソウルの博物館でもそういう蝋人形を沢山みた』という相手の立場だけでの、日本加害者論が多いこと。
自国の(捏造した)受難史を訴えて、いかにひどいめにあったかを、国の公共の施設で陳列するメンタリティーは、私には非常に奇異に感じられ、世界でも例が無いのではないかと思う。
ましてやそれが事実からほど遠い捏造のストーリーだと聞けば、めくらを装う物乞いとの違いは何なのだろうか。一体誇りというものは無いのだろうか。
上に述べた福島の不幸な事故を誇張し奇形野菜をネットで発信する人物は、愚かさを超えた悪意の持ち主であり、営業妨害として罰せられるべきではないか。総ての韓国人がこれほど卑劣な国民とは思わないが、それを放置するなら、同類といわれても仕方があるまい。また修学旅行に学生を連れて蝋人形を見せにゆくのは、学童の健全な精神へ適切な行為であろうか。撤去を要求し、実行するまでは、韓国への修学旅行は停止してはいかがかと思う。
なにごとでも事実らしきものは何か、倫理的にどうか、法的にどうか、と考えるのは法律を学んだ人かもしれない。しかし、売春禁止法ができたのは日本では1956年。韓国では2004年でそれを焼身抗議した売春婦もいる国。
余りにも朝鮮人警官の拷問はひどいので1908年に禁止令まで出したのは伊藤博文統監である。それを日本兵士と韓人を入れ替えた拷問人形は得意のなりすましであろう。日本の感覚では付け合えない。
売春婦に話しをもどせば、日韓での1937年ころの平均月収が50円位だった時に300円で募集していた新聞広告があると聞くから、社会学や経済学を持ち出さなくても、強制連行する必要があったのかに疑問が湧いてくる。実際にそうした事実はなかった証言もある。
事実認定には第3者の判断や、紛争当時の相手側の証拠があれば、これは非常に有力な証拠である。くり返しだが、1944年米軍の心理戦争班に捉えられた売春婦の尋問記録がある。これで判断するのがよいだろう。日英の翻訳でも見ることができる。
file:///C:/Documents%20and%20Settings/Shouen%E3%80%80Kishioka/My%20Documents/Downloads/comfortwomen%20(9).html
歴史の意味と個人の信条
歴史から学べるのは、先人たちの素晴らしい知恵と努力であり、また一部の愚かさでもある。どうにも誇れるものがないと、隣国の欠点をあげて喜びがちになる。しかし相手の欠点は、自分の誇れるものを増やすわけでも、価値を増やしてくれるものでもない。
最近のYouTubeでの報道は、もう少し建設的な話題を考えるか、相手が間違えている時は、徹底して相手の間違えを指摘するしかない。金が掛かっても戦争より遥か安い。
韓国という国が抗日により、自国民を受験地獄に追い込み、日本人より勉強させたり、日本を憎ませるのはなぜか。それは教育でも日本の真似をすれば、経済的に豊かになると考え、また日本への自国民の流出を止めるためと、米国他の市場で日本人の住宅地のあとを追い、いずれは永住者を増やして追い出す考えからであろうか。
もうひとつは不況になると憎むことで、いままで日本の政治家が補助金や賠償金という褒美をだし、厄介払いをしてきたからであろう。〈相手を助けるうそ〉と〈陥れるウソ〉の識別が十分でなかったのではなかろうか。
そんな惨めな人達はごめんだから、放っておいて近づかないほうがよい。不況になれば、国をあげて嫌日をあおるが、もっと貧しい国でも真面目に頑張る国に支援しよう。
日本人は歴史を学び、価値観をもち、崩れそうな米国の国内問題を一緒になって解決する支援をしてはどうか。他国の過去に学んでも相手の欠点をみて安堵するだけでは、自分が優れられるわけはないのだ。国民の各人がしっかりした考えを持てる信条と教育が必要だと思う。
自社の製品の欠陥や故障をいう競争相手と同じで、競争相手(近燐国)が捏造により攻撃してくれば、自衛できるように反論できるだけの事実は教えるのが自衛だ。
韓国という国が抗日により、自国民を受験地獄に追い込み、日本人より勉強させたり、日本を憎ませるのはなぜか。それは教育でも日本の真似をすれば、経済的に豊かになると考え、また日本への自国民の流出を止めるためと、米国他の市場で日本人の住宅地のあとを追い、いずれは永住者を増やして追い出す考えからであろうか。
もうひとつは不況になると憎むことで、いままで日本の政治家が補助金や賠償金という褒美をだし、厄介払いをしてきたからであろう。〈相手を助けるうそ〉と〈陥れるウソ〉の識別が十分でなかったのではなかろうか。
そんな惨めな人達はごめんだから、放っておいて近づかないほうがよい。不況になれば、国をあげて嫌日をあおるが、もっと貧しい国でも真面目に頑張る国に支援しよう。
日本人は歴史を学び、価値観をもち、崩れそうな米国の国内問題を一緒になって解決する支援をしてはどうか。他国の過去に学んでも相手の欠点をみて安堵するだけでは、自分が優れられるわけはないのだ。国民の各人がしっかりした考えを持てる信条と教育が必要だと思う。
自社の製品の欠陥や故障をいう競争相手と同じで、競争相手(近燐国)が捏造により攻撃してくれば、自衛できるように反論できるだけの事実は教えるのが自衛だ。
福島の放射線量を根拠もなく捏造で誇大表示し、奇形農作物を掲載している。こうした個人で悪質なデータを流し始めた人物は、ネットの上でやり玉に挙げて、その人物をネットで掲載しブラックリスト化してはどうか。福島市は営業妨害で訴えるか、差し止め命令を出せないか;
子供の誇れる国を教える
私の経験では、相手国や西欧の素晴らしい過去の史実の理解は、友好親善に役立つが、それ以外は必要と感じたことは少ない。
むしろそれぞれの時代の中で力一杯に生きた人物の具体例を教えるほうが元気付くし役立つだろう。子供たちには自国に誇りをもって欲しい。頭に残るストーリーは意味あるから、入試での年号の暗記など暗記したものは役立たないのだ。
日本は東西の価値観をブレンドさせた独自の思想と文化を持つ国だ。唯一、米国、ロシア、清(満州族)、唐、蒙古のなど東西の大国と戦い侵入もはね返し続けた国だ。
(もし反省するとすれば、たらレバだが1943年か44年前半で停戦にすれば、300万人の犠牲者は半数ですんだろうし、特攻隊で死なせることもなかった。)
どう現在や未来につなげるか。国は憲法上の義務、市民の権利義務など人間としての基本的なものにとどめ、戦争史については専門家の研究にゆだね統一的な解釈や立場をとらぬ多様性を認める国と明言してはいかがであろうか。
共通価値はアジア諸国の希望となり、リードできる独特な憲法を持つといえるものでありたい。教科書は低学年の生徒向けは、子供たちに明るい夢と希望を与えるものでありたい。
- 日本の治安、礼儀作法と武士道、協調、感謝、清潔さ、信頼性、4季と文化。
- 時間通りにできる技術力、アジアの産業の進歩への貢献、技術力。
- ノーベル賞の受賞者の数ではアジアではトップだと教えたい。
- 宇宙開発、文化・技術貢献を強調できる。
- 『日本人が世界に誇れる33のこと』も良い(注7)。
《そういう隣国もあるが正解は1つではなく、相手の主張は根拠が無いばかりか誤りである。》《相手の立場と自分をすり替えたり、日本品も自分たちが創造したと主張する国。だから、調べてからでないと何も信じることの出来ない国。》と穏やかに自信をもって徹底して言えばよい。超党派の政治家に期待する他ない。
政治家は歴史で将来につながらない部分は、政策判断においては哲学・宗教など自身の信条に基づいて自分の思想を組み立てることを期待したい。そして信念をもって行動すればよい。その信念が気に入らなくても、一般市民は信念のない朝令暮改の政治家よりは、非常時にもブレないだろうとの信頼感がある。参考までに追って私見をのべる。
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