2013年8月13日火曜日

13805 自立に役立つ信念と価値観 [051]

13805 

自立に役立つ信念と価値観

日本からのインターンは、どういう進路で何を職業にすればよいかを迷う。
考えを聞いてみれば、米人に比べて劣るとも思えないし、アジアの近燐国のように、変にずるがしこくも、厚かましくもなく、汚染された加害者的な思考も感じられない。

なのに欧米人には、明確な自己の”イエス””ノー”があり、即座に答えが返ってくる”生き物”の反応がある。彼らのもつ積極性や自信はどこから来るのだろう。〈9〉項で述べた決め方の違いもあるだろう。


損得だけで会社仲間や取引先には人一倍気を使うが、取引のない他業種の人たち、まして外国人との付き合いや意見交換が苦手で避けたいという人も多いが、それではこれからの世界が拓けない。慰安婦問題などは米国市場を狭める方向に作用している。
   

はっきりしない親のせい?
日本の親は、子供の将来についてあまり会話をしたことがないか、よい会社に入れば総てが解決すると勘違いしている。成績と大学で会社がきまりるといういうのだ。
これがいかに通用しなくなっているかは、すでに随所で説明したとおりである。
《宗教や信念が子供の心を守るもの》という考え方が、米国に比べ少ないようだ神仏は願をかける対象ではなく、自分と家族の行動が神仏の教える範囲に修まりますように、という祈りではないか。せめて自分の子供には正しく生きよと願うべきであろう。

しかし日本の近隣をみれば分かるように、この世の中には正しい考えの人ばかりではなく、邪悪な考えや嘘や偽りに満ちている。だから気をつけろと教え、ぐれず、負けずにどう生き、乗り越えさせるかである。昔は《一歩そとに出たら7人の敵がいると思え》と教えられたものだ。
  
(1)国には法治と人権を要求しよう

日本特有の《大事なことは人任せ》の時代は終わったと述べた。人に任せて経営できるようにならねば外国人は使えないと云いながら、人任せにするなとは何だと思われるだろうが、人に支配されず自立するためには、各人が自分に1番大事なことは自分で決め、相手にとって大事なことは任せるということ(人事権を自分が持ち、定年も自分で決めるには、独立するか数人での経営分担も意味がある)。日本のサッカーがレベルアップした理由だと思う。

自分も信念をもたないと任せられないから、任せるには信頼できる条件を考え、管理職にある人は信念をもって任せようと言いたいのだ(ルール作りは欠かせないが)。任せる責任は自分がとるということである。

① 自立のためにはソロバンだけでは駄目

結論をさきに云えば、こどもの頃から世の中にはカネで買えない価値、有限な時間でもある生命の価値を学ばなければ、価値観も責任感も生まれないと私は考える。これはいたずらの度がすぎて禅寺やルーテル教会に行かされたお蔭である。《私利私欲(カネや地位)より大切な人間の価値は何なのか》という意識と価値観があると知ったからではないか。そのお蔭で、金に対する執着や誘惑をあまり感じないで来れたのだと思う。

ベトナム戦争直後か、アメリカ兵がチューインガムやチョコレートを子供たちに与え、子供たちは争ってそれを貰った(戦後の日本と同じ)。ところが、枯れ木のような村長(おさ)の老人が現れ「知らぬ人からモノを貰うな」と叱ったため皆が返したという。法律以前の社会正義や価値観も欠かせないと述べたが、ベトナムの片田舎にはそうした倫理観をもつ人が生き残っていた。戦時こういう人間が長い地下壕を掘って耐えたのだろう。

経済では世界のトップクラスの日本だが、尖閣周辺で衝突して来た中国船の動画写真も国民に隠そうとする。ここまで自衛心が弱体化したかと驚愕し、私の国防観は大きく変わった
法治国家でありながら、外国人を日本法で縛れないから入れたくないという行政の気の弱さも、相手も知らずに領土紛争中の準敵国民を党員に受け入れるという、国防感覚ゼロの政党への用心もここに窺(うか)がえた。外国人の選挙権などとんでもないことだ

「法律に基づかないことはできない」というならば、相手が誰であろうと、国内では自国の法律を執行するしかないはずだ。執行できること以上は求めない法令による法治でよいのではないか。政治家で『自国を守り貴方を守ります』と言えない人は、政治家ではなくNPOに働く方が良いのでは。

「自分に1番大事なことを人任せにする」責任感の欠如やその原因も、結局は国民ひとり1人の気づきと自覚が不十分で、人任せですませてきたのだからである。政治家だけを責めるより、まずは各人が自立するために何が必要かということである。やれ自民だ、やれ民主だ、維新だと揺れるより、ぶれる政治家をシッカリ信念を持てと要求した方がよいのではないか。

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