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どこまで学びを拡大するのかー2-
これは個人の好奇心が限界をつくるから、一概にはいえない。深く調べるか、広く調べるかでも違うが、米人は日本人よりかなり広くものを知っているように感じる。
自分の知らないことを相手が知っていたら、「その分野は良く知らないから、差し支えない部分でよいから教えてください」というと。10分も話しを聞けば、自分ひとりで学ぶより遥かに短期間で学べる。「いま変化しているのはどこか?これからは、どちらの方向に発展すると思うか?」という質問も役に立つ。
TPPでの守りと攻めと
反対で大きな声をあげている産業は、少なくともそこに働く人達が、いままでは規制に守られて楽な仕事をしてきたと考えているに違いない。守りの姿勢では競争社会には勝てないから、国際競争になったら大変だと思っていることだけは間違いない。
交渉の中味がよく見えないが、くり返しになるが、国有企業は、その製品を海外で販売する場合は、厳しい条件をつけないと、安値の粗悪品で競争相手のシェアを奪うというやりかたに勝てない。計画経済の社会主義国が海外だけでは自由取引にただ乗りしてくるからだ。
(13040)で先述したが
① 過剰生産で単価だけさげ、安値で圧倒する商法である。製品による損害責任を負わせるべきである。単に輸出してくる場合も、製造物損害賠償保険(PL)輸出に義務つけるべきであろう。
② 付保できねば供託金などで販売額相当かそれ以上を義務付けもできる。
③ また先進国の会計原則を義務付け透明性と罰則を強化すべきである。
つまり国有企業が製品を製造販売する自由競争に参加するのは、一定の貿易原則が守られている場合であり、自国内がそうでなければ自由貿易と公平の原則からも好ましくないのだ。
例え国有企業が米国の会社を買って、米国の法律に従ってどこまで米国法人としてやれるか疑問が残るからだ。
市場に人事異動も少なくなってきている業種は伸び率が低く、イノベーションに投資する資本もないから、独占禁止法で分割し競争させた方が、活性化するだろう。国有は地域分割しかできず、価格も品質も競争がなくなるから、規模の利益を多少は抑えられる。国内で守られてきた産業の未来は衰退しかないかといえば、それはやりようで変わるだろうと思う。
例えば医療などの分野は、これからも大きく躍進するだろうと思う。iPS細胞の技術などは、人間の体のあらゆる部分を再生することが出来るようになれば、可能性は無限である。生命を創ることだけは神仏にお任せすれば、宗教家も許すのではないか。
農業についは、日本ほどコメに執着してきた民族はほかにあるまいと思う。それは食材・カロリー源としてばかりか、通貨としても長い間使ってきたからだ。しかし結果は農家を守れなかったが、もう暫くは農家を保護して、その間に自由化をすすめて、世界に飛躍を図るしかあるまい。
人口大国の義務
「大きいことは良いことだ」というが、大きいことで大国は世界のためにと様々な貢献をしてきたことは間違いない事実である。しかし、どちらかと言えば、その巨大さを有利に利用して、中小国をおさえつけ特別な利益を得ようとする個人を放置してきた面も感じられる。大きくなればなるほど、世界の独裁に近づき、それは必ず力だけで傲慢さをもった人物も増えることになる。そしてそれに我慢できない人間が、破壊的な行動をとる不安定な地域をつくる。1億人クラブでも創って、自制をする工夫を始めてはいかがかと思う。
世界の平和と友好のために貢献するには、その面からは大国間でも地域貢献の競争が必要ではないか。個人としては、誰がみても素晴らしい人も多いが、国際司法が遅れるとなかなかテロ対策がうまく進まないばかりか、まったく理由なく外国人を殺害するテロなどがはびこる気がする。
いずれにせよ、個々の構成員が謙虚で、思いやりのある、世界から歓迎される人格者を育成するにはどうすればよいのか。これは永遠の課題ではなかろうか。その仕組みつくりを大国に期待したいのだ。
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