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日本人の(国際)政治参加?
(守りたい価値を失うな)
今回非常に驚いたのは、安倍総理の靖国参拝に関する国民からの賛否であるよりは、「失望した」という大使館の意見表明に対する反応である。国内でより対外的に反応する方が無難というのか。
外交問題への市民参加?
つまりは、自国の首相の行動に対する賛否の評価よりは、米国の大使館のコメントに対する反応の方が遥かに激しいものであったことに対してである。
そのFaceBookの反応は非常に感情的で、こんなことで宜しいのかなという印象をうけた。
隣国の習慣が感染したのかもしれないが、もう少し冷静であって欲しいと思う。というのは、米国民と日本国民とのあいだのやり取りでも、もう少し礼をもって接するものだと思っていたからだ。
外交的な分野は非常に複雑だから、私は余程のことがないと、自分の意見の形成にも公表にも慎重である。国内問題では差しさわりがあるからと、遠慮してものを言わずにいた人が、突如激しい言葉で相手をののしることが、まともな自制ある日本人のやることだろうか。相手に怒鳴り込む前に、少し時間をかけて、自分が日米のケンカに参加して、騒ぎが大きくなって喜ぶのは誰なのかを一寸考えてみる方がよい。
そうはいうものの、政治に参加してはっきりモノをいう人が増えることは良いことなのだろう。靖国は特別な場所である。いまだに多くの日本人の心の中にも『靖国で会おうと』死んでいった身内がいたりで、非常に深い傷がある。
それに対しどう行動するかは本人しだいという面があると私は思う。戦後60余年で首相の参拝に賛成する人が80%になったというあるネットの記事をみて、時代が変わったなという印象をうけたが、それでも無言を続けている人がいるのだ。
礼を忘れないで発言しよう
米国大使館への意見発表は、貴方の兄貴や弟への意見をいうのとは同じレベルではないと思う。日常的に罵詈雑言を投げ合っている、どうにもならない弟分の隣国との意見交換とは違う。
昔から礼節の国とされてきた日本人が意見を述べるときは、それなりの礼をもった表現であって欲しいと思う。米国でも意見交換する場合は、ことに文章にのこる場合は、お互いにかなり気をつかった言葉のやり取りをするのが通常である。
いままでどんなに我慢に我慢をしてきた場合でも、一気にその胸のつかえを晴らすような表現は控えたい。米国に在住する日本人は、米国内でも近燐国からの様々な攻撃を受けて、それに反論を始めている。捏造に基づくものと個人的には確信する場合であっても、文章で残す場合は、どこで貴方の人間像の1部であると言われても困らないような思慮をもって表現するよう心がけざるを得ない。私もできる限りそのように努力したいと思っている。
どんなに立派な内容のあることを語っても、その選んだ言葉や表現の仕方で掃き捨てられることのないようにしようではありませんか。
どこまで守ってくれるかは分からなくても、どんなにおかしなことを言う人間がいても、地球上で日本を守る約束をしてくれている貴重な大国だからである。その意味でも、守りたくなる価値をもった個々人が住む国という位置づけを維持したいと思う。
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